第十五話 女帝と皇后

「待って。ちょっと待って」

 美雨メイユーが頭を抱える。

「いや待って。本当に待って。……藍大将軍、マジで何考えているの!?」

 その困惑ぶりを見た李太皇太后が、あー、と、気まずそうに言った。


「私は『皇帝ってお堅いのね』と、言うべきなのか?」

「ノっちゃダメよ月里ユエリー、抗議なさい!」


 そんな、と美雨はうろたえながら叫んだ。





「『皇帝の夫がダメなら妻ならどうだ』って考え方、どーなのよ!?」




 叫ぶ美雨メイユーに、僕と李太皇太后は心の中で「それな」と呟いた。




 藍大将軍曰く、皇帝の世継ぎが一人しかいないことに危機感を抱いたそうだ。だが、男帝と違い、女帝は一人で子を産まなければならない。そのため、世継ぎを多く残すのは陛下の負担がかかる。そこで、


「李太皇太后を『皇后』として迎え子を産ませろ!? 何考えてんのよあのエロジジイ!」

美雨メイユー、それ以上はいけない!」


 ご身内目の前にいるから! 李太皇太后いるから!

 だが美雨メイユーの怒りは冷めない。

「女同士で子は産めないのに産めってことは、! 月里ユエリーを腹としか考えてないじゃない!」

 孫をなんだと思ってるんだー! と怒っている。

 だが、僕も腹立たしかった。彼は皇帝の血を引いているから継げと美雨メイユーに迫ったのに、藍家の男に嫁がなければその血は要らないと、僕を通して宣ったのだ。

 藍大将軍の血を引くものが、皇帝につければそれでよい。。その意図を、隠すつもりもなくなったなんて。

 

 だが李太皇太后は、「またか」と乾いた笑みを浮かべた。……また?


「実はな、美雨メイユー、崔どの。ソレは、初めてではないのだよ」

「……は?」

「昌帝陛下がご健在……いや、体調を崩された頃な。臣下には密令が下されていた」


 曰く、『今上陛下が亡くなる前に、皇帝の子を作るように』と。


「昌帝陛下は床に伏せられ、子を作るどころではなかった。そんな状況で、どうやって臣下たちは命令を果たすのだと思う?」

「……まさか」

「さすがの大将軍の命令であっても、臣下たちは皇后の操を、それもとは思い切れなかったらしいが」


 自嘲げに彼女は笑う。

 まさか、そんな。昌帝が病で倒れたのは正月を迎える前。まだ李太皇太后は十二のはずだ。

 そんな少女に、――不特定の男たちの子を、産めと? 帝と民に、皇帝の血を引いた子であると偽って?


「なによ……なによそれ。あのジジイにとって、孫も家畜ってわけ?」

「それはわからぬ。もしかしたら、お祖父さまの名を騙る親戚の誰かだったのやもしれぬ」


 李太皇太后は頭を横に振りながら続けた。


「わからぬのだ。私の知るお祖父さまは、本当に優しい。いつだって私を気にかけてくれた。正直、その命令を下しそうなのは父の方だ。元々、入内させたがっていたのは父なのだから。お祖父さまは娘婿の後押しをしたに過ぎぬ」


 もっとも、その父は謀反の疑いありと、入内後に刑を受けているのだがな、と李太皇太后は言う。


「父はお祖父さまと対立し、藍家にとって変わって外戚の頂点に立とうとした。結果、お祖父さまの血を引く私以外の李家のものは全員処刑された。

 皆、怯えておるのだ。自分たちがかつて敵対するものを葬って来たように、自分たちも葬り去られるのではないかと」


 だからこのような無茶苦茶なことにも手を出すだろう、と、李太皇太后は言った。


「だが、お祖父さま以外の一族のものは、権力に取り憑かれただけの凡俗にすぎぬ。お祖父さまもそれがわかっているから、一族のものを生かすことに翻弄され続けている」

「……権力を手放しても、命をとるなんてこと」

「同じことなのよ。我々にとって、権力と命は」

 それはそなたがよくわかっていることだろう? と、李太皇太后は美雨メイユーに言った。その言葉に、皇太子一家でありながら一族全員を処刑された美雨メイユーは黙るしかない。


「それで、どうする? 私のことは気にしなくて良い。断るのであれば、私がお祖父さまに進言しよう」

「…………いいえ。受けたいと思うわ」


 美雨メイユーは言った。


「最近私、阿嘉アジャに会えていないの。何かにつけて邪魔されてる」

 確かに。ここ二年、いくら皇帝が忙しいと言えど、美雨メイユー阿嘉アジャに会えなさすぎだ。

「私と阿嘉アジャを引き離していることに、何らかの思惑があることは確かよ。皇太子にさせたくないのかもしれない」と、美雨メイユーは言った。

 

「基本、母親の権力によって公子の権力は成り立つ。なら、あなたが私の皇后について、阿嘉アジャの後見人になってくれた方がいい。……悔しいけど、私やハオだけじゃ、あの子を権力的に守るのは厳しい」

「そうか。……ツァイどのは、どう思われるか?」

「僕も同じ意見だ」


 その言葉に、李太皇太后は頷いた。





 実は美雨メイユーには黙っているのだが、一度、暗殺未遂事件が起きている。

 軍事演習の視察のため、美雨メイユーが宮殿を留守にしていた時。毒が仕込まれた。

 それに気付いたのは、花鈴ファーリンだ。

『いぃやっほおおお! 本当にあるんですねぇ宮廷ドロドロ!』とはしゃぐ花鈴ファーリンに、「我が従妹ながらやばいなあ」と改めて思った。

『念の為、銀の器を用意していて正解でした』

 花鈴ファーリンが向けられた視線の先は、黒ずんだ銀器だ。


『それにしても砒霜石を使うなんて、やっぱりお城の方も毒があることご存知だったんですねぇ』


 砒霜石は、南の地方でとれる石のことで、これにはかなり高い毒素があるらしい。だが銀の器を使うと、銀が黒ずみ入っているかどうかわかるようだ。

 毒物の中でも、附子トリカブトなどの植物と違ってあまり知られていないのだと、花鈴ファーリンは言った。

『砒霜石は即効性なので、さきに毒味役が倒れそうではあるのですが』

 目標を確実に仕留めるなら、私は遅効性の毒使いますねー! フグとかー! と、笑顔で言うのだった。怖いわ。


 

 恐らく、僕に毒を仕込もうとしたのは、外戚派だ。

 美雨メイユーが一向に他の貴公と関係を結ばないから、僕を排除しようと考えたのだろう。あるいは、今回は脅迫のつもりなのかもしれない。僕に皇帝の伴侶を辞退しろ、という。するかばーか。

 美雨メイユーに黙っているのは、これを聞けば、僕らの警護に叔英シューインをつけるのが目に見えているからだ。

 彼はあくまで皇帝の護衛だ。僕の護衛じゃない。それに、彼女が一番狙われる可能性が高い。僕を排除したいのが外戚なら、彼女を暗殺したいのは豪族派だろう。そのための毒に強い叔英シューインだ。

 代わりに、李太皇太后が阿嘉アジャの近くに居てくれるようになった。彼女からは何も聞いていないが、恐らく不穏な空気を感じ取って動いてくれたのだろう。彼女が近くに入れば、阿嘉アジャが手出しされることはない。

 

 後は僕が気をつけていればいい。そう思っていた。

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