春告鳥は君のため舞う ー 3

 先ほど電車から見えたように、この町は自然を多く感じることができる。春菜の希望によって俺は彼女に連れられ、春を感じる場所を巡ろうツアーに参加することになった。


 主催者、朝倉春菜。


 参加者、俺。


 俺としましては、地元の田舎っぷりを再認識するただの散歩に過ぎないので、それなら適当にぶらついて適当な喫茶店を見つけては適当な読書や談笑をしようじゃないかと説いてみたが、ゲスト様が田舎道を歩きたいと言って聞かないのだから仕方ない。


 あえなく照幸案は却下され、春菜原案が晴れて決定と帰結した。……まあ、ゲスト様がそれで満足するのなら、大変よろしい事だと思う。かなり疲れる旅になると悟った俺は覚悟と靴ひもを固く結んだ。


 時刻は昼の下がった頃。俺達一行は住宅地と田園のちょうど境目を歩いていた。雲は白くて、太陽はまだ高い。風はひんやりと涼やかで、歩くには丁度良い気候というのがせめての救いだ。


「ねえ、テルのおすすめはどこ?」

「そんなの春菜もよく知ってるだろう」


 考えるのがめんどうくさい。


「あらやだ、それってまさか文学的な告白?」

「んなわけあるか」


 渋面で春菜の軽口をたたき切った。


「冗談よ、じょーだん」

「うっせ」


 母さんとの会話ですっかり春菜は浮かれているようだ。俺の冷酷な返しをあっさり一笑にふし、鼻歌まじりで田圃のあぜ道へ入った。


 一歩前へと進み出て振り返ったかと思うと、人差し指をまっすぐ十字路の向こうへ指しやり、にかっと笑む。


「やっぱり桜を見なくっちゃ!」


 指をさすストロークがむだに優雅で、かつキレがあったのはつっこむまい。


 指先の延長線には水路があり、更に先には河原が見える。桜は川縁に並んでいた。ほう、あそことは中々……


「……遠くないか?」


 俺は小さくこぼした。視界に桜は入っている。だがそれは遮蔽物がないからであって、現在地と桜の位置は端と端。広い田園の両極端だ。桜なんてのは豆粒にしか見えない。


 すると春菜は首を振って、ついでに指も振った。


「なにもあれだけ見ようってわけじゃないわ。あくまで桜は往路のゴール。いろんな所を経由して景色を楽しみながら、あそこに行こうって言いたいの」


「ほへぇ」

「そうね……どういう道のりで行こうかな。とりあえず」


 とりあえず。


「適当に歩こう」

「結局そうなるのかよ」

「良いじゃない。道草を食いながら行けば、距離なんて案外忘れるものよ?」


 さいなもんですかね。


「って、待て。つまりそれって、かなりの距離を歩く、と言う事か」

「歩かずに移動できると思ってるの?」


 いや車や自転車というものがあってだな……だめだ聞いていない。


 春菜は大手を振ってあぜ道を往く。こうなったら風の向くまま(春菜の)気の向くまま、大人しく追従するしかあるまいな。俺は小走りで追いついていく。春菜は大きく伸びをしていた。


 そういうわけで、春菜による田舎の景色満喫ツアーがスタートするのだった。わーわー、ドンドンパフパフ。


 と、ゆるゆる歩いて数分経過。


 モンシロチョウが飛び交う田圃の間で、軽トラックとか農耕作業車とかの通ったわだちに足を取られぬよう、俺は頑張って歩いていた。


 そう、頑張っているのだ。それに対する春菜はというと、俺の三歩先をずんずん突き進んでいる。あいつの足元、ヒールなのに、だぞ。春菜の歩幅は俺のそれより大きめで、ペースを合わせて歩くとなると、早歩き気味になってしまう。息切れしない程度に配分は考えておこう。


