第6話 キュン探しの終わり

 僕の寝ている病室に入ってくるのは、看護師さんか医者の先生か家族。あとは、裕二くらいのものだ。

 だから、それ以外の人がここにいるのは、本当に珍しい。


「体調、もう大丈夫? キツかったりしない?」


 僕の様子を見ながら、心配そうに尋ねる川井さん。彼女からのメッセージには、明日お見舞いに行っていいかとあって、そうして今に至るというわけだ。

 川井さんからすれば、最後に僕の姿を見たのは救急車に乗って運ばれる姿だったんだから、不安になるのも当然かもしれない。


「今はもう落ち着いてる。ごめんね、心配かけて」

「うん。友野くんからだいたいの事情は聞いたけど、びっくりしたよ。でも、無事でよかった」


 川井さんはそう言うけど、僕にはもうひとつ、彼女に謝らなきゃならないことがある。

 だけどそれを告げるより先に、彼女の方から口を開いた。


「池野くんがキュンとしたがっていたのって、もしかして病気のことがあったから?」


 どうやら川井さんは、既に何もかもお見通しのようだ。


「うん。何かある前に、一度でいいからキュンを体験してみたかったんだ。ごめんね、変なことに巻き込んで」

「謝らないでよ。私だってそんなことになったら、同じ風に考えると思うから」

「けど、それで川井さんに迷惑かけた。裕二も、怒らせちゃった」

「友野くんが?」


 川井さんも、あれから僕と裕二の間に何かあったかはまだ知らない。

 これを話したら、ますます心配かけてしまうかも。


 しまったと思ったけどもう遅い。グイッと顔を突き出してきて、続きを話してと求めてくる。


 一瞬、どうしようかと迷ったけど、ここまできて話さないわけにはいかない。

 裕二から、キュンは諦めろと言われたこと。それは嫌だと言ったこと。そうしたら、裕二がもう協力はできないと言って出ていったこと、全部話した。


「……というわけなんだ。けど、裕二だって本当に僕のことを心配してるってのはわかる。それなのにまだキュンとしようとするってのは、僕のワガママなのかな。やればやるほど、裕二を傷つけるだけなのかな」


 怒って行ってしまった裕二の顔が忘れられない。キュンとしたいって気持ちに嘘はないけど、だからって、それで裕二を傷つけて平気なわけじゃない。

 どうすればいいんだろう。昨日から何度も繰り返し悩んだことだけど、答えなんて全然出てこない。


 けど、フラれたばかりの相手にこんなこと聞かれたら、川井さんも困るよね。この話はさっさと切り上げた方がいいのかも。


 だけど、川井さんの方が終わりにさせてはくれなかった。


「つまり友野くんは池野くんのために怒って、池野くんはそれでどうすればいいかわからずに困ってるってことね」

「まあ、そうなるかな。キュンとしてみたいって気持ちは今もある。けど、裕二を悲しませたかったわけじゃない。裕二にあんな顔なんてさせたくなかったのに」


 涙を浮かべる裕二を思い出すと、苦しい気持ちが溢れてくる。

 いけない。このままじゃ、またドキドキハートシンドロームの発作を起こしかねない。


 大きく深呼吸して、なんとか心を落ち着かせようとすると、それを見た川井さんが背中をさすってくれた。


「池野くん、本当に友野くんのことが大事なんだね」

「そうなのかな。大事なら、裕二に反対された時点でキュンも諦めると思うけど」

「そんなことないよ。だって池野くんは、命の危機になるかもしれなくてもキュンとしたいって思ったんでしょ。けど、友野くんのことを思って、どうすればいいか迷ってる。これって、それだけ友野くんを大事って証拠だよ」


