第2話虚心坦壊






有無相生

虚心坦壊



 全てが失われようとも、まだ未来が残っている。


            ボヴィー






































 第二昇【虚心坦懐】


























 結界の外にいるぬらりひょんたちも、なんとか結界の中に入れないか、結界を壊せないかと考えていた。


 ぬらりひょんたちとて、今まで数多くの鬼とは関わってきたものの、悪魔とは微塵も関係を持ってこなかった。


 力の部類が異なるというのか、相性が悪いというのか。


 簡単に言ってしまうと、興味がなかった。


 「それにしても、悪魔なら悪魔らしく、大人しく地獄におればよいものを。何故このタイミングなのじゃ」


 「悪魔と言えば、主のライバルのシャルルなら、そっちのことには詳しいのでは?」


 「・・・・・・」


 悪魔と言えば、という言い方もおかしいのかもしれないが、確かに天狗の言うことは一理あった。


 ぬらりひょんのライバルというのが正しいかは別として、同じくらいの力を持つグラドム・シャルルという男は、吸血鬼という存在であって、それはどちらかというと鬼よりは悪魔の部類であるからだ。


 それに、確かに頼りになる強い男ではあるのだが、少々、いやかなり、性格に難のある男なのだ。


 「奴に借りを作りとうない」


 「そんなこと言ってる場合ではなかろう。まったく主も我儘じゃのう」


 悪魔にも通じているシャルルであれば、この結界も破れるかもしれない。


 だが、シャルルが何処にいるかなど知らないし、知りたくもなければ、鬼という理由で結界を破れなかったのかと言われるのも嫌だ。


 そんなことを言っている場合ではないのも分かってはいるが、正直なところ、シャルルとて悪魔に近しい存在であって、悪魔ではないため、この結界を破れる可能性は必ずしも100%ではないのだ。


 いや、奴ならなんとかして破ってしまうかもしれないが、悪魔自体未だ謎に包まれている部分があるため、何とも言えない。


 ぬらりひょんは酒をぐびっと飲み、その口を手の甲で荒々しく拭うと、びくともしない結界を眺める。


 「煙桜がおる。奴が何かしら策を考えておろう」


 「心配なのは帝斗じゃ。若い故、挫折も味わうことになるじゃろう」


 「挫折程度で済めば良いがのう。帝斗の場合、もともとが劣等感の塊を心臓に詰め込んだような男じゃからのう。奴の分厚くなった殻を粉々に壊してやらんと、出て来られんじゃろう」