「広々とした土地っていいよね。心まで伸び伸びとしちゃう」


 足取り軽やかに春菜は言う。


「同じ景色しか見えないのにか?」

「なに言ってんの。どこも同じ景色なんてないわよ」


 はて。


「三六〇度を見渡しても土と水しかないが」


 春菜の目には、何が見えているというのだろう。すると彼女は目の前で急に立ち止まった。


「おうっ」


 後ろからぶつかりそうになったのを、寸での所で踏みとどまる。鼻先が彼女の髪に触れかけた。


「テル、あんた何を見て育ってきたのよ!?」


 その距離のまま春菜は振り返った。「ありえない物を見た」と顔が語っている。待て、近い近い。春菜はかなり通る声なので耳を思わず守った。


「何って、仮面ライダーとかウルトラマンとか……?」

「そうじゃなくて! 自分の町の風土とかを感じないの」

「フード?」


 フードって言ったら、野菜が美味しいことは知ってるぞ。さすが我が町ながらよく肥えた土だなぁと。


「真面目に聞きなさい」

「いてっ」


 春菜の中指が、俺の額を撃ち抜いた。デコピンと呼ばれる最強破壊奥義だ。


「たとえば、見て。あぜ道に咲いてるこの花。なんて名前か知ってる?」


 そう言いながらしゃがんで指さしたのは、とても小さな紫色の花。言われてみれば、野辺でよく見かける花だ。けど名前は知らない。俺は植物図鑑など読んだことがないからだ。


「コスミレっていうの。その名のとおり、スミレの仲間よ」

「スミレか。あー、名前は知ってる。可愛らしい花だな」


 なるほど。背の高い茎にポツンと小ぶりな花弁が開いている。漠然と広い田地でいじらしく咲くその姿は、たしかに風流だ。つついて長い茎が揺れるのを楽しんだりしてみる。


「テル、そっちはキキョウソウよ」


 オゥマイガァ。


「コスミレはこっちの背が低くて色が薄い方。初めて見たわよ、そんな大胆に間違える人」

「こっちだって、花の名前なんて初めて知った」


 出来るだけ不愛想に返した。さっきのデコピンへの恨みも含んでいるぞ。どうだ、こわいだろう。


「勉強になったでしょ。こういうのも旅の楽しみ方の一つよ」


 春菜は意にも解さぬ顔で、ひょうひょうと小首をかしげた。


「お陰様でIQが上がりました。ありがとうございます」


 ダメだ、かなわない。春菜は満足そうに笑顔で言った。


「感受性をみがこ、必ず役に立つ」


 ですな。


 あの小さな薄紫が、コスミレ、と。


 大きな景色だけでなく足元の細かやかな変化も、その気になれば楽しめる。ということを春菜は伝えたかったのだろう。


 旅は再開する。畔を曲がり、そう高くない丘を前に据えたところで春菜は声を上げた。


「ねえ、あそこに見える鳥居、なに神社?」

「鳥居? どれだ」


 木しか見えん。


「あれよ、あれ。石でできてるのが見えるでしょ。丘をちょっと登ったところに」

「ん、ああ……あれ、か?」


 春菜が指し示してくれるので目を凝らしてみると、緑の斜面に小さく石色が混じっているように見えなくもない。春菜はうなずく。


「そういえば昔っからあるな。でも何て名前だったかまで覚えてない」

「どの神様を祀っているとかは?」

「存じておらぬ」

「よし、あそこ行こう」


 マジすか。


「あの丘、坂道が結構な勾配だぞ。春菜、お前大丈夫なのか」

「気にしない、気にしない! ほら、しゅっぱぁーつ!」

「ちょ」


 歩く速さがいっそう増す。


「待てってば!」


 虚を突かれた俺はたちまち置いて行かれそうになった。この女、思慮と分別は持っているが好奇心には正直な部分もあるらしい。猪突に走る背中は見る見る遠ざかっていく。


 田園の中を走るなんてこの歳でない事だと思っていたのだが、あれを追うには走らざるを得なかった。


「はい、到着ぅ!」


 坂道砂利道なんのその、獣道すら我には床と変わらぬわ。と言わんばかりに元気よく石段を登り切った。春菜だけ。


「は、は、はぁ……タンマ、休憩させて……」


 ワンテンポ遅れて俺も境内に入り、それと同時に灯篭にすがりつきながら石畳へ崩れ落ちる。境内は林に覆われて日陰になっている。ひび割れた石の感触が冷たいが、そんなの気にしてられる余裕などない。心臓と肺が酸素をめちゃくちゃ求めている。胸が跳ね馬のように弾けだしそうだ。


 浪人していた間ろくに体を動かしていなかったツケが、こうして回って来るとはな……。以前は頻繁に体を使っていたんだが、まったく情けない限りだ。これからリハビリを頑張るとしよう。それより今はあ、あせが、汗が止まらない。


 そんな俺を見て春菜のけろっとした声が聞こえた。


「テル、顔色が悪いよ。大丈夫?」


 誰のせいやねん。


 裏拳ツッコミしてやりたかったがそれどころじゃない、今回は見逃してやろう。歩き回るんだったら何か飲み物を持ってくるべきだった。のどがひどく渇いた……。


 と思っていたら、視界の端からペットボトルがぬっと出た。目だけを上げると、白い手が飲みかけのボトルくちをぶら下げている。


「ん」

「……どうした」

「さっき買ってくれたカルピス」

「それがなんだ」


 春菜はでしゃがんで俺の顔を覗き込んできた。目尻の引き締まった大きい目のよこを汗が一筋したたっているが、気にする様子もなく顔の隣でボトルの中身をゆすって見せた。


「これ、飲む?」


 俺はぎょっとした。


 そいつを俺にくれる……だと?


 な、何を言っている。今しがた平然と言いのけられた一言は、この俺、三山照幸にとってどれほどの衝撃を与える舌鋒となりうるか、それを春菜は理解したうえで口にしているのか? とんでもない!


