第35話 あたしが専属メイドと呼ばれていた頃 16


 その夜、本邸ではささやかなお別れのパーティーが開かれた。

 この日まで残っていた滞在客たちは皆、明日の朝にはそれぞれの領地に帰っていく。


 あたしは、じっとパーティー会場を見上げた。本邸に併設されたその会場は、ダンスパーティーなんかを開く時にだけ使われるもので、巨大で煌びやかで贅の限りを尽くされたそれは、まさに成金趣味って感じがする。

 もちろんあたしは今まで入ったことはないし(パーティーの準備でもお呼びが掛かったことがないから)解放奴隷の身であるあたしには、遠すぎる場所だった。


「緊張するか?」


 隣で、ギルバートがあたしの顔を覗きこむ。

 あたしは「ハッ」と笑い飛ばした。


「緊張する訳ないでしょ。ワクワクしてますよ。あたし、一度くらいこういう場に出てみるのもありだなって思ってましたから。そんでお綺麗なお貴族様たちをぎゃふんと言わせる! 楽しみですねえ」

「それは楽しみだな。ダンスも踊れるか?」

「もちろん! あたしダンスは得意ですよ? こんなお綺麗な場所じゃありませんけど、奴隷時代に散々やりましたからねえ。ちゃんとした社交ダンスもなんとな~くわかります」


 奴隷時代のダンスなんて、主にご主人様を喜ばせるためのものだけど。

 死体漁りよりはマシな部類でも、あれはあれで本気で思い出したくない過去の一つだ。


 ギルバートは僅かに目を見開いた。


「へえ、知らないことばっかりだな、お前のこと」

「秘密が多い方がいいでしょ?」


 あたしは一つウィンクして、それからすっと胸を張った。


 人生で最初の最後の、ダンスパーティー。

 思いきり楽しみ尽くして、後のことは考えない。


 今夜のあたしは、偽貴族。貴族の中に紛れたまがい物。でも誰よりも、貴族らしい振る舞いで度肝を抜かせてやる。


 普段よりずっと落ち着いた声音で、あたしはギルバートに微笑んだ。


「では、参りましょうか。ギルバート」

「……ああ」


 嘘吐きだらけのダンスパーティーが、始まった。




――――――――――

――――――――――――――――



 ダンス会場には、すでにエイデン侯爵とシャーロットの姿もあった。その傍らには、チャールズもきちんと正装で控えている。

 シャーロットは、ギルバートが部屋まで迎えに来なかったことをぷりぷりした様子で怒っている。


 あたしとギルバートは頷きあい、三人に近づいた。

 シャーロットの目が、驚愕に見開かれる。


「なッ……貴女、なんで――――」

「シャーロット様、この度はダンスパーティーを発案してくださってありがとうございます。ギルの誕生日パーティーには参加できなかったものですから、こうして彼と一緒にパーティーに参加できて、こんな嬉しいことはございませんわ」


 あたしは全力で自分を作った。転生して一度もやったことのない、いかにも害のなさそ~な笑顔と猫なで声で、ゆっくりと挨拶する。

 シャーロットは唇をわなわなと震わせ、エイデン侯爵とチャールズはぽかんと目を丸くしている。


「君は……」

「ああ、エイデン侯爵閣下。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。ワタクシ、ギルバートの侍女をしております、ラビと申します。昼間はろくに挨拶もできず、大変失礼を致しました。少し緊張してしまったみたいで……お恥ずかしい限りです。こうしてきちんとお顔を合わせることができて、本当に嬉しいですわ」


 隣でギルバートが、噴き出す寸前。

 誰だお前、という声が聞こえてきそうだ。


「ええと、そうか。その、どうして侍女が、ダンスパーティーに……?」


 もっともな侯爵の疑問に、ギルバートがにこやかに答える。


「エイデン侯爵閣下、ラビは俺の大切な人です。俺は彼女を妻にしたいと考えています」


 妻。

 突然の「妻」発言に、今度はあたしが噴き出すところだった。


「んんッ……ギル? 待って、妻って、ちょっと待って」

「お互い結婚のできる年齢だ。何も問題はないだろう」


 問題しかないわ。それは話が飛躍し過ぎでしょうギルバート。

 あたしはあくまで今夜限りのパートナー。それで結婚の話をなかったことに、ついでにムカつく侯爵家の連中をぎゃふんと言わせる、って、そういう話じゃなかったっけ?


 侯爵は驚いた様子で固まっている。


「侍女と、結婚、か……?」

「ああいえ、まだ結婚までは――――」

「俺は彼女を愛しています。ですから侯爵、申し訳ありませんが、シャーロット様と結婚することは致しかねます。お嬢様には、俺よりよほど相応しい御方がおられるかと」

「…………そう、か」


 あたしとギルをじっと見比べて、「そういうことなら……仕方あるまい」と、侯爵は意外にもあっさり、諦めた。

 我慢できないと、怒り狂ったのはシャーロットだ。


「どういうこと!? こんなの認められる訳ないでしょ!? 侍女と結婚ですって!? あり得ない!! しかもこの侍女、ただの侍女じゃないのよ!? 解放奴隷って訳ありの――――」

「お嬢様」

「煩い! チャールズは黙ってて!!」


 あらあら、こんなに騒いじゃってたーのしー。可愛い顔が台無しじゃない。

 にやにやしながら事の成り行きを見守っていると、背後からまた別の慌てた声が掛けられた。


「ギ、ギルバート!? どういうことだ!? おい、なぜあのメイドがここにいる!?」


 騒ぎを聞きつけたらしい、男爵が酷く慌てた様子で駆けつけてきた。

 あたしを見る目はまるで鬼のよう。

 あたしはその顔に、にっこり微笑みかけた。


「男爵閣下、ご機嫌よう」

「どういうつもりだ!? ギルバートを誑かすのもいい加減にしろ! お前はさっさと出てい――――」

「父上、覚えておいででないかもしれませんが、病気で死の淵にあった俺を見捨てず、ずっと傍にいてくれたのはラビだけです」

「うッ……」

「貴方は早々に葬式の準備を始めていましたね。俺が忘れたとお思いで?」

「そ、それは……」


 男爵はぎりぎりと歯を剥き出しにして言葉を失い、ギルバートは満足そうに微笑んだ。


「では、早速ダンスパーティーを楽しみましょう。な、ラビ」

「ええ、ギルバート」


 怒りと困惑と落胆がない交ぜになった視線を感じながら、あたしはギルバートと手を取り合い、ステージに向かった。

 そして緩やかに、楽団の演奏が始まったのだった。

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