気の持ちよう

働気新人

『拝啓、先生へ』

 働くってくだらないよね。

 必死に仕事しても何になるかわからないよね。

 朝から晩まで仕事をして、休みも返上して、帰ったら寝るだけの生活って嫌だよね。

 上司に怒られて、同僚に嫌味を言われて、後輩は生意気で、給料は上がらなくて、嫌になるよね。

 学校では何のためかわからないことを学んで、細かいことで怒られて、友達と喧嘩したらなおさら嫌な気分になるよね。


 生きていたら仕方がない。皆頑張ってる。良い事ばかりじゃない。もっとしんどい人もいるんだぞ。お前みたいなのが他でやれるわけないだろ。何さぼってるんだ。趣味はないの。だから恋人がいないんだよ。こんなこともできないの。

 文句、不満、皮肉、妬み、比較、束縛、罵倒。現代はそんなものにあふれてる。


 はて? 本当にそうだろうか? 確かに溢れて、塗れて、膿んでいるのは間違いないだろう。しかし、こんなネガティブなことだけではなく、ポジティブなことは多いんじゃないだろうか?

感謝、感動、感嘆、羨望、愛情、前進、賞賛。現代はこれらも多いのではないだろうか?

 

「先生ー、高校生になんの話してるんですか?」

「つまり、だ。先生はな、意識をしろって言いたいんだ。難しいけどな。消しゴムを拾ってもらって感謝されても気にしないだろ? 反対に消しゴムを拾ったら舌打ちされたらいやな気持になるだろ?

 これは当たり前を肯定されているから言葉が入らない、当たり前を否定されたら言葉が入る」


「はー? わかんなーい」


 教室が喧騒に包まれる。この中で何人人生をかけて理解するだろうか?


「わからないのは当たり前だ。車に轢かれそうな人を助けたら相手はどんな反応すると思う?」


「え~、感謝はされるんじゃないですか~多分~」


「怒鳴られたらどう思う?」


「感じわっる! 最悪じゃん、助けなきゃいいじゃんそんなの」


 髪を弄る女子生徒が、行儀悪く膝を立てて椅子に座る男子生徒が次々答える。

 これが当然で、ここにいる生徒はきっと正常な感性を