 「良くも悪くも、どう転ぶかは奴等次第、ということかのう」


 「奴等がすべきことは、決まっておる」


 なんとか助けてやりたいぬらりひょんたちだが、今はどうにもならない。


 結界の周りに集まってきている鬼たちでさえも、悪魔が作った結界には触れることも出来ず、またぬらりひょんたちがそこにいるため、何もせずに引き返して行く。


 「煙桜、主が頼りじゃ」








 「あー、目がしょぼしょぼする・・・」


 その頃、煙桜たちは鳳如の部屋から持ってきた悪魔に関する本を読んでいた。


 その本が活字ばかりで、しかも小さく、煙桜は目頭を押さえながら目を強く瞑っていた。


 煙桜のそんな姿を見て、琉峯と麗翔は、煙桜はそろそろ老眼鏡が必要なのでは、と心の中で思っていたが、それが煙桜になぜか伝わってしまったようで。


 「おい、俺ぁまだそこまで歳じゃねえからな」


 「何も言ってませんが」


 「そうよ。何も言ってないわ」


 「てめぇらの顔に書いてあんだよ。そろそろ老眼鏡かけろって」


 思わず琉峯と麗翔は、互いの顔を見てしまった。


 書いてあるはずがないのだが、書いていないことを確認すると、麗翔がため息を吐きながらこう言った。


 「ねえ、これ英語多くない?私読めない。辞書ひきながら読んでたけど、さすがに疲れるわ。琉峯、和訳してよ」


 「お断りします。俺も自分の本を読むので手いっぱいなんで」


 「ちぇ。ねえ煙桜、これ・・・」


 ふと、煙桜の方を見てみると、煙桜はブツブツと口を動かしながら本を読んでいた。


 ついに末期か、と思っていた琉峯と麗翔だが、どうやら違うらしい。


 よく見てみると、煙桜の周りにある本は、英語が多いどころの本ではなく、むしろ英語の本だった。


 そもそも英語なのか何語なのか分からないが。


 辞書も使わず、全て知らない言語のそれを、煙桜は1人で読み漁っていたようだ。


 「煙桜って、英語読めるの?」


 「知りません」


 「あ、てか、こんな本持ってたってことは、鳳如も読める人?」


 「知りません」


 「帝斗は読めないわよね?」


 「知りません」


 「ちょっと!知らないばっかりじゃない!」


 「知らないんだからしょうがないじゃないですか。今までこういう本を読むことが無かったんですから」


 2人して互いに文句を言っていると、煙桜が本に目を通しながら2人を制止する。


 「うるせぇぞ」


 「誰のせいだと思ってんのよ。あんたがスラスラとこんなの読めてるからこうなったのよ」


 「あ?」


 何を言っているんだと、煙桜はここでようやく不機嫌そうに顔をあげ、琉峯と麗翔の顔を見た。


 眉間にシワを寄せている煙桜は、知り合いでなければただの怖いおじさんだ。


 そんなことを本人に言えるはずないが。


 「だから、なんで煙桜はそんな難しそうな本を辞書も使わずに読めるのかって聞いてんのよ!」


 「なんでんなキレんだよ」


 「だって!あの煙桜が!こんな何書いてあるのかよく分かんない本を読んでるのよ!険しい顔をして!!どうなってんのよ!」


 「情緒不安定かお前は。険しい顔して読んでるのは別にいいだろ」


 もう自分が何に対していらついているのか分からないのか、麗翔をドウドウと宥めている琉峯。


 だが、琉峯もその疑問を持っているのは同じようだ。


 煙桜は面倒臭そうに、本当に面倒臭そうに、短い髪の毛をガシガシとかき乱しながら、一旦本を読むのを止める。


 「言ってなかったか?俺ぁ昔、国出て外で暮らしてたからな。まあ、暮らしてたってよりは、傭兵みたいなもんだし、一時だけどな」


 煙桜の言葉に、琉峯も麗翔もキョトンとしていた。


 「えええええええ!!!??は、初耳だけど!!??それって、鳳如は知ってるの?てか、煙桜が幾つかが分かんないけど、煙桜ってそういう仕事してたの!?」


 「仕事じゃねえよ。給料発生しねぇからな。ありゃ、単に戦うためだけに送り込まれた荷物みてぇなもんさ」


 ふー、と煙草に火をつけて一息する煙桜は、さらにこう続ける。


 「鳳如にゃ言ってねぇが、多分あいつのこった。知ってると思うぜ。俺の前の西元帥から多少なりとも話しを聞いてるだろうしな」


 「そういえば私達って、お互いの自分の過去のことなんか、全然話して来なかったものね」


 「過去なんざ話して何になるよ。自分がどれだけ悲惨な人生歩んできたかを、栄光のように話して同情してもらいてぇわけじゃあるまいし。もうどうにもならねぇことだ。わざわざ傷抉って塩を塗り込む必要もねぇだろ」


