2,海賊の兄弟姉妹 ー ファロン

#2 いつもの喧嘩


 この世でもっとも誇れるのは家族であり、そういう意味での居心地の良さが大好きだった。

 けど正直な話、『海賊』とか『フィーニ』と呼ばれるのは嫌だった。

 俺はきっと、この家族の中ではよっぽどの変わり種だろう。



 それについて、多少悩むことはある。

 例えば酒場の直ぐ前で繰り広げられる余興。棹や木刀、箒にフライパン、ロープに網……その他好きな得物を使っての勝ち抜き勝負。およそここでなければ『余興』ですらなかったであろう危険な喧嘩だ。

 噴水や軒の貨物箱をギャラリーにして集まりだした野次馬……もとい乱闘候補者はもはや百を超えた。皆自分の仕事をほっぽり出してきたのがバレバレなほど、恰好はそれぞれ。しかし汚れるのを躊躇うような気取った衣装の者など一人もいない。

 最初に誰がやり出した事なのかはもう知ることはできないが、さっきそこの酒場へと担ぎ込まれた誰かだろう。昼間の間は食堂として賑わう酒場は、この騒ぎの会場が目の前というだけで、緊急の医務室へと変わっている筈だ。もっとも、この中でも乱闘が始まっている可能性もある。ともかく、ここに集まった連中は楽しめればそれでいいのだ。今盛り上がっているのは単なる腕っぷしや剣術やその他の大道妙技を競うものに過ぎない。恨み辛みは無し、遺恨を残さず、すっきりさっぱり気を晴らしてしまおう……

 ……というのが理想だが……これに酒や女が絡むと怪我で済まなくなる事もままある。願わくば、この馬鹿騒ぎが夜まで後を引きませんように。


 ガラガラガシャ――――――――――――!


 木箱が砕ける派手な音が鳴った。同時、歓声が上がる。

「うっひゃー! さっすがダイラ兄! あざやかなもんだ!」

 俺の隣……の四つ積み上げた箱の上から聞こえる子供の元気な声を聞き、俺はこの勝負の結果を知った。

 昼間だというのに俺の周囲は薄暗い。それはこの場に押しかけた人だかりと、その人だかりの上から見られれば最高の特等席、と主張する少年が積み上げた木箱が原因だ。

 元より喧嘩がどうなっているかなんて、この大柄な男達の作る輪の外にいる限り見える筈もないし、見ようと思うほどにも興味はない。俺はこの暗い裏路地で自分の仕事を片してしまわなければいけないのだから、適当に相づちを打ってやりすごそうと思っていたのだけど。

「そっか、やっぱりダイラ兄の勝ちか」

「おう! いつもながらよくやるよ、何も無いからってロープを使ってるんだぜ? それで投げ飛ばしちまった!」

「……んじゃ、ようやくロッツが消えたわけか……また技の勝負になったのかな」

「みたいだね。ま、力じゃロッツに勝てないからそろそろだとは思ってたけどさ」

「ダイラ兄じゃなかったら、カイリンガ姉が出てきたかな」

 「違いない」とけらけら笑う少年……そうして大人達の下品な笑い声を真似ていながら、しかし幼さから来る愛嬌も残っている。そんなオルカの実況から、俺はこの勝負の流れを推測し、適当に話を合わせていた。海賊に憧れるオルカにしてみれば、こんな乱闘騒ぎですら何か特別な儀式の一つと思えているのかもしれない。

 ……もっとも、俺にとっては日常過ぎてありがたみのない儀式ではある。結果だけ分かれば十分。それさえ知っておけば、後々話題に上っても話に遅れる事はない。場の空気なら、この狭い路地裏でもビンビンに感じ取ることができる。

 今、その空気が変わった。箱の上のオルカを含め、聴衆の気が高ぶっていた。

「お。そのカイリンガ姉が次だ。うはー! すげぇっ! やっぱり素手で行く気だ!」

 俺は内心で笑った。その様子が容易に想像できたからだ。


 いよいよ盛り上がってきた広場に、裸足の美しく若い女が歩み寄る。おおよそ戦うとは思えない小柄な肩を慣らしながら歩く姿を見れば、その肉の付き方の逞しさと美しさに気付き、誰もが息を呑む。見れば武器など何も持ってはいない。さっきまで肩まで届く髪の毛を掻き上げていたその細い指先は、握りしめる一瞬後には最もシンプルな武器へと変わる。結んで、開いてを繰り返す掌は蛇の顎のようであり、相手を睨む目は豹のそれ。“獣姫”という二つ名は、正に彼女の美しさを表現する為にある。

