第2-2話 皇太子~超絶美形。しかし根暗でボッチ好き~2

「皇太子殿下。弟君の無事の御誕生、おめでとう存じます」


 ライラは、兄弟がまた一人増えた第一皇子に、丁寧に礼をした。

 アメンヘルケプシェフはうんざりした様子で手で払う仕草をする。


「形式だけの挨拶はいい。弟妹は三十番を超えたあたりから数えるのをやめた」


 お前もか。


 ライラは笑顔の下で、根暗に加えて薄情な長男を短く罵った。


「お前の大事なご主人様が中で女達に囲まれているぞ。こんな所にいていいのか?」

 

 皇太子は言葉を変えて、中に入る事を再び勧めてきた。

 ビントアナトほどではないが、ライラは皇太子とも幼い頃から付き合いがある。

 ライラは、比較的気心の知れた王子相手に肩をすくめてみせると、背を向けた。


「入りたくても、臭くて鼻が曲がりそうなんです。そうでなくても息がつまりそうなんです。中になんて入ろうもんなら窒息します」


 手すりに頬づえをついて、ぶすっとした顔で文句を言う。


 ライラの隣に歩み寄ったアメンヘルケプシェフは、機嫌の悪い昔馴染みの後頭部をポンと叩く。


「やっかみに決まってるだろう。気にするな」


 元気付けているつもりのようだが、その言葉には、先程のラムセスほど胸に響くものはなかった。顔はそっくりでも、包容力ではまだまだ父親に遠く及ばないらしい。


 自分の、自由で恵まれた環境に気付かないライラは、あの熱帯魚のように美しく優雅な娘達が、自分のどこに嫉妬するのだろう、と不思議だった。


「陽に焼けすぎた大女など、やっかむまでもありません。彼女達はただ、変わり者の私が理解できない存在で、目障りなだけなんですよ」


 すっかり卑屈になっているライラに、アメンヘルケプシェフは困ったように笑う。


「自信を持て。日焼けは勲章。その長身も、ドレスが映えて丁度いい」 


 そして彼は、「とてもゴージャスだ。よく似合っている」と、花も恥じらって瞬時に花弁を散らすほどに華麗な微笑みをライラに向けて来た。


 ライラはその反則級に美しい笑顔に一瞬見惚れたが、すぐに冷静さを取り戻し、再び憮然とした表情で言う。


「そのタラシな台詞、私よりも、あちらで群がっておられる姫君の誰かお一人にでもいいので、言って下さいませんか」


 そうしたらカエムワセトの負担も少しは減るだろう。


「そういうお前こそ、彼女らを蹴散らさなくていいのか? いつもの威勢はどうした」


 そんなものは着席してからずっと頂きまくっているチクチクした心理攻撃への我慢と、ビントアナトとの口喧嘩で使い果たしてしまった。


「皇太子殿下があの中に入ってくだされば済む事です」


「お断りだ」


 そう言うと思った。


 もう放っておいてくれ。とライラはげんなりした。


 もし会場にいる姫君達が自分と皇太子がバルコニーで談笑している姿を見たら、また陰湿な攻撃を始めるかもしれないではないか。


「では、あの方々が、見た目がいいだけの根暗な一匹狼よりも、カエムワセト殿下の魅力に気付いてくださる事を、ここで祈らせて頂きます」

 

 これでもう話は終わり、の意味を込めて、ライラはプイとそっぽを向く。


 だが、アメンヘルケプシェフはそこで立ち去ろうとしなかった。悪戯っぽく笑みを作った彼は、「言ってくれるじゃないか。このっ!」と子供の頃の悪戯感覚で、ライラの頭頂部の髪留めをさっと外す。


