第39話 俺が役立たずの従者と呼ばれていた頃 3



 アッシュ子爵は「こいつが……こいつが悪いんだ。こいつの所為で……」ブツブツ言っているが、抵抗はなかった。気でも狂ったのか、放心状態のように見える。


 ラビは侯爵の元に駆け寄り、その手を血で真っ赤に濡らした。


「誰か!! 誰か来て!!! エイデン侯爵が刺された!!! 警備と医者を!!! 早く!!!」


 ラビは声を張り上げながら会場に駆け込んだ。

 突然の事態にぽけんとする人たちの中で、まず真っ先に動いてくれたのは、ギルバート様だった。


 状況を飲み込めない男爵の代わりに使用人たちに指示を出し、俺から子爵を引き離して彼を拘束。腹を押さえて蹲るエイデン侯爵に応急措置を施し、本邸の客室へと運ばせた。他の招待客の目には触れないようにと配慮しながら。

 鮮やかなものだった。こんな緊急事態にあって、彼だけが冷静そのものに見えた。


 やがて医者が駆けつけ、侯爵の運ばれた部屋の中へ入っていく。俺とラビとギルバート様は、部屋の外で待つことになった。


「ラビ、大丈夫か? まさかお前も怪我を――――……」

「ううん……大丈夫。どこも怪我してない」


 ラビは青ざめた顔で、目は焦点が定まらず、虚ろだった。

 あんな現場に居合わせてしまったんだ。ショックを受けるのも当然だろう。


「……部屋で休んだらどうだい? 手当は時間がかかるだろうし……」

「いや……ここにいる」


 僕の提案に、彼女は静かに首を横に振った。

 ギルバート様はそんな彼女を不安そうに見つめ「無理はするなよ」と彼女の肩を抱いた。


「お養父様は!? お養父様は無事なの!?」


 遅れて、シャーロット様が駆け込む。来る途中に一度コケたのか、髪もドレスも乱れ、靴を脱いで手に持っていた。


「ねえどうなの!? あんたが傍にいたのに何してんのよ!? 答えなさいよこの役立たず!!」


 ぐうの音も出ない。今ばかりは。

 確かに俺は傍にいた。なのに何も出来なかった。従者として、侯爵を守ることは俺の役目であったはずなのに。


「この馬鹿! 役立たず! あんたなんてクビよクビ!!」

「申し訳ありません……」

「落ち着いてください、シャーロット嬢」


 叫び続けるシャーロット様を、ギルバート様が宥める。


「侯爵は手当を受けているところです。心配なのはわかりますが、ここで騒ぎ立てても結果は同じこと。今は信じるしかありません」

「ッ…………あんたが、ついていながら……」


 シャーロット様は目に涙をためながら俺を睨み付け、それから顔を逸らした。うろうろとあっちへこっちへ歩いた後、少し離れた廊下の先で立ち止まり、その場に座り込んだ。


 ギルバート様はそんな彼女を一瞥し、声を潜めた。


「……心当たりはあるのか? パーティー会場で名のある貴族が貴族に刺されるなど、聞いたこともない」

「わかりません。……グレイス様のことがあった直後は、脅迫や殺害予告のようなものも確かにありましたが……」


 聖女を失ったのは、エイデン侯爵の所為だ、と。

 その所為で、助かるはずだった命が消えていったのだ、と。


 難病や怪我で苦しむ者やその家族にとって、聖女は希望の光だった。グレイス様は病気がちであった為に人前に姿を現すこともできなかったが、元来聖女というのは、その力を積極的に人々のために使ってきた。

 グレイス様が大人になって体がお強くなれば、きっと力も使えるようになるはずだと、それを励みに辛い生活を耐える者もいた。


 それが、グレイス様の死で、完全に絶たれてしまった。

 だから脅迫や殺害予告があった訳だが、今ではそれも過去のこととなり、そんなものはもう随分届いていない。


 それにあの子爵とは手紙のやり取りこそあったが、それも至って平凡で平和なものだったはずだ。間違っても脅迫であったはずがない。


「……まあ、何を話したところでわかる訳もないか。人を刺すなど狂った奴のすることだ。そんな奴の思考など考えたところで無駄だな」


 ギルバート様はため息を吐き、グシャグシャと髪を掻きむしった。

 ラビは、じっと一点を見つめたまま、黙っていた。


 それからしばらくして、医者が部屋から出てきた。俺たちを見て、彼は暗い表情を浮かべた。


「傷が内臓にまで達しています。出血も多い。手は尽くしましたが、かなり危険な状態です」

「……助かる見込みは」

「……数日、様子を見ましょう。回復するかは侯爵次第です」


 シャーロット様は唇をわなわなと震わせ、「嘘よ! 嘘……!」泣きながら部屋の中に駆け込んだ。医者が慌てて「お嬢様! まだ中には――――」とその後を追う。


 部屋の中は血だらけだった。エイデン侯爵は赤く染まったベッドに横たわったまま、ピクリとも動かない。その目は固く閉ざされ、顔は血の気がなく真っ白だ。

 まだ息はあると医者は言うが、これじゃ本当に死んでしまったようだった。


「お養父様! お養父様シャーロットです! 目を開けてください!!」

「お嬢様、離れてください。まだ手当は終わったばかりですから、今は安静に――――」

「私を置いていかないでください!!」


 わんわん泣きながら縋り付くシャーロット様を、医者たちが何とか引き離そうとしている。――――その様子を見ながら、俺は結局動けなかった。理解できなかった。どうして突然こんなことになってしまったのか、これは本当に現実なのか、悪い夢でも見ているんじゃないか――……頭がぼんやりして、考えることができない。


「…………シャーロット様、こちらへ。まずは侯爵様を別室へ――――」

「煩い煩い煩い!! あんたはどっかいって! この役立たず!!」

「シャーロット様」


 俺だって、本当は彼女みたいに泣き叫びたい。

 こんなことになるなんて誰が想像できた?

 グレイス様の時と同じだ。あの時だって、まさかあんな悲劇が起きるなんて、誰も思ってもいなかった。


 幼い子どもみたいに泣きじゃくるシャーロット様を、何とか引き離した時だった。






「…………お父様」






 ぽつりと、誰かがそう零した。

 シャーロット様じゃない。驚いて振り返ると、さっきまで何も喋らなかったラビが、じっとエイデン侯爵を見下ろし、ゆっくりと彼に近寄った。



「ラビ、どうし――――――」



 彼女の瞳からぽたりと涙が零れる。と同時に、瞬く間に光が満ちた。

 脳裏に浮かぶのは、18年前の聖女の奇跡。あれを彷彿とさせる、美しい銀の光が。


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