 それを迎え撃つのは、野生七分端正三分の伊達男。職人服をはだけ、大袈裟な身振りで挑発する態度は何処か卑猥でいい加減。しかしその自信とは裏腹に得物らしい得物はない。仕事場から咄嗟にひっつかんで来た細いロープが彼の手にあるだけ。だがしかし先程この男はそれを使い、自分よりも二回以上もある大男を手玉に取り、そして投げ飛ばしたのだ。この場でそれを目撃した誰もが、鮮烈に覚えていて、彼はそれを当然というように笑っている。その妙技をもう一度披露するつもりで。

 カイリンガ姉とダイラ兄……二人とも、本命にするには十分過ぎる実力者だ。嫌が応にも場の熱気は高まっていった。

「どう出るかな。ロッツみたいには行かない筈だけど」

「うん、オイラもそう思う。カイリンガ姉、鋭いもん」

 鋭い、とは勿論目つきの事ではない。カイリンガ姉の戦い方のことだ。カイリンガ姉と打ち合えば、みんながみんなそういう印象を受ける。食いつかれたら誰もがまず敗北を意識してしまう程の速さと勢いがカイリンガの武器だ。

 対してダイラ兄は非常にスマートだ。相手の勢いをそのまま利用する術に関してはおそらく右に出る者は居ない。なのでスタイルの相性で言うならダイラ兄が断然有利なのだが……ダイラ兄はちょっと目立ちたがりなところがある。今も又、最初にロープを持ち出したせいで退くに退けなくなっていることだろう。ウィール兄の真似をしてみたんだろうけど、それが裏目に出たら負ける。もっとも、どういう物を使わせたってダイラ兄は天才的に巧いのだが。

 カイリンガ姉の雄叫びが聞こえた。戦いが始まったらしい。あの二人の戦いに剣戟の音は無い。石畳を打つ靴音すらない。ただ、好戦を証明する歓声ばかりが激しい。

「ダイラ兄が勝つな」

 俺はぼそりと呟いた。

「何で?」箱の上からオルカが尋ねる。

「カイリンガ姉相手ならやり慣れてるからさ。だけど……」

 俺は苦笑いを浮かべながら付け加えた。

「カイリンガ姉の方はいつまでもダイラ兄に慣れない」


 ガラガラガシャーン!


 俺が興味無くそう言い終わるのと同時、身体が何かに押し潰され、目の前が暗転した。

 全身を襲う痛みの中、派手な音も聞こえる。

「やってくれるじゃないか、ダイラ兄!」

 そして、異様な程直ぐ近くから聞こえるカイリンガ姉の声…………

 どうやら俺は、投げ飛ばされたカイリンガ姉の下敷きになっていたらしい。視界は暗転したままだというのに、姉の愛用する独特な香水の匂いが鼻を付く。

「へへっ、また俺の勝ちだな。そろそろ花嫁修業した方がいいんじゃないのか?」

「おのれ! 何処まで人を馬鹿にした態度を取るつもりか!」

 やがて身体から重みが消えた。彼女は雄叫びを上げながら走っていった。

 ………弟を下敷きにしてしまったことには最後まで気付かなかったらしい。

「ファロン兄、平気か?」

 そしてやはり直ぐ隣から聞こえるオルカの声。目を開ければ擦り傷だらけのやんちゃ顔が、大して心配もしていないというような笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んでいる。……オルカは避けられたらしい。代わりに彼の特等席の中身が、見事に俺の身体を埋めていた。主に芋だ。

「まったく……見てないからそんな事になるんだぞ。……何やってたのさ」

「芋剥き」

「海賊のやることじゃないね」

 その台詞は彼の口癖だ。

「罰当番だよ。お前だってよくやってるだろ。イタタタ……」

 海賊の子として生まれたオルカは、当然のように海賊の背中に憧れて育った。ダブダブのズボンとバンダナ、動きやすいジャケットに木の短刀を忍ばせているその姿は、確かに本で見るような海賊の姿そのものだが、……どちらかというと下っ端っぽい。それでいいのか?弟よ。

「今は、この喧嘩が大事だろ。海賊としてはそうするべきさ」

「あのなぁ……」

 琥珀色の真っ直ぐな瞳でオルカは断言する。呆れつつも、それ以上は何も言わなかった。確かに、こんな時にこんな罰当番している方が悪いのかもしれない。

 野次馬の足の隙間からは、ダイラ兄が得意げに腕を振り上げている姿が見えた。目をずらせばなかなか引っ込んでくれないカイリンガ姉が無理矢理退場させられるのも見えた。さっきの俺を巻き込んだ一撃で、ダイラ兄の勝利が確定したらしい。やがて次の挑戦者が現れた。歓声が小さい所を見ると次はフィーニの一族ではないらしい。確かにそればっかりが続いても場がしらけるだろう。


