第9話 九州小倉 帯刀土門

 小倉は混沌としていた。物資の不足、敗戦の影響による流通の混乱、ハイパーインフレ、加えて帰国した傷痍軍人の流入による人口過多は社会の大きな問題になっていた。

これは日本各地の都市部の共通の問題ではあったが、特に博多ではやくざ者の人数の多さが混乱に拍車をかけた。彼らは、米軍の物資の横流し、博打、売春の取り仕切りで生業を立てていたが、縄張り、横流し物資の奪い合いに日々血で血を流す闘争に明け暮れていた。やくざ者の中には「特攻隊くずれ」のような命知らずも多数含まれていたため、闘争は時には死者のでる騒ぎであった。それはある意味、人間の活気であるともいえたが、一般市民にとってはいい迷惑であった。

その混乱の中に帯刀土門元中佐と二人のドイツ人の弟子は身を置いていた。

かつて東アフリカ会戦、バミューダ諸島攻略戦において敵巨人兵器と共に戦い勝利した三人ではあったが、食糧確保という生存のための戦いには苦労していた。特にドイツ人の二人は目立ちすぎた。ナチス戦犯を捜す過程において彼らが標的にされることは目に見えていた。自然、外に出て食料や現金の確保のための動きは帯刀一人しか出来ず、二人は山間部に身を隠し農作業で作物を作るほか無かった。そういう状況下、帯刀が選んだのはやくざの用心棒という道だった。手っ取り早く三人分の食料を得るにはこれ以上実入りの良い仕事はなかった。そのような仕事に身をやつさざるを得ないことに帯刀は納得しているわけではなかった。ただ、わずかな時間に稽古をつけるドイツ人二人の実力がめきめきと上達することに満足していた。

生きることとは、納得できることばかりではない、時に苦しみ時に楽しみ、それのバランスの上に成り立っている。そう割り切っての上での選択した道だった。

ただし、やくざの用心棒という身分に身をやつしても、武道家としての誇りと未来を捨てはしなかった。すなわち、「殺生はしない」ということである。帯刀の前に立ちはだかるのは実力としては皆格下ばかりである。峰打ちで相手を倒し、戦闘不能に追い込む、それで十分であり、殺す必要など全くなかった。そして、やくざであったと言うことが世間に知れても、まだ何とか許される可能性はあるが、殺人まで侵してしまえば、日の当たるところに出ることは絶望的である。二人の弟子のためにもそれだけは何とか避けねばならなかった。

その日、帯刀の所属する「岡田組」と対立する「橋善一家」は昼日中から抗争事件を起こしていた。岡田組が、米軍から横流ししてもらった物資を輸送中の橋善組を急襲したのである。米軍払い下げのトラックに満載された缶詰を奪うために、つるはし、シャベルはもとより、拳銃、日本刀まで持ち出しての殴り込みであった。死者がでない方がおかしい喧嘩である。その場に帯刀も参加していた。拳銃の発砲が合図となりトラックに群がった岡田組組員はあっという間に運転手を引き釣り下ろし、運転席を奪った。銃の発砲で一時ひるんでいた橋善一家はすぐに逆襲に出た。懐から拳銃を出し岡田組に狙いをつける。だが発砲の直前に帯刀が走り寄り、その拳銃をさやに指したままの日本刀でたたき落とした。続いて付近にいた武装した橋善一家組員を優先して叩いてまわる。銃を落とし、つるはしをたたき折り、刀を奪い取った。その動きは軍隊時代に一切引けをとっていなかった。

しかも、一人として殺してはいなかった。せいぜいが打撲程度でその場で戦闘続行が不可能になる程度であった。明らかに手加減である。相当に力の差が無ければ出来ない芸当であった。

物陰からその姿を見ている人物がいた。

黒葉真風である。

部下を先行させて1週間ほどで帯刀元中佐を見つけることは出来た。道場を見つけることは出来なかったが、恐ろしく剣の腕の立つ用心棒の存在はすぐにかぎつけることが出来た。そしてその用心棒が帯刀本人であることに確信を得るまでにそれだけの時間がかかっていた。そしてこの仕事は絶対に成功させなければならなかった。この作戦成功の報酬が一族郎党の常時雇用の確約だったからである。「生活の安定」これこそ、昔からの忍びの望むことであった。江戸時代初期に幕府お抱えとなった伊賀、甲賀の一部一族を覗けばほとんどが臨時雇いであった忍びにとって、お抱えになると言うことは子孫の職も保証されると言うことであり、繁栄の約束でもあった。今の時代に子孫まで雇用するという約束は出来ることではないが、最後までついてきてくれた部下たちに安定した収入を与えてやれることは真風にとって喜びでもあった。それゆえに必ずの成功が必要であった。