 「まあ、そうなんだけど」


 ここで出会った4人にとって、最初は鳳如だけが互いを結ぶ手段であった。


 しかし、こうして一緒に暮らしてきて、一緒に同じ場所を守ってきて、互いを信頼するようになった。


 それぞれ性格も歩んできた道も育ってきた環境も、ましてや考えていることも目指しているものも違えども、やるべきことは1つだ。


 「私、初めて煙桜を見た時、ヤクザかと思ったわ」


 「麗翔、それ死語です」


 「琉峯は思わなかったの?だって煙桜よ?顔に傷もついてるし、目つき悪いし、煙草吸ってるしお酒も飲むし。あんまり話さなかったから余計怖かったのを覚えてるわ」


 「麗翔、お前に怖いなんて感情があったのか」


 「失礼ね、あるわよ」


 「確か俺の記憶じゃあ、初対面のとき、俺の顔を見て『怖い顔』って言ったのはお前だぞ」


 「あら、そんなこと言ったかしら。琉峯じゃない?それか帝斗」


 「いや、お前だ。琉峯はただ俺の顔じーっと見てただけだし、帝斗の第一声は『ごついおっさんがいる』だしな。ったく、どいつもこいつも」


 当時のことを思い出したのか、煙桜は舌打ちをしながらまた煙を吐く。


 鳳如から、最近戦い方が変わってきたと言われた。


 それは煙桜に限ったことではなく、琉峯も麗翔も帝斗もだ。


 どのようの変わったのかと聞けば、攻めるだけの戦いから、守ることも覚えた戦い方になったとか。


 何を言ってるんだこいつはと思ったが、よくよく思い返してみれば、確かにそうかもしれない。


 琉峯にしても麗翔にしても、それから帝斗もだが、ここに来たときは目も据わっていて、どうにでもなれという生き方をしていた。


 世界に対する復讐心もあり、弱い自分に対する自責でもあり、戦うことで自分を見出そうとする無茶な戦い方をしていた。


 しかし、鳳如の言うとおり、最近の戦い方はそれとは異なり、攻めるときには攻めるが、無謀な戦い方では無くなった。


 時には自分の身を守るための戦いをするようになっていた。


 チームワークがどうとか、1人がみんなのためにとか、そういうものではない。


 ただ、自分が出来ること、自分に任せられたこと、自分の持っている力を出しきることで、周りをも守ることだと学んだのだろう。


 庇い合う戦いではなく、各々が力を発揮する、そんなもの。


 「綺麗事じゃあ、守れないものなんて世の中には数えきれないほどあるだろ」


 以前、鳳如が言っていた。


 鳳如のことも、詳しくは知らない。


 鳳如自身話そうとしないこともあり、煙桜も無理に話しを聞こうとしないこともあり、鳳如の身体のことを知ったのだって、オロチが酒を飲んで口を滑られただけのこと。


 それをわざわざ琉峯たちにも報告しようなんて野暮な真似はしない。


 「ずっと思っていたんですけど」


 ふと、琉峯が口を開いた。


 「鳳如さんは、歳を取らないですよね」


 「・・・・・・」


 「あ、それ私も思った。だけど、ある程度歳を取ると、取ってるように見えないって言うじゃない?煙桜然り。そういうことじゃないの?」


 相変わらず失礼なことを言う麗翔だが、その麗翔の言葉には納得していない様子の琉峯は、煙桜を見る。


 何か知っていると思ってこちらを見ているのだろうが、煙桜にだって分からないことの1つや2つある。


 それに、話せないことも。


 「さあな。見た目分からないだけだろ」


 そう言って濁そうとした煙桜は、いつもの琉峯ならここで終わるだろうと思っていた。


 だが、今の琉峯は違っていた。


 「そんなことないと思います。俺がここに連れてきてもらった時からずっと、あの人は年齢を感じさせません。本当に歳を取っているのかさえ疑問です。俺たちは一日一日、確実に歳を取っているというのに、そういう時間の流れを感じません」