「ファロン兄だって気になってんだろ?」

 いつまでも前屈みで居る俺に対し、オルカがからかうように声をかけてきた。

「そんなわけないだろ。こんな馬鹿騒ぎ、直ぐに終わる」

「予想して当ててたじゃん。予想屋とかやったら受けるって」

 悪戯した時のように笑うオルカを無視して、俺は芋剥きに戻った。興味の無いのを装いながら。

「……でなかったら、自分で名乗り上げてみるとか」


 ウオオオォォォ!


 オルカの呟きに賛同したかのようなタイミングで、野次馬達の歓声が上がった。思わず指を切ってしまった。

 また何かあったらしいが、もうそれほど興味もない。元より、こんな喧嘩は俺には向いていない。

「剣は苦手だ」

「ダイラ兄なんてロープだ」

「……オルカ、兄さん達の変な所を見習うんじゃない」

「――――――――」

 オルカの沈黙とは対照的に、再び広場が歓声に包まれた。




 フィーニには変わり者が多い。

 一体誰が言い出した事なのか、だがそれは的を射ているように思える。

 怪我さえしかねない勝負におかしな得物で注目を集めるダイラ兄。まるで獣のような目つきで一騎打ちを楽しむカイリンガ姉。そして十歳にも満たない子供ながらに、そんな荒事の好きなオルカ。

 ……ただそういう嗜好の人間なんてこの町では珍しくもなんともない。それ以上に異様なのは、それらの渦の中心であるフィーニという一族そのものなのだ。剣など握らずに一生を終えるような普通の町人は勿論のこと、同じ海賊団の仲間までもそう思っているだろう。

 『フィーニ・オードインク』……海賊団と言えば聞こえは悪い。しかし、海洋が八割を占めるこの島国において、自らの縄張りを持つ海賊達は領主にも等しく、実質的には商業都市の軍隊のようなものである。頼りない自国の正規軍の代わりに異国の海軍を牽制し、その海域や通商路を守るために勇敢に戦う事さえあるのだ。

 そんな数ある海賊の中でも、『オードインク』の二つ名を冠するのはフィーニだけ。

 それは『海神オードに祝福されし者達』の意味であり、元を正せば古の海賊が自分達の略奪行為の正当性を示すために自ら名乗ったもので、そのおかげで一時期は『海賊』を指す不吉な言葉となった。フィーニの海賊だけが自ら名乗るでもなくそう呼ばれるのは、恐れや侮蔑からのものではない。人々は、本来の意味を以て、フィーニを『オードインク』の二つ名と供に呼ぶ。

 勿論彼らは海賊であり、約束のない船ならば容赦なく襲い略奪を行うが、もともと交易には明るいので、約束さえ取り付ける事ができれば、この海域の運行はこの世のどんな行程よりも(それこそ陸上を行くよりも)安全なものにする事ができる。オードを差し置いて商売の守り神だと呼ぶ者までいる程だ。

 だが、フィーニの名が知られている理由の大半は、そんな海賊としての名声ではない。

 『フィーニ・オードインク』が人々の噂に上るのは、もっぱら海賊団の団長ディオール・フィーニのことについてである。

 あちこちから浚ってきた女達のことごとくを己の妻に迎え、その間に子を為し、増えに増えた家族達。妻8人息子10人娘15人……孫はまだ少なくて3人。故人や認知されていない者まで含めると数えきれないほどになるのだろうと噂されている。そして今もまだ妻や子供は増え続けている。

 街の男達は「どうすればそんなに沢山の女を連れ添えるのか」と首を傾げ、街の女達は「どうすればそんなに沢山の妻と続けられるのか」と笑う。

 おそらく、普通の人間には想像もできない家族。

 あまりに偉大な1人の父、生まれの違う8人の母と、自分も含めて25人の兄弟姉妹、百数十人の海賊団とその三倍以上の住人達…………そしてそれを受け入れるフィーニという器。

 ここはあまりに大きな、そして普通じゃない世界なのだ。


「―――――俺は兄さん達とは違うよ」

「何だよ、それ」

 途端に、オルカがすねたような声を出した。いつの間にか、彼はあの観衆の中への興味を無くし、俺の隣に腰を下ろしていた。

 野次馬達が広場を占領しているせいで、昼間にも関わらずここには日が当たらない。狭い空を見上げ、そう感じた時、直ぐ近くにいる筈の野次馬達の歓声がとても遠いものに聞こえた。