 そうなのかな。裕二をあんな風に傷つけた僕に、大事に思ってるなんて言う資格なんてあるのかな。


 けどそんな風に思っていると、川井さんが、なぜかハッとしたように息を飲む。


「まさかこれって……」

「ん? どうかした?」


 不思議に思って聞いてみたけど、川井さんには聞こえてないようで、小声で何やらブツブツと言い始めた。


「ううん、最初は私の都合のいい思い込みだとおもってたけど、そういうことなら納得できるかも」

「川井さん、どうかした?」


 もう一度、声をかける。

 けど川井さんはそれには答えず、逆にこう聞いてきた。


「ううん、なんでもない。それより池野くんこそ、これからどうするの? 池野くんの心臓、ドキドキしすぎたら危ないんでしょ。そのせいで、友野くんともケンカした。それでも、本当にキュンとしたい?」

「それは……」


 やっぱり、その問題を何とかしなきゃいけないよね。

 キュンをとるか、自分の命をとるか。その二択ならキュンをとる。だけどそれに裕二の気持ちが入ってくるなら、揺れる。


 いや、違う。

 ずっとしたいと思っていたキュンが、いよいよ叶うかもしれない。それなのに、僕は迷ってる。裕二の涙が頭をよぎって、キュンとしたいって即答できなくなってる。

 きっと、それこそが答えなんだろう。


「ごめんね川井さん。俺が幸せになる姿、見せられないかもしれない。もちろん、今だってキュンとしたい。けど、裕二を悲しませてまでやるのは、違うと思う。だからもう、キュンとするのは諦めるよ」


 残念だけど、僕のキュン探しもこれでおしまいだ。裕二にも、後でしっかり伝えよう。今さら言ったところで、拗れた関係が元に戻るかはわからないけど。


「そっか。私には、何が正解なのかなんてわからない。けど、一度でいいからキュンとしたいっていうのも、誰かを悲しませたくないってのも、両方納得できる。だから、池野くんがたくさん考えて答えを出したなら、何も言わないね」


 ちょっぴり複雑そうだけど、川井さんも僕の答えを尊重してくれた。


 だけどその時だった。病室のドアが開いて、新たに誰か入ってきた。


「面太郎、調子はどう──って、お客さん? 女の子? ひょっとして、お邪魔だった?」

「あっ、姉ちゃん」


 川井さんを見たとたん、目をキラキラと輝かせたこの人は、僕の姉ちゃん。入院している僕に大量の少女マンガを見せて、キュンへの憧れを植え付けたのがこの人だ。


 けど困った。川井さんへの反応を見ると、どうやら何か誤解をしているらしい。


「違うんです。私、池野くんをキュンとさせようと思って失敗しちゃったので」


 誤解をとこうと、キッパリと言う川井さん。

 うぅ……本人にこんなこと言わせてしまうなんて、申し訳なくなってくる。


 そもそも、僕がキュンとしようとしてたなんて、姉ちゃんはどう思うだろう。

 ドキドキハートシンドロームのせいで、キュンとしすぎると死んじゃうかもしれないんだから、裕二みたいに心配かけてしまうかも。


「僕、もうキュンとするのは諦めるよ。みんなに心配かけてまでやることじゃないって思ったから」


 安心させようと、ついさっきしたばかりの決意を語る。

 だけどなぜだろう。それを聞いた姉ちゃんは、戸惑うように聞いてきた。


「キュンを諦めるって、どうして? あなた、本当にそれでいいの?」


 あれ?

 なぜだろう。安心させようと思って言ったのに、なぜか姉ちゃんは、むしろ悲しそうに目を潤ませる。


「いや、だって、僕の病気はドキドキしすぎると心臓が止まるんでしょ。だったら、キュンとしてドキドキするのはやめた方がいいんじゃないの?」


 どうして姉ちゃんがこんな反応をするかわからず説明する。

 だけどそれを聞いて、姉ちゃんはますます困った様子を見せる。


 そして、言う。


「あのさ、面太郎。もしかしてあなた、病気のこと何か勘違いしてない? ドキドキハートシンドロームについての詳しい説明、覚えてない?」

「えっ?」


 予想外の言葉に、今度は僕が困惑する番だ。

 病気の説明は、一度ちゃんとしてもらった。だけど、難しい言葉がたくさんあったのと、現代医学で効果的な治療法はないってのを最初に聞いていたせいで、あまり頭には入ってなかったかも。


 すると、姉ちゃんは語り出す。ドキドキハートシンドロームの真実を。


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