 「・・・・・・」


 「煙桜は何か知ってるんじゃないですか」


 「・・・・・・」


 いつもなら眠たそうにしている目が、真っ直ぐに煙桜を見つめる。


 その瞳を見て、煙桜は気付かれないようにため息を吐く。


 ―まったく、こいつらの目は苦手だ。


 昔の自分にはあっただろうか分からない、瞳の強さというのだろうか。


 琉峯にしても麗翔にしても、それから帝斗もだが、純粋の中にある決意とか、迷いのない覚悟とか、そういったものが詰まっている、そんな目だ。


 心を見透かされている目とは違う、ただ真っ直ぐに向けられた濁りのない目の奥には、燃え滾るものが見える。


 自分の心を落ち着かせるためなのか、それとも無意識という癖なのか、煙桜は煙草を数回プカプカさせると、琉峯の問いかけに答える。


 「さぁな。そんなに知りてぇなら、本人に直接聞きな」


 「答えてもらえるとは思えません」


 「なら諦めるこった。あいつにだって言いたくねえことくらいあるだろうよ。それを根掘り葉掘り聞くなんざ、野暮ってもんだ」


 天井に向かって吐き出された白い煙を見ている煙桜の視線を辿り、琉峯も薄くなっていく煙を眺めた。


 しばらく黙っていた琉峯だが、ぽつりとこう呟いた。


 「鳳如さんは、ズルいです」


 「あ?」


 何がだと思って煙桜が琉峯を見れば、琉峯はどこか床を見ていた。


 「鳳如さんは俺達の過去も見られたくない心も見ているのに、俺達は鳳如さんのことをそこまで知りません」


 「・・・知ってどうにかなることでもねぇだろ」


 「ですが・・・。鳳如さんには今まで助けてもらいました。俺も、鳳如さんを助けたいんです」


 寂しげに言う琉峯の隣で、麗翔も眉をハの字に下げていた。


 みな思うところは同じなのだろうが、話したところで解決しないのもまた事実。


 「別にいいんじゃねえか?今まで通りで」


 「そういうわけには・・・」


 「本当に助けて欲しいと思ったときはよ」


 顔をあげて煙桜の方を見た琉峯の目には、こちらを見ている煙桜が入る。


 自分の子供じみたそれとは違う、飲みこまれてしまうような、包み込まれてしまうような、そんな目。


 「そん時ぁ、あいつから言ってくるだろうよ。そしたら俺達ぁ全力で戦って、あいつを救ってやりゃいい。だろ?」


 「・・・・・・」


 「最後の最後まで言わねえかもしれねぇけどな。あいつの悲鳴を感じ取った時ぁ、助けてやりゃそれでいい。恩だの借りだの、俺達の間にはんなもん不要だろ」


 あいつがいつもしてるようにな、と付け足すと、煙桜は再び本を読み始めた。


 琉峯はしばらく煙桜を見ていたが、麗翔に肩を優しく叩かれ、目の前の途中になっていた本に手を伸ばす。


 数時間が経った頃、ようやく本を読み終えた。


 どうすれば力が戻るのか分からないが、とにかくやるしかない。


 「今の俺達に出来ることは限られてる。それをやるしかねえ」








 「・・・・・・」


 まるで、迷子になった気分だ。


 生まれたときから、自分に向けられた周りの視線や態度がおかしいことには気付いていた。


 母親が妾だと知り、父親に殺されそうになり、目の前で母親が殺された時だって、これほどまでに心は死んでいただろうか。


 何も見えない世界の中で、生きて行くために何でもしてきた。


 罪という罪はほとんど犯してきただろう。


 男たちに利用され、殴られ、棄てられ。


 人生というのはこういうものかと、物心ついた時から、生きることにしがみ付いていたというよりも、死んで溜まるか、と思っていた。


 強くなりたかった。


 誰よりも強くなりたかった。


 そんな想いを察知したのか、それとも本当にただの偶然なのか、1人の男と出会った。


 男はヘラヘラと笑いながら近づいてきて、なぜ泣いているのか聞いてきた。


 自分でも気付いていなかったが、確かに頬には涙らしきものが光っていた。


 関係ないことだと、どうせこいつも自分を利用しようとしているのだと、男を信用しようとは露ほども思っていなかった。


 それなのに、どうしてだろう。


