ティータイムは夜9時にあの部屋で

お粥さんつ!

第1話 ティータイムの時間

───この扉の先に、あなたの記憶は眠っている。


9つの扉に囲まれた、丸く真っ白な部屋。

この世の物とは思えない空間に僕は立っていた。


目の前には9つのうちの1つの扉。

ドアノブに手をかけた瞬間、背後にいた少女の声が聞こえた。


───行ってらっしゃい、忘れ記憶を取り戻す旅へ。





何かを、忘れている。

そんな違和感を覚えながら、僕は今を生きている。


「何なんだろうなぁ……一体。」


教室の隅で、僕はそう一言呟く。


その違和感を覚えたのは最近の事だ。

僕はつい最近まで交通事故で入院していた。

だいたいその辺から、何か…何かを忘れているような気がする。


所謂、記憶障害。

医者によれば、事故の時に頭を打った影響らしい。お陰で事故以前の記憶が殆どない。


そう、事故前の記憶は殆ど覚えていない。

そしてその中に、何か……何か……絶対忘れては行けない物がある気がして。


その違和感を覚えながら僕は生きている。


「ちょっと…ねぇちょっと!」


などと、ボーッと考え事をしていたら声をかけられた。


視線を向けると、1人の少女が心配そうな顔をしながら僕の事を見つめていた。


「ねぇ聞いてるの!?優、あんた最近なんかおかしいよ。」


優……。


「あぁそうか、僕の名前は 鍵山 優、だったな。」


自分の名前すら忘れてしまったようだ。

彼女のお陰で思い出したが、所で彼女は一体誰だっただろう。


「また忘れたの……?私は虚白 雪こはく ゆき!貴方の大切な人だよ!」


必死に訴えかける雪。


「大切な人…大切な人か。」


大切な人、それが事故以前にある、大切な忘れてはいけない何か、その何かなのだろうか?


「そうだよ、私は貴方の恋人、大切な人。もう忘れちゃダメだよ……?」


少し悲しそうに言う雪。

これだけ言うんだから本当なのだろうけど…それでも拭いきれない違和感を感じる。


でも今は、これ以上首を傾げるには酷な程、雪が悲しそうな表情をしていた。


「あぁ…そうだな、雪は恋人で大切な人。もう忘れないよ」


だから僕はそう返答する。


「うん、私と貴方は恋人。記憶障害だって2人で力を合わせれば乗り越えられる。一緒に思い出していこうね?」


今のやり取りの通り、彼女の名前を忘れる事だって初めてじゃない。

それでも雪は見放さずいつもこう言ってくれるので、本当にありがたいと思う。


「ねぇ、優。今日は一緒に帰らない?」


提案をする雪。


「一緒に帰る?」


その提案の意図が分からず、僕は質問で返す。


「記憶障害になってからさ、恋人らしい事何もして無かったなって。だから今日は一緒に帰ろうよ!そしたら何か思い出すかもだし。」


確かに、僕と雪が恋人なのだとしたら…何度も一緒に帰ったはずだ。

もしかしたら、忘れている何かを思い出せるかもしれない。


でもひとつ、懸念点があった。


「あれ……でも雪って今日本屋で9時までバイトじゃなかったけ。」


すると、雪がジトっとこちらを見つめる。


「そ、こ、は、いつも恋人の名前を忘れる優への罰ゲームだよ。毎回恋人に名前を忘れられるって結構悲しいんだからね?」


そう言われると何も言い返せない。

確かにその通りである……。


「店長には話を通しておくからさ、立ち読みしとかして待っててよ。記憶に関する本も置いてた気がするし。それじゃ、そういう事でよろしくね!」


そう言うと、雪はそのまま元気よく席へ戻って行くのだった。





そうして、僕は言われた通り雪の働いている本屋まで来ていた。


雪が働いているのは、少し古い昔ながらの本屋さんで、雪が子供の頃よく絵本を買っていたらしい。


なんでも店長さんが足を悪くしたそうで、丁度バイトを探していた雪が手伝いを申し出て働く形になったそうだ。


そういう経緯もあって、雪はバイトながらも多少の融通は聞くので、事情を話して僕の立ち読みは許可が出ているのだ。


雪に言われた通り、僕は本屋でゆっくりと時間を過ごす。忘れた何か、をずっと考えている最近の僕にとっては、この落ち着いた本屋は最高の環境かもしれない。


「そうだ。」


思い出したように、ひとりでに呟く。

雪が言っていたように記憶に関する本を手に取ってみよう。


難しい本が並んでいそうなコーナーへと移動して探してみると、何やらそれらしいタイトルの本を手に取り、少しばかり読んでみる。


「むぐぐ……。」


しかしダメだ、難しすぎてまともに読んでいられない。

堪らず元の位置に本を戻す。

この本で何か手掛かりを掴めたらと思ったのだが、中々そうと行かない様だ。


時刻は夜の8時30分。


雪のバイトが終わるまでは残り30分。

はてどう過ごそうか。


「面白そうな小説でも読むか。」


適当に目に映った小説を手に取りページをめくる。

その小説が面白く、時間は体感よりも早く流れて行った……。





ふとした瞬間に時計を見る。

時刻は8時58分。本を読んでいると本当に時間が過ぎるのが早い。

本を元の位置に戻し、カウンターに立っている雪の方へと目をやる。


雪もそれに気付いたようで


「店長、そろそろ上がる準備しますね!」


と、少し嬉しそうに言う。


「いつもありがとうね、お疲れ様。」


店長も微笑ましいといった表情で頷く。

さて、これでそろそろ一緒に帰ることになるのだが


「…何か思い出せるといいな。」


と、僕が呟いた瞬間だった。

ゴーンゴーンと古びいた時計の音が鳴る。


時刻はピッタリ、夜の9時。


……瞬間。


「あ……れ?」


視界が歪む。

強烈な睡魔が僕を襲う……。


なんとか体勢を保とうと本棚に寄り掛かるが…身体が重く…重力に潰されるように身体が床へと落ちてゆく。


遠くから聞こえる雪の声を最後に……僕の意識は深く…深く落ちてゆくのだった。






「ん……。」


ゆっくりと視界が開ける。

視界に映ったのは……


「白……?」


視界に映ったのは白い天井。


最初こそボーッと白い天井を眺めていたが、少し時間を開けて飛び起きる。


「…なんだよこの部屋。」


見渡すと、ここは丸い形をした部屋で…9つの壁に囲まれていた。中央には椅子と机があって、机の上にはティーセットが置かれている。


それ以外は真っ白な白い壁で……とてもこの世にある部屋とは思えなかった。


「一体…ここは。」


僕がそうつぶやくと…背後から声が響いた。


「茶会へようこそ、ティータイムの時間だよ。」


透き通ったその声の方向に振り向く。

そこには…真っ白な服を着た小さな少女が立っていた。


「誰だ……お前。」


その問いに、少女は笑いながら答える。


「私はこの部屋の支配人。いらっしゃい、鍵山 優君。ここは記憶の旅に出る前の待合室。9つの扉の先には貴方の記憶のストーリーが待っている。」


そう言いながら、少女は中央の椅子に座る。


「さぁ、始めようよ。鍵山 優君。この茶会の部屋から……」


───貴方の忘れた記憶を取り戻す旅を。










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ティータイムは夜9時にあの部屋で お粥さんつ! @kayuyomu

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