「ぬるくなっちゃってるけど、良いよ、飲んでも」


 丁寧に両手で突き返す。


「結構だ」

「いいの? 別に私、口つけるのとかそういうの気にしないけど」


 いいんだ、結構だ。


 俺自身も友人同士で同じドリンクの飲みまわしくらいする。潔癖などいちいちかまける人間じゃない。だが、いいのだ。遠慮するのだ。


「それは遅刻の謝罪として献上した品であって、俺が貰うわけにはいかない」

「えぇ、今更そんなの気にしなくていいのに」

「とにかく、それは春菜が責任をもって最後まで飲みなさい」

「なんかそれだと私が罰ゲームを受けてるみたいじゃん」


 自分の中での大義名分は、「男の意地」と書いてルビは敢えて振らない。春菜は唇を尖らせているようだが、今の問答の隙に俺は境内に手水場を発見した。あれは……オアシスではあるまいか!


 声がカスカスになってもはや限界だ。背後のブーイングを聞き流して俺はこけつまろびつしながら溢れ出る湧き水へかぶりついた。


「いぶぶべえ!」


 訳:水うめえ!


 竹筒から注がれる石清水いわしみずを両手に溜めて、何度も何度もそれをあおる。この冷たさ、柔らかさ、喉越しの良さは井戸水だろうか。はたまた山頂からせせらぐ小川のろ過水だろうか。体が潤っていく、サバンナの乾地に雨水が染み込むようだ。素晴らしい。こんなに美味しい水は初めてだ!


「なに感動してるのよ」

「春菜知ってるか、自然の水は美味い」

「自然? 何言ってるの」


 眉根を寄せて春菜が手水場の裏をたたくと、プラスチック管を打ったような……いや、もろ水道パイプの音がした。


 え。


「残念ね、しっかり水道は整備されてあるみたい」

「じゃあこの水は」

「職人の技が光るとてもきれいな真水ね」


 なん……ですと? じゃあこれは、家で蛇口をひねったら出てくるのと同じ水質だというのか。


「そんな、めちゃめちゃ美味しかったぞ」

「それはテルののどが渇いてたからって理由と、バックグラウンドが良かったからだと思う」

「バックグラウンド?」


 背景。


 そういえばここ、神社の境内だ。湿った土の匂いがただよい、空気がしん、と澄んでいる。


「確かにこの雰囲気には、天然の生気を感じるな」


 で、さっき言われた細かな部分に注目する、と。なるほど、興味深いものが見えてくる。


 丘の下から見上げた鳥居は近くで見るとずいぶん苔むして年季が入っているし、奥にたたずむ小屋のような社屋もところどころが朽ちかけている。そもそもこの境内自体が雑木林に侵されながら、悠久の時の中でじっと町を見守っているように見える。


 静謐な空間。それだけで表すには事足りる。


「どう、心が落ち着かない? 私好きだな、こういう場所」

「なるほど」


 ヘチマたわしの似合う台所とは、感じる水の味が違うわけだ。


「それにしても、神社の水をがぶ飲みするなんて、バチが当たらないかな。あと生水はよくないよ」

「うっ」


 人間は本能に逆らえないのだと、大きな主語を用いて理性の貧弱さを誤魔化したかったが、ここは聖なる神祠の御前だ。アホまるだしな言い訳が出来ようか。悔悟と感謝の気持ちをきちんと伝えれば、きっと神様も許してくれるに違いない。


 ズボンのポケットから小銭入れを出し、五円玉を賽銭箱へと放った。春菜も投げた。


「二礼、二拍手、そして……」


 両手を合わせてぺこり。お水、ごちそうさまでした。


 拝み終えて目を開けると、春菜はまだ手を合わせていた。ここの神様がなにを司ってるか知らないが、五円でそれは粘りすぎじゃないか? 初詣じゃあるまいし。


 手持無沙汰に鳥居に刻まれてある社名を解読しようと試みたが、すでに凹凸おうとつは風化していて読めなかった。パッと見まわしたところで、忘れられたような境内には解説看板とかいう親切な物もやはり見当たらない。記憶を頼りにしてみるが、どうやら幼少の俺の活動範囲の外らしかった。


 まあ、土地神と考えるのが妥当か。


 ようやく顔を上げた春菜は舌の先をちょっと出した。


「えへ、お願い事しちゃった」

「こういうお社が祀ってるのって土地の神様とかじゃないのか? 聞いてくれるのか、願い事なんて」

「信じる者は救われるのデース」

「お前は土地神の何なんだ」


 話はこれでオチたと考えたが春菜から「見守られる対象?」と返って来た。いや、疑問文に疑問文で答えるなよ、と鼻笑に替えてつっこんだ。


 神社のひとけのなさを存分に堪能し、俺達は石段を下りる。苔がふかふか盛り上がっているから歩きにくさがある。


「そういえばお賽銭を投げた時さ、中身がいっぱい入ってそうな音がしたよね」

「そうなのか」


 俺には聞こえなかった。


「あのお金、誰が回収するんだろうね」


 こら、そんな下世話な話をしない。

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