 男に一発喰らわせるためにここに来たはずなのに、今ではここにいるのが心地よくて、ここにいるのが当たり前になっていて。


 初めて誰かのために強くなろうと思った。


 自分のためだけに生きてきて、自分のためだけに強くなろうとしていたあの頃の自分は、きっととても未熟な若造だったんだろう。


 今でも別の男には若造だと言われるが。


 充分強くなった、そう思っていた。


 それなのに、負けてしまった。


 疲れていたわけでもない、油断していたわけでもない、ただそこに足りていなかったのは言うまでもない、“実力”そのもの。


 確かに不意をつかれ、見たこともない敵であって、戦ったことのない相手であった。


 だからといって、負けた言い訳にはならない。


 自分の身体から血も出て、激痛が走り、骨が軋み、手足が動かなくなる。


 それでもなんとか動いたのはきっと、身体ではない何かを動かすものがあったからだ。


 負けたからといって、誰かに責められるわけではない。


 ただ、作りあげてきたもの全てが簡単に壊されてしまって、自分の中で確実となっていたものが崩れてしまって、絶対と思っていたものが踏みつぶされてしまった。


 それでも戦い続けなければいけなかったのは、自分を守りたかったからという理由と、ここを守りたいという理由から。


 「帝斗!!止めろ!!」


 聞き慣れた声が背中に突き刺さった。


 もう身体なんてとうに限界がきていたが、限界がきたからといって止められるような状況ではなかった。


 敵わないと分かっても、自分の心臓の鼓動が波打つ限り、何としてでも戦い続けなければいけないと思った。


 誰かに言われたわけではない、ただ、自分がそう感じただけ。


 そして、一気に闇に落ちて行った。


 「人間てのは、弱いな。鬼たちもこんな結界を破れないとは、情けないもんだ」


 「そう言うな。これは鬼除けの結界。俺達悪魔には関係ないものだ」


 「それにしても、手応え無さ過ぎ。所詮人間だよな。この石っころ、壊した途端この弱さだ」


 「さて、清蘭でも連れて行くか」


 「傍にガキがいたぞ。どうする?」


 「そいつは先代ぬらりひょんの孫だ。連れて行くと面倒なことになる。適当に捕えておけ」


 「早いとこ行こうぜ。こんな人間臭ぇとこ、いつまでもいられねぇぞ」


 「ま・・・待て・・・」


 「あ?こいつまだやる気だぞ」


 「行かせ・・・ねぇ・・・!!」


 「ここで殺してやっても良いんだぜ?」


 「止せ。今日の目的はそれじゃない。こいつらならいつでも殺せるんだ。後にしろ」


 「ちぇ」


 「くっ・・・!!」


 思い出すだけで、心臓がバクバクなる。


 今までだって、死ぬと思ったことは沢山あるし、強い敵とも戦ってきた。


 それでもまだこうして動き出せないでいるのはきっと、臆病風に吹かれているからだ。


 一歩を踏み出せなんて簡単に言う人もいるが、その一歩が踏み出せるならこんなに苦労はしていない。


 臆病という名の向かい風は、背中を押してくる勇気という風よりも強くて、まるで歩かせないかのように未来の砂と一緒に飛んでくるから、まともに前も見えない。


 身体にうちつけられるその砂は、まるでナイフのように身体を切り裂いて行く。


 これじゃまるで、昔の自分に戻ったようだ。


 何も出来ないで、ただ周りが自分から離れて行くのを待つような、自分からは何もしない、そんな嫌な過去の自分。


 二度とこんな想いはしないようにと、強くなってきたはずだったのに。


 戦うことが怖いのではない、死ぬことが怖いのではない、失ってしまうかもしれないことが、怖い。


 こんな自分でも、こんな手にでも、守れるものがあると知って、必死になって強くなって、必死になって生きてきた。


 それを覆されてしまった瞬間、何も考えられなくなってしまった。


 ただ駄々をこねる子供のように騒いで、無我夢中で喚いて、叫んで、壊れて。


 ネジが止まってしまったクルミ割り人形のように動かなくなった身体は、本当に自分の身体かと思うほど重くて。


 かろうじて呼吸だけ出来ているのが分かった。


 黒い翼はまるで炎のように揺らめき、赤い瞳は身体を縛りつけ、自由を奪う。


