華氏451° 少し読んだ

みなさんどうもこんにちは


連日暑くてHPがじわじわ減っているのを体感している私です




「華氏451°」というのはレイ・ブラットベリさんが書いたディストピアSF小説です


1953年に出版されました


華氏451°を私たちに馴染みの深い摂氏に変換すると約232.8℃


紙が自然発火する温度です



本が規制された世界で、本を焼く仕事についている主人公が、不思議な少女に出会い、主人公が変化していく…みたいなお話です



まだまだ読めていないので、どう言えばいいのかわかんないんですよ…


それで読み終わったところに現代を示唆しているようなセリフがたんまりありましてビビりました



ざっくり書くと



1頭を使うことは減り、あるいは簡単に、短く、考えずに済むようにまとめられた


2配慮に配慮を重ねた結果、全てダメになった


3みんな形が一緒、みんな幸せが一緒、だからそれいっしょを壊す知識は危険だ


4葬式は悲しい、異教の香りがする なくしてしまえばいい。個人も偲んでは悲しい、忘れてしまえ


5哲学や社会学を学んだ先にあるのは、憂鬱だ



だいたいこんな感じです 本文は著者が詩人なことも相まって、これの1000万倍以上面白いです




後半は置いておくとして、1や2くらいはなんだか現実っぽくないですか?



前奏の無くなっていく音楽、テンプレで量産されたシナリオ、AIによって作り出された似たような絵


人種にLGBTQ+、多様性、多様性、

配慮配慮配慮。



なんだか読んでいて背筋が凍りつきました



もちろん、上にあげた全てが悪いとは言っていません


今の社会にあった形のものだ。けれど、行きすぎてしまうと、全ては規制されてしまわないか?と、勘繰ってしまったのです




もうすぐ半分に行くか行かないかくらいのところまで読んだのですが、主人公たちの生活が、文明的なのにどこか空虚な感じがするのです


同じような仕事を繰り返し、受動的に娯楽を受け取り続ける。

電車の中で聞こえる会話は、止めどなく、中身がない。



もちろん、私は学生程度のものですので、社会のことはよくは知りません


ですが、電車での会話が、学校での会話と似ているのです


みんな、「あの漫画が面白い」とか「あの新曲よかった」とか、でも、その先に踏み込もうとはしない


作ろうとしない



作る楽しさを知っているからでしょうか、簡単に超えられる白線一本を、みんなが尻込みして後ずさっているように見えるんです



白線の分厚さは、1ミリあるかないか。すぐに元の生活にも戻れる。才能だって、だいたいの人は持っていない。諦めたって、それが正常なのです


努力している才能持ちには勝てっこないです


そんな簡単な一歩だ。でも「作る」という発想がない



なんとも奇妙だな、と読みながら思いました


私は受動的でいるとムカムカしてしまうたちなので、それもあるのでしょうけれど、でもやっぱりそう思いました





こんな風に現代社会に当てはまってしまう風刺の小説が、1953年に発売されているのは、いつの時代もこんなもんだよという表れでしょうか



曲のタイプも絵のタイプも小説のタイプも、変化しているということは、作る人がしっかり存在していることの証明です



喜ばしいこと、と、思えたらいいですね




それではここいらで

読み終わったらちゃんと感想文みたいな感じで書こうと思います

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