おせんの店と組内で呼ばれる小料理屋で、岡田組は勝利の余韻に浸っていた。

バクダンと呼ばれる粗悪な焼酎をコップになみなみと注ぎ、一気に煽る。ある者は軍歌をがなり、ある者は箸と皿で拍子を取る。勝利の美酒を味わう楽しい時間だった。

この場に帯刀も参加していた。酒は飲まないがこういう付き合いに顔を出すことは人間関係を保つ上で極めて重要だった。普段はあまり顔を合わせない者、言葉を交わすことの少ない者とも酒の力を借りてたやすく会話することが出来るのである。

案の定、三下扱いされ普段は帯刀に近寄りもしない若者が話しかけてきた。

「先生の腕はたいしたもんじゃのう。あの凄い技で今まで何人切り殺したんですかいのう」

ぶしつけな質問であった。酒の力で顔は真っ赤で、口からは安酒の臭いが漂っていた。

だが、帯刀はこんな若者が嫌いではなかった。

「切ってやろうか。痛みを感じるまもなくあの世へいけるぞ」

にやりと笑って返事をした。

「ひえ~、おっかねえ」

若者は大げさに声を上げ逃げるように去って行った。

帯刀は楽しそうに笑い、水をすする。いつ抗争が起きるかわからない今、安穏とするわけにはいかない。決してアルコールを口に入れることはない。危険は遙かに高いが、戦闘に入る時間の予想できた戦地の方がよく飲んでいたことを思い出し苦笑もした。

最も戦地では飲まずにはやっていられない大きなストレスがあったことも確かなのだが。

宴の帰り道、月明かりの中、帯刀はゆっくりと歩いていた。付近の家々の明かりはすでに消え、月だけが帯刀を導いていた。やがて、弟子たちの待つ小山の辺りにたどり着くと、帯刀は不意に後ろを振り向いた。

「俺に何のようだ?」

闇の中に声をかけた。辺りには虫の声しかなく、人の姿どころか家も一軒も建っていない。

帯刀を声をかけたあとしばらく待った。反応がないことを確認すると再び闇に声をかけた。

「むやみに近寄れば斬る。俺の行動を見ていたお前らならそれはわかるはずだ」

帯刀は闇をじっとにらむ。そして反応があった。

「私どもを斬る、それはないですね。あなたを観察した限り、むやみな殺生をされる方ではありません」

闇から現れたのは、黒葉真風と二人の部下だった。

「穏行の技術から見て、忍びか。まだそんな者が生き残っていたとはな。手練れ三人、手間はとるが負ける気は無いぞ」

最後の言葉には圧倒的な気迫を乗せていた。これは相手の反応を見るためだった。

これに震えるようなら実力は低い与しやすい相手と言えた。帯刀と同じように気迫で攻めてくるなら、相当の覚悟で向かわなければならない実力者と言えた。だが、三人の反応はどちらでもなかった。

「お試しするようなことをして申し訳ございませんでした。帯刀土門様とお見受けします。お迎えに上がりました」

三人はひざまずき、詫びの言葉を述べたが気持ちはこもっていないのがありありと見て取れた。

「俺の本名をしっている上に迎えに来たとはどういうことだ」

帯刀はこの時点で何が起きようとしているか推測はつけていた。だが、相手に言葉にさせることに意味を見いだしていた。思い込みで動くことは危険であることを戦争を通して身をもってしっていたのだ。

「中佐はすでにおわかりのはず。明石平八郎大佐より、出頭せよとのご命令です」

真風はさらりと言ってのけた。帯刀の思惑を察しそれに乗ったのである。

帯刀は数秒の間黙り込んだ。この数秒で自分たちの未来に関して、過去の戦いに関して、属している組に関して、あらゆる可能性を考えていた。

「戦うのは異星人か、それとも地球人か」

それに真風はすぐさま返答した。

「私どもは所詮傭われの身。あなた様をお迎えするのが仕事。それ以外のことは何も知らされてはいません」

そう答えて、一拍おいてさらに言葉を続けた。

「ですが、これは私の推測ですが、今回に限って言えば相手は「石切場の賢人」であろうと思います」

「根拠はなんだ」

「これは私の独断でお話しいたしますが、先日室蘭のドックが石切場の賢人に襲われました。それが原因で明石大佐は帯刀様をお捜しになったのだと思います」

真風のその言葉で帯刀は結論を出した。

「行こう」

この返事があることを予想していた真風はすでに手を打っていた。

「岡田組、橋善一家の抗争は部下が始末をつけます。ご安心を」

真風の言葉が出た途端に二人の男の気配は遠のいていった。

数日後、抗争が手打ちになったことを東京に向かう列車の中で帯刀は知ることとなった。

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