 それでもなお、戦おうとした。


 だけど、口も動かなければ声も出せず、指先さえも言う事を聞いてはくれない。


 ―動けよ、俺の身体だろ・・・。


 遠のく意識の中、冷たい感触だけが身体に突き刺さった。


 「・・・・・・」


 ぎゅっと、帝斗は自分の身体を強く掴んだ。


 道に迷ってしまった子供のように、出口の見えない迷路に迷いこんでしまった。


 ぽつんと1人取り残されてしまった世界で、手探りで道を探し、出口を探し、光を探す。


 顔をあげればすぐそこにあるだろう、壊れてしまった世界を見る勇気も覚悟も、今の帝斗にはない。


 それでも、いつかは見なくてはいけないということも分かっている。


 遮断している殻の中で、自分との戦いを繰り広げているのだ。


 幻聴だろうか、いつかの楽しげに笑う自分と自分以外の声も聞こえてくる。


 逃げることも避けることも拒むことも出来ない、一方で赦すことも望むことも祈ることも出来ない。


 神様がいるとしたら、なんて残酷な仕打ちをしてくれたものだろう。


 またこうして、1つの世界を簡単に滅ぼしてしまうのだから。








 「さて、修復作業に戻るか」


 「そうですね。悪魔の方も重要ですが、建物も直さないとですね」


 「もう。なんでいつもこう壊れるわけ?もっと頑丈な建物作った方がいいんじゃない?」


 「今の俺達に何が出来るよ。DIYを頑張るっきゃねぇだろ」


 「力が戻ったら、今よりもずっと強い作りにしてもらうから」


 本を読み終えた煙桜たちは、琉峯の作ったご飯を食べてから、建物の修復作業に戻ることにした。


 麗翔が、どうして自分に作らせてくれないのか、最近女子力がアップしたから自信があると言っていたのだが、その言葉を全く信じられない煙桜と琉峯は、多数決で琉峯に調理を頼んだのだ。


 少数意見も大事だという鳳如でさえ、きっとこの意見ばかりは多数決を取るはずだ。


 琉峯の作ったご飯というよりも、食物庫も半壊状態だったため、残っていた食材で作れるものを作ってそれを食べた。


 帝斗の傍にも置いてみたが、やはり反応はなかった。


 誰よりも食欲のある帝斗は、きっと腹も減っているだろうが、それさえ気にならないのか、気付いていないのか、気にしていられないのか、それほど追い込まれているのだろう。


 全く無反応な帝斗を見て、琉峯は心配そうに言う。


 「帝斗は、立ち直れるでしょうか」


 「・・・・・・」


 「もしこのままだとしたら、俺達は、どうなってしまうんでしょう」


 煙桜は短くなった煙草を携帯灰皿に押し込むと、琉峯の頭に大きな掌を置き、すぐに離した。


 「俺達が心配しても仕方がねぇ。あれは帝斗自身の問題だ。あいつが自分でなんとかしなきゃならねぇことだ。俺達が何を言っても、今のあいつには届きゃしねぇ」


 「・・・はい」


 「だが、大丈夫だろうよ」


 「・・・・・・?」


 何を根拠に大丈夫などと言っているのだろうと、琉峯と麗翔が煙桜の方を見ると、煙桜は大きな欠伸をしていた。


 こんなときに緊張感の無い男だ。


 「お前等も知ってると思うが、あいつは、帝斗はしぶとい野郎だ。殺しても死なねえし、地獄の底に落としても這い上がってくるような、そんな奴だ。一度立ちあがっちまえば、すぐに追いついてくるさ」


 「・・・・・・」


 そう言われ、琉峯は帝斗の方を見る。


 確かに、帝斗は誰よりも根性があるというか、力で制圧されるのを何よりも嫌う。


 ただ信じて待つしかないのだ。


 「そうですね。俺達は待ちましょう。帝斗なら、立ち止まって待っていると文句言いそうですし」


 ふ、と小さく笑った琉峯につられ、麗翔も「そうね」と続ける。


 帝斗だけをそこに残し、煙桜たちは修復に向かう。


 琉峯と麗翔を先に行かせ、最後に煙桜が部屋を出る時、一瞬、足を止める。


 まだそこで止まってしまっている帝斗を見ることは無かったが、扉を閉めたあと、煙桜はゆっくりと一歩を踏み出した。


 ―後は、てめぇでなんとかしろよ。帝斗。






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