第29話 雅人と柏木(1)


 一週間後。

 昼休み。屋上。


 気がつけば、一週間。

 何でも無い一週間が過ぎてしまった。


「――はあ」

「どうした雅人」

 京介は雅人のため息を聞くなり、都合が悪そうな顔をする。

「うーん、いやため息をつきたい気持ちなんだよ」

 手すりの先に見える大空。

 自分と言う人間は小さいのだ。この空の下では。

「はーはー」

 やる気が無さそうな相槌を打った。

「柏木はどうなんだよ」

 先日の詩織と京介の彼女との会話を雅人は思い出す。


 その後、彼女はどうなったのか。

 しかし、不思議と問い詰める気にはならなかった。


「んー、エブリデイ彼女――だけど?」

 とぼけた顔で首を傾げる。

 相変わらず、ふざけた奴だ。

「いちいち英語で言うなよ」

「まあ、聞かれたから? ――で、お前は……良くなさそうだな」

「何だよ、良くなさそうなって」

 京介の下らない言葉にも、雅人は食い気味になっていた。

 だって、図星なのだから。


 クラスメイトの死から一週間。

 その間、詩織は一切、雅人に話しかけて来なかったのだ。


 彼女からの誘いが無い限り、僕らが二人になる機会は無い。


 僕から彼女に。

 二日目でそれを考えたが、彼女は優等生で委員長の神崎詩織だ。


 何も取り柄のない僕から彼女に話しかけて、クラスメイトから下手な詮索をされるのは、彼女に悪い。


 彼女と話しかける前に戻った様な。 

 雅人は天国から地獄へ落とされた気分だった。


「熟女からの連絡が途絶えたか?」


 せっかく卒業させてもらったのにな。

 小馬鹿にする様に京介は付け足した。


「――まあ、そんなもんだよ」


 半分正解。

 実は本当のことを知っているんじゃないかと疑ってしまう。


「飽きられたんじゃないか?」

「飽きられた? 僕に飽きたってこと?」


 一理ある。

 所詮、僕は彼女に釣り合わない存在なのだ。


 可も不可も無い、至って普通の僕。

 才色兼備で委員長の彼女。


 二人で歩いていても絵にはならない。

 それに比べて目の前にいる柏木なら、彼女と歩いていても絵になった。


 ――どうせ、僕はそれを眺める立場なのだ。


「そうだよ。まあ――どんまい」


 慰める様に肩を叩く。

 慰めている割に力が強かった。


「本当に慰めている?」

 言葉に心がこもっている様には思えなかったけど。

「――当たり前だろ」

「嘘っぽい」

 特にその一瞬の間だよ。

 柏木、わざとやっているだろ。

「それで、お前はどうしたいんだ?」

「どうしたい?」

 何に対してなのか。

 今の雅人には見当がつかなかった。

「珍しいじゃないか、佐伯雅人。お前が何かを望むなんて」

 どこか嬉しそうに京介は微笑む。

「珍しい――僕が?」

 どこも珍しくないと思うけど、僕と言う人間は。

「今まで見た限り、お前は空っぽだった。正直、こいつそのうち死ぬんじゃないかって思うくらいだよ」

「そ、そんなに?」

 図星。思わず声が裏返った。

「ああ。何て言うんだろうな…雰囲気? 心がこもっていない目つき?」

「ほお」

 雅人は感心した声を漏らす。


 同じ目をしている。

 詩織が言ったその言葉。

 もしかして、僕らは心がこもっていない目をしていたのだろうか。


 ――実際、それがどんな目なのかはわからないけど。


「でも、今はそんな目には見えない」

「そうかな?」

 実感は無い。意識したことも無かった。


「――何がお前を変えた?」


 眉間にしわを寄せ、解せない様な眼差しを京介は向けた。


「何が僕を――変えた?」


 死にたいと思う日々。

 そんな僕の日々を変えたもの。


 無論、答えは一つだ。


 彼女が僕を変えた。

 神崎詩織が僕の人生を変えたのだ。


「なあ、雅人」

「ん?」

「入学してから、趣味も違う俺がどうしてお前に話しかけていたかわかるか?」

「……わからない」

 類は友を呼ぶと言うが、京介とは類の一欠けらも感じない。


 確かに不思議な話だった。

 明らかに派閥が違う君が、なぜ僕に話しかけて来るのか。


「かつての俺と同じ目をしていたからだよ」

 淡々と告げると、京介は逃げる様にその場を去って行った。


 どう言う意味。

 雅人が聞き返そうとすると、京介は背を向けたまま、右手を振っていた。

 

 僕しかいない屋上。

 手すりにもたれ、空を見上げる。


 雲一つない快晴。


 僕はこの空が嫌いだ。

 不純物の無いこの空が。


「かつて――か」


 つまり、彼は超えたのだ。

 この日々を、この感情を。


 雅人は思いつめた様に大きくため息をついた。



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