「五常講」と金次郎さんが考えていたこと

 さて金次郎さんの「五常講」について簡単に説明しました。


「五常講」については、『二宮尊徳全集』第14巻の「八朱金の貸下と五常講の起元」の章につけられたまとめがおそらく「五常講」に関する信頼できる史料・まとめだと思うのですが、長文にわたりますので、この部分は引用を控えます。


 そもそも講というものは宗教的な講、参拝のためにみんなでお金を積みたてるような講(伊勢講、恵比須講などがあった)と、頼母子講、無尽のような金銭を互いに融通しあう金融をおこなう融資の講があったとされます。


 しかし金次郎さんの設立した五常講はすこしちがう要素があったようです。


「五常講」の基本的なルールとして、仁・義・礼・智・信の五つの「人としての心掛け」の実践が目的としてあげられており、道徳的な自覚が求められていました。


 お金は順番に貸してゆかれ、定められた期限で返済されると、次に必要なものに融資される。返済ができなかったときは連帯保証人が保証をおこなうというようになっていました。


 『二宮翁夜話』には金次郎さんがお金の融資についてのちに述べられている部分がありましたので、意訳させていただきたいと思います。


『二宮翁夜話』巻二、全体の第四十二 「兩全完全の理を示して無利息金貸附の德を示す」という訓話です。


 翁(二宮翁、金次郎さん)がおっしゃった。


「世界の中で法則とすべき物は、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、農業の道との四つである。この道は誠に両全完全(双方にとって善い)のものである。百事においてこの四つを法とするならば誤りはない。


 私の歌に「おのが子を恵む心を法とせば学ばずとても道に到らん」とよんだのはこの心である。


 それ天は生々の德を下し、地はこれを受けて発生し、親は子を育てて損益を忘れ、ひたすら生長をたのしみ、子は育せられて父母を慕う、夫婦の間はまた相互にそれぞれがたのしんで、子孫があい続く、農夫は勤労して植物の繁栄をたのしみ、草木もまた欣々として繁茂する。みなそれぞれ共に苦情はなく、悦喜の情があるだけである。


 さてこの道に法を取るときは、商法は売りてよろこび、買ってよろこぶようにするべきである。売ってよろこび、買って喜ばないのは道ではない、買って喜び、売りてよろこばざるも道ではない。貸借の道もまた同じで、借りて喜び、貸して喜ぶようにすべきである。借りて喜び、貸して悦ばないのは道ではない、貸してよろこび、借りて喜ばないのも道ではない。百事はこのようなのだ。


 それ私の教えはこれを法としている、そのために天地の生々の心を心とし、親子と夫婦との情に基き、損益を度外に置き、国民の潤助と、土地の興復とをたのしむのである。そうでなければできない業である。


 それ無利息金の貸し附けの道は、元金の増加するのを德としないで貸付高の増加するのを德とするのである。これは利をもって利としないで、義をもって利とするという意図である。


 元金の増加を喜ぶのは、利をよろこぶ心である、貸し附け高の増加を喜ぶのは、善心である。


 元金はただに百圓であるといえども、六十年繰返し繰返し貸したときは、その貸し附け高は一萬二千八百五十圓となる。そして元金は元の如く百圓であって、増減はなく、国家・人民のために、益あることは莫大である、まさに日輪が萬物を生育し、萬歲をへれども一つの日輪なるがようである。


 古語に「敬するところの物少くして、よろこぶ者多し、之を要道ようどうと云う」(典拠わからず)とあるに近い。私がこの法を立てた所以ゆえん(理由)は、世上にて金銀を貸し、催促をつくしたのち、裁判を願って、(お金が)取れないときにいたって無利息年賦となすが通常である、この理をいまだ貸さない前にみて、この法を立てたのである。


 そうではあるけれども、いまだ足らないところがあるがために、無利息を何年か据えおく貸し方という法をも立てたのである。このようにしなければ、国を興し世を潤すにたらないのである。およそ(大事な)事はなりゆくべき先を前に定めるにある。


 人は生れれば必ず死すべきものである。死すべきものということを、前に決定すればいきておるだけ日々利益である。これが私の道の悟りである。生まれいでては死のあることを忘るることがないように、夜が明けたならば暮れるということを忘れることがないように」


 ここでは金次郎さんは天地、親子、夫婦、農業の道をあげられ、それぞれが利益をえること、片方が損をしないことを説かれます。低金利で貸し・借りして、それぞれが喜ぶこともいわれます。みんなが喜ぶというのは、近江商人のいう「三方よし」という考えに近いかもしれません。


 また金次郎さんはお金などが社会に行き渡るようにお金を無利子でたくさんの人に融資することを説き、複利になるのでしょうか、それとも循環してお金を貸しつづけお金が生き生きと使われるということでしょうか、ともかく多くの人が救われることを願われています。


 なお「三方よし」とは、江戸時代に行商をした近江商人が説いた言葉で、「売り手によし」、「買い手によし」、「社会によし」の三者が利益をえることを考えた概念です。「国を興し世を潤す」ということを考えておられた金次郎さんがこのような結論に到達されたのは興味深いお話です。


 そして最後には人間の利益とは生きることだと、毎日を懸命に生きる、そうすれば活かされた一日一日が利益となる、決死の覚悟で生きていく、これが金次郎さんの悟りでした。


「死を想え」というのはどこかで聞いた言葉のようにも思いますが、自分の最後の日を覚悟して人生を輝かせていく、決心して社会を起こしていく、尊いことだと思います。


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