第4章 天保の飢饉へ

流民をめぐって・安堵の地

 流民のことについて『二宮翁夜話』巻一、全体の第九「笠井龜藏を諭す」というお話に興味深い場面があります、みてみましょう。


 越後国の出身にて笠井かめ藏というものがありました。ゆえあって翁(二宮尊徳翁、金次郎さん)の僕となっていました。


 翁(二宮尊徳翁、金次郎さん)はさとしておっしゃいました。


「あなたは越後の出身である、越後は上国と聞いている、どういうわけで上国を去って、他国にきたのだ」


 龜藏は申しました。


「上国ではございません、田畑は高価であって田徳はすくなく、江戸は大都会であるので金をえることがたやすいであろうと思って江戸に出てまいりました」


 翁(二宮尊徳翁、金次郎さん)はおっしゃいました。


「あなたはあやまっている、それ越後は土地が沃饒(豊か)であるがために食物が多く、食物が多いがために人員(人口)が多く、人員が多いがために田畑が高価であり、田畑が高価であるがために薄利なのである。そうであるのを田徳がすくないという。すくないのではない、田徳は多いのである、田徳が多くて土徳が尊いがために田畑が高価であるのを、下国とみて生国をすて、他邦に流浪するは大いなるあやまちである。あやまちであると知ったならば、すみやかにそのあやまちを改めて帰国すべきである。


 越後に等しき上国はほかに少ない、そうであるのを下国とみたのはあやまちである、これを今日の暑気の時節にたとえれば、蚯蚓みみずが土中の炎熱にたえかねて、「土中がはなはだ熱い、土の中から外にいでたならば、涼しきところがあるはずだ、土中におるのは愚である」と考えて、地上にいでて照りつけられ、死するに同じである。


 それ蚯蚓は土の中におるべき性質にして、土中におるのが天の分である。そうであるのならばどれほど熱いとしても外を願わず、自分の本性にしたがい、土の中にひそみさえすれば無事・安穏であるのに、心得ちがいをして地上にでたるが運のつき、まよいからわざわいをまねいたのである。


 それあなたもそのようであって、「越後の上国に生れたが田徳が少い、江戸にでたならば金を得ることなどたいへん簡単であろう」と思いちがい、自国を捨てたのがまよいのもとであって、みづからわざわいをまねいたのである。


 そうであるならば、今日あやまちを改めてすみやかに国に帰り、小を積んで大をなすの道を勤めるほかはあるべきでない。心が誠にこの心境にいたったならば、おのずから安堵の地をえることは必定である。


 まだ迷って江戸を流浪したならば、つまりは蚯蚓の土の中をはなれて地上に出たのと同じであるだろう。よくこの理を悟ってあやまちを悔い、よく改めて安堵の地を求めなさい。そうでなければ今千金をあたえるとも無益であるだろう、私のいうところは必ずたがわないはずだ」


 さてここでは金次郎さん(二宮尊徳翁)が笠井龜藏という越後から江戸へとでてきたものに訓話をされています。そしてその内容は流民であるものに対し、国を捨てるな、国へ戻りなさい、というものなのです。


 これはのちの話です。かつて来民(流民)を招いておられた金次郎さんに、どのような心境の変化があったのでしょうか。その心境の変化について、『報徳記』は筆をさいています。その部分を見てみましょう。


 ある人が問うて申しました。


「来民を安んじるのはわが子を育するがようにするのですか」


 金次郎さんはおっしゃいました。


「わが子は骨肉・分身の親しみがある、来民は自然の親しみがあるのではない、ただ恩義の厚い・薄いによって進退する、ことに生国を去って他国に来たるものは往々おうおう無頼の民が多い、これらの民をしてこの土地に永住させることは、その撫育がわが子を育てるのに倍しなければ、(そのものが)とどまることはできない」


 金次郎さんの撫恤ぶじゅつの厚いことは(これから)推測して知るべきであります。


 来民すらなおこのようでありました、ましてや在来の民をどれだけ大切にされたか。


 貧困に迫られて一家を失おうとするものには、あるいは田を開かせ、年貢をゆるしてここに作らさせ、あるいは負債をつぐない、あるいは米・粟をあたえ、あるいは家をあたえ、農具をあたえ、衣類をあたえ、一家を保ち活計をなすためのことについて手をつくさないことはありませんでした。


 そうであるのに恵みを加えることが厚くなるにしたがって、かの地の難難はいよいよ増し、恩澤をくだすにしたがって、かの地には災害がいたり、救おうとすればかえって倒れてしまうのでした。


 先生はおおいにこのことを憂い、その理由を考えられました。


「枯木に幾度糞培ふんばい(肥料をやる)したとしても、その再びの盛んなことをえることはできない、新木に糞養すればすみやかに生長する。無頼の民の積悪はすでに程度が過ぎており、まさに亡びんとするのときが到っているのだ。


 そうであるのを、なおこれに恩澤をあたえるときはいよいよ恩のために亡滅するのをうながしてしまう理があるのだろう。助けようとしてかえってその亡びをうながすことは、仁に似て不仁にあたる。


 そうであるならば、すなわち教えるに改心・勧善の道をもってして彼らの旧染の汚悪をあらい、改心して勤農の道に立つにおよんで恩恵を施したときは新木を培養するがようであって、災害をまぬがれ永続の道にいたるだろう。


 また教えを重ねるといえども彼らが改心することができず、いよいよ無賴に流れて道にそむくときは救助の道をほどこすことができるところはないのだ。その亡びるのを待ってその親族中で実直なるものをえらんでその家を継がしめるときは、これもまた新木に糞するがようであって、積悪の報はすでにつきて再び盛んになることは疑いないはずだ。


 嗚呼ああ、今まで恵んでいたのは姑息こそく(無駄なこと)に当たったのだ。


 そう深くおもんばかり、おおいに教導をなされ、改心の実業をみてそして厚く彼らに恵み、その改めないものは困窮が極へむかうといえども恵まれませんでした。


 ここまで『報徳記』では厳しい現実が示されています。


 金次郎さんは見込みのない人間を突き放されたのです。努力しなさい、自分の力を発揮しなさいと、強く激励されたのです。そして気持ちを改めないものには恵みをあたえないようになったとされています。


 悪事を積んだものは助けられない、残酷な現実です。金次郎さんは心を改めよ、人は変われる、そう信じておられました。しかしここに「その実業をみる」というように姿勢を変化されています、仁(人を思いやる)のために誰かを突き放す、そういうことなのでしょう。心境が変化したのです。そしてこれは厳然とした悪いものは悪いという現実であるとともに、悪いものもよくなる可能性はある、善いものはもっとよくなれるという悟りでした。


 ここも特定の人間(悪人)を見捨てるとは「封建的」と意見は割れるかもしれません。しかし金次郎さんはそのいるべき場所(「分」、「善」)を知っているものにだけ、天は安堵の地を与えるとされています。


 人にとって安堵の地とはどこにあるのでしょう、よく考えたいところです。

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