「エランダ姉みたいな事言ってさ」

「エランダは分かってるのさ。何も兄弟みんなが海賊になる事なんてないんだ。アリエス姉みたいに留学するのだっていいと思う」


 エランダは俺と同い年の兄弟だ。厳密に言えばエランダの方が二ヶ月早く生まれたそうだから、本当ならエランダ姉が正しいのだけど、兄弟の誰よりも近しく育った俺達に、どちらが兄で姉かなんて関係ない。面倒見の良い、悪く言えばおせっかいで説教臭い彼女は、兄姉達の素行にしばしば辛辣な物言いをすることがある。オルカのような典型的なフィーニには、その辺りが気にくわないのだろうけど……

 アリエス姉のような人もいる。控え目でおとなしい彼女は、留学したいと言って隣国に旅立った。正直心配ではあるが、そこはやはりフィーニの血筋……何かと波乱に巻き込まれる妙な気質を彼女は持っているのだ。運が悪いわけではない。昔から、アリエス姉の言動や行動はそういったものを呼び寄せる。そうして周りを疲れさせるだけ疲れさせて本人はケロッとしているのだから、あの姉も相当なものだと思う。留学を決めた時だって、どれほど兄弟内で揉めたか分からないのに、彼女だけはとびっきりの笑顔で旅立って行ったのだ。見送る面々は皆憔悴しきっていたというのに。

「アリエス姉はずっこいよ。なんだかおいてきぼりを喰らったみたいでさ」

 オルカに限らず、そういう印象を抱く人も多い。

「あの人は海賊って感じじゃないだろ」

「台風みたい。真ん中は静かでさ」

「俺だって、剣なんか向いちゃいない」

「――――――――――――――――」

 オルカが再びすねたような表情を浮かべた。

 人混みの中から再び歓声が上がるが、もう彼は海賊の目で輪の中を見つめてはいない。

「――――ファロン兄は、意気地なしだ」

 ぼそりと、呟くオルカの声。それが、妙に胸に痛んだ。

「オイラ知ってる! ファロン兄、本当はすごく強いのに!」

「お、おい……」

 続くオルカの泣き声は、あまりに大きくて、そして悲しくて………

「一番勇ましくて、一番恰好良いのがファロン兄だ! 本気出したら、誰にも負けないんだぞ」

 辺りからオルカ以外の声が消えていく。最初は自分の周りだけだったのが、少しずつ、少しずつ広がっていって……止めたら逆に殴られそうな野次馬達ですら、一人、また一人と広場よりこっちを振り向き始めている。

「フィーニじゃファロン兄ちゃんが最強なんだ!」

「いや、その……」

 今では広場のみんなが俺に、そしてオルカが言う「フィーニで最強」という言葉に、注目していた。

 もはや引っ込みはつかない。相手は筋金入りの海賊達、下手な言い訳が通用する相手ではない。泣き言は彼らの逆鱗に触れかねない……

「いや、コイツがそう思い込んでるだけで……」

「丁度良い!、ファロン、最強だって言うならお前がやってみろ! がはは!」

 考えあぐねて言った小さな反論はしかし、誰が言ったのかも分からないその台詞によって全てを言い切る前に却下された。

 言い出した誰かは面白半分だった筈だ。しかし本気でないならないなりに、場は盛り上がる。本気で俺が強いだなんて思っている奴はオルカくらいなものだろう。

 正直、やりたくないなら戦う必要なんかないんだ、けど……

「そうだ、兄ちゃんやっちまえ! 本気出せ!」

 半泣きで俺を応援するオルカを裏切る事になるのが心苦しい。海賊に憧れる少年は、どうしてなのか俺を尊敬してやまない。

 仕方なく、包丁を置いて立ち上がる。すると、辺りからは待ちに待ったような歓声が上がった。

 結果が分かり切っているくせに面白半分に騒いでいる。……どうやら今日は厄日らしい。

「適当に頑張って、怪我しない程度に負ければそれでいいだろ」

 俺は適当な長さの棒を拾うと、俺は導かれるように広場の真ん中へと歩み出た。空の青さに目が眩む。知らなかった。今日の空は憂鬱な程に晴れ渡っていて、そしてこの広場にはこんなにも光が当たる……

 そこに―――――――

「え……?」

 身の丈ほどもある大きな剣を、鞘に入れたまま手に持つ、肩当てマントの男……

 顔も知らない異邦人が立っていた。

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