桜町の様子

 さて金次郎さんは「心の荒蕪をひらく」という志を秘めて、下野国・桜町へ向かわれることになりました。


『報徳記』の記述を意訳して追ってみます。


 金次郎さんはすぐに祖先の墓へまいり、合掌して告げるに前言をもってし、家にかえり妻にいっておっしゃいました。


「今、明君(大久保忠真侯)が上におられて私の不肖を棄てられず、命ずるに廃邑を興し、衆民を安んじることをもってせられた。このことを辞することすでに三年に及ぶといえども、君はこのことをお許しなされなかった。止めることができずしてその命をお受けいたした。このような大業は平常の行いをもって成就できるものではない、そのために一家を廃し、相続の道を捨て、身命をなげうちて勉励しようとおもう。


 そうではあるけれども、このような複雑な事情は婦女子の理解するところではない。私とともに千辛萬苦をつくし、君命をはずかしめないことを思ってくれるのならばともに野州(下野国)におもむこう。もし平常の心をなつかしみ、艱苦をいとうような心があるのならば、今、すみやかに去ってもいい」


 妻はおっしゃいました。


「異なるかな、良人のお言葉や。


 それ女子おなごは一度嫁した時は二度と帰るの道はございません。そのためをもって世々よよ嫁ぐことをいって「とつぐ」とするのではございませんや。生家を一歩出たときにあたって私の心はすでに決しております。


 良人が水火を蹈まれるならばともに踏みましょう。ましてや良人が君命をお受けして大業を成そうとされる、これは私めの幸いにありませんでしょうか。身を捨てて艱苦を甘しとすることは、どうしていうに足りましょう。栄誉や利益にはしり、身の安逸を願うようなことは、君命がないといっても欲せないところにございます。良人だんなさまよ、必ず労されることがありませんように。ともにともに野州(下野国)におもむきましょう」


 そうおっしゃいました。金次郎さんは笑っておっしゃいました。


「おまえの言葉はありがたい」


 ここにおいてことごとく田圃・器財を売り払って若干のお金を得ました。


 一子を彌太郞とおっしゃいました。今年わずかに三歲でした。このご子息をたずさえて故郷を去り、東海道より江戸にいでて道程・五十里をとり、数日にして野州(下野国)の芳賀郡桜町に到着されました。


 この時が文政五(午)年(1822年)でした。はじめて(この地に)至った日、物井村を去ること一里あまりに谷田貝えき(宿場町か?)がありましたが、名主のなにがしというものが両三輩と(村役人を連れて)、谷田貝驛にて金次郎さんを迎え、地にひざまづき、声をやわらげ、色をよろこばしくして金次郎さんにいって申しました。


「君は小田原侯より委任の命をお受けなさり、我が村の民を安撫しようとしてはるかにこの地にいらっしゃったと聞きます、村民のよろこびは嬰兒えいじ(赤子)が父母にまみえたような様子です。


 そこでそれがしらは昔日よりここにいでて、君を待つこと長いことでした。遠路の行歩でそのお疲れは察することができます。爾來じらい(そこで)ただ願うところは慈愛をこうむることだけにございます。今いささかその労をなぐさめんがために、少しだけですが酒肴をもうけました」


 そう申しました。先生は欣然きんぜんとして(喜んで)おっしゃいました。


「あなた達のご厚意、謝するにあまりがあります。君命がたく不肖の私をかえりみず、この地にのぞむことになりました。早く桜町にいたろうとするの心だけであって途中に遅れるのを憂います。あなた達は労することがありませんように」


 そうおっしゃって、すぐに谷田貝を通りすぎて桜町に到着されました。ある人が問うて聞かれました。


「かの名主ははるかに迎えてあなたの労を慰めました。懇志は至れりというべきです。そうであるのに、あなたの彼を遇するの粗であるのはどうしてですか」


 金次郎さんはおっしゃいました。


「およそねい(気持ちのいい言葉)をもって先んずるものは必ず奸人です。実直・清潔のものは呼ぶといえどもたやすく来たりません。彼らは上をあざむき、下をむさぼり、私曲(個人的な悪事)をたくましくするところの奸人なのです。


 私のいたるのを聞いてその界(悪事)のあらわれるだろうことを恐れ、表に実意をかざりて人をあざむき、裏に私意をはたらかせようとのたくらみだったのです。


 君命を受けてこの土地に来ったもの数人は、みな彼らの侫奸にあざむかれ、これらのものを第一の善人と思いいたるの日より萬事これらと共に謀ったのです。


 このために事はますます破れ、善人はこれらのものを怨み、悪人は私曲(悪事)をもっぱらにしました。これでは何をもって衰廃を興すことができましょうや。私は彼の表を飾るをとらないで、彼の腹の心を察したのです。


 あえて彼をしりぞけるにもあらず、また彼の術中にもおちいらず、善悪を明きらかに弁じて善をあげ、不能をあわれむのまつりごとをしかんとするのです」


 そうおっしゃいました。ある人は大いに先生の明鑑に感じられました。


 ここまで『報徳記』は金次郎さんの実直な人柄を伝えています。


 なお、金次郎さんは『二宮翁夜話』巻三、全体では第八十四「賄賂を戒む」で次のように回想されています。


 翁(二宮翁、金次郎さん)はおっしゃった。


「太古の交際の道はたがいに信義を通じるに心力をつくし、四体を労してまじわりを結んだものである。どうしてかといえば、金・銀・貨幣がすくなかったがためである。


 後世、金・銀の通用がさかんになって、交際のうえで音信・贈答はみな金・銀をもちいたために、通信は自在になって便利はきわまった。これから賄賂ということが起こり、禮をおこなうといい、信を通じるといい、ついに賄賂におちいり、これがために曲(悪)・直(善)が明かでなくなり、法度が正しくなくなり、信義はすたれて賄賂がさかんにおこなわれ、百事は賄賂にあらなければ弁ぜられないようになった。


 私がはじめて桜町に至ったとき、かの地の奸民があらそって我に賄賂をした。私は塵芥だにも受けなかった。これより善悪と邪正が判然として、信義や貞実なものが初めてあらわれたのである。


 もっとも恐るべきはこの賄賂である。けい(あなた)たちは、この物に汚されることがないように」


 ここでは賄賂にくらまされないようにという訓話と、桜町陣屋に到着した際におこなわれた賄賂の様子がえがかれています。


 清廉な金次郎さんの人柄がうかがえます。


 さて次には『報徳記』から、当時の桜町陣屋の様子をみてみましょう。


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