「あっ!」


 頭頂部で一つにまとめてったライラの豊かな赤毛が、一気に下へなだれ落ちる。


「お前は髪を下ろしたほうが絶対――あれ?」


 勝ち誇ったように笑い、金色の髪留めを人差し指でくるりと回したアメンヘルケプシェフは、予想と違ったライラの髪の状態に目を丸くした。


「私の髪は重しが無いと横に広がるんですよ。だからいつも髪留めをしてるのに……」


 多毛症な上、一本一本が細く柔らかいライラの髪は、押さえ付ける物もしくは下への牽引力がないと空気を含んだように膨れ上がるのである。

 ライラは雄ライオンのたてがみの如く広がる赤毛を両手で押さえながら、断りもなく髪留めを取ったアメンヘルケプシェフを、恨めしそうに見た。


「すまん。これじゃセクメト女神と間違われそうだな」


 セクメト女神とは、雄ライオンの頭を持った女神である。女神と言えば聞こえは良いが、セクメトの性質は破壊と殺戮であった。畏怖の象徴に似ていると言われて、嬉しいわけがない。


「返してください!」


 ライラが髪留めに手を伸ばした。アメンヘルケプシェフは「まあ待て」とライラの髪留めを手の届かない位置まで持ち上げる。


「いい物があるから」


 そう言うと、皇太子はバルコニーで待つように言い残し、足早に去って行った。


 戻って来た彼の手には、髪止めの代わりに、額飾りのような形をした髪飾りがあった。

 全てが金で出来たその髪飾りは、額に当たる部分は草が絡み合ったような細工が施されており、後ろの部分は雨上がりの蜘蛛の巣を連ねたように繊細で美しい。

 装飾品に疎いライラでも、これは間違いなく腕のいい職人が精根込めて作った最上級の品だと分った。


 アメンヘルケプシェフは、後頭部を飾る蜘蛛の巣状になった部分が絡まないよう手の甲で支えながら、ライラの頭に髪飾りを被せた。

 つけてみると、これは額飾りではなく冠だと分る。


「ほら、これなら広がらんだろう。まとめてるよりずっと魅力的だぞ」


 すっかり落ち着いたライラの髪を見ながら、アメンヘルケプシェフが満足げに言った。


「こんなもの、一体どこから?」


 冠をぺたぺたと触りながら、ライラは不思議がった。

 これは明らかに女性用の装飾品である。アメンヘルケプシェフが自分で使うつもりで買ったとは到底思えない。


「初めて好きになった女性に渡しそびれた品だ。いい加減もう捨てるつもりだったし、お前にやるよ」


「はあ……ありがとうございます」


 確かに、ここまでの品を捨てるのは勿体ない。

 いわくつきの品ではあるようだが、アメンヘルケプシェフの声色には投げやりな響きも悲しみも感じられなかった。破れた初恋は、もう完全にふっきれた、ということなのだろう。

 

 ならいいか。もらっておこう。

 

 元々物事を深く考えないライラは、理屈を捏ねて返すのも面倒に思えた事もあり、素直に受け取ることにした。

 さっきまで使っていた髪留めはアメンヘルケプシェフにどこかにやられてしまったし、その代わりだと思えばよかろう、と適当な理由で自分を納得させる。


「あの者達は、父上が俺やカエムワセトのために呼び寄せた、云わばお妃候補だ」


 突然、アメンヘルケプシェフが話題を変えてきた。

 バルコニーの向こう側に広がる宴会場を眺める彼の顔は、どこか疲れているように見える。


 というか、この場にうんざりしているのだろう、とライラは思った。

 自分と同じである。


 ライラは自分と皇太子の共通点を感じながら、「そうだろうと思いました」とこたえた。


「余計なことをしてくれたものだ」


 瞼を落として呟いた皇太子の憂い顔は、鑑賞用にするならこの冠と並ぶくらい素晴らしい。この生ける芸術品を今自分が一人占めにしている事を、ライラは会場の娘たちに少し申し訳なく感じた。


「どなたかお好きな方でも?」


「そういうわけじゃないんだが」


 アメンヘルケプシェフは言い淀んだ。


 ライラは、この皇太子の気持ちが少しだけ分る気がした。

 

 多分、何となく、なのだ。

 皇太子という責任。期待。激務。心理的重圧。日々これらと闘っている彼にはもう、新たな課題を設ける余裕が無いのだろう。

 完全なキャパオーバーなのだ。

 好きな娘でもできれば力も湧くのかもしれないが、今の彼には恋愛さえしている暇はなさそうである。


 アメンヘルケプシェフは有能だし、よくやっているとライラは思う。ファラオになれば、如才なく諸外国と付き合い、この国を上手くまとめていくだろう。だがいかんせん、先王は全てが規格外のあれ(ラムセス大王)である。皇太子の彼としては、無駄にストレスが大きいに違いない。


 とはいえ彼はもう二三歳。多忙とストレス過多を理由に独身を謳歌していて良い歳でも無い。次期ファラオならば尚更、早く妻をめとって子供を作らねばならない。

 ラムセスなどは15歳で結婚し、しかもスタートがネフェルタリとイシスネフェルトの同時婚である。

 

 まあ、あれ(ラムセス)を見習え、とは言えないが。

 

 ライラは自分の腰と尻をなでまわしてきた好色ファラオを思いだし小さく嘆息すると、一家臣としての責務を果たすべく、心を鬼にして皇太子のお尻をひっぱたくことにした。


「ならばお早く、どなたかお決めなさいませ。ほーら、美しいお嬢様方が、より取り見取りですよ!」


 まるで市場の商人のように両手を広げ会場を示したライラに向かい、皇太子は出し抜けに言う。


「ならお前にするか」


「はあ?」


 驚きのあまり、思わず同僚相手にしているような反応を返してしまう。

 いくら気心が知れているとはいえ、明らかに王族に対する態度ではなかった。


「その反応はまた随分と失礼だな」


 礼義ではなく、自分が毛ほども相手にされていない事を知ったアメンヘルケプシェフは、大いに気分を害した様子である。


「これはご無礼を。あまりにも突飛で投げやりなご判断でしたので。お許しください」


 ライラは釈明とは言えない弁解の後に謝罪した。


「お前は本当にカエムワセト以外には無頓着だな」


 アメンヘルケプシェフは呆れかえっていた。だがその顔は、どこか楽しそうでもある。少なくとも、ラムセスの隣で公務に追われている時よりは活き活きとしている。その表情と雰囲気は、彼がまだラムセスの傍で政務を学び始める前のものに近かった。

 ライラが皇太子にとって、気の置けない相手の一人だということなのだろう。

 アメンヘルケプシェフは手すりに背中を預けると、会場を尖った顎で指し示した。


「客観的に考えて、この中ではお前が一番信用に足ると言ってるんだ。見てみろよ。外見は美しく清楚に着飾ったつもりかもしれんが、顔を見れば頭の中からだだ漏れている損得勘定でベタベタだ。不愉快以外の何物でもない」


 随分と実感がこもっているが、何か嫌な目にでも遭ったのだろうか。


 ライラはつい、無粋な想像をしてしまう。


「まあ、よく探せば、中にはまともな方もいらっしゃるでしょう。お勧めは、カエムワセト様に群がっておられる方以外の姫君です」


 主人に群がっているあいつらは確実に損得勘定の塊だ。しかも計算高く、皇太子の最も嫌いなタイプである。

 ライラの物言いに、アメンヘルケプシェフは声を出して笑った。


「それじゃあ、ライラお勧めの姫を探しに行くとするか」


 諦めたようにそう言うと、手すりから背中を起こした彼は、会場へと歩いて行った。

 ライラはホッとして見送る。

 だが突然、皇太子がライラに振り返った。


「お返しといってはなんだが、俺もお前に一つ助言を贈ろう」


 皇太子は、意味深げな笑みにその宝石の様な目を細めた。


「お前が嫁にもらってくれと頼めば、あいつは拒まんと思うぞ。一度試してみるといい」


「嫁、ですか?」


 誰の?


 と一瞬考えたが、間もなく該当する人物に思い当たったライラは、全身真っ赤になって「ごごごご冗談を!!」と叫んだ。


 悪戯が成功した子供のように、アメンヘルケプシェフは笑う。


「それ、似合ってるから大事に使えよ」


 幾分元気を取り戻した様子の彼は、ひらひらと後ろ手に手をふると、会場の中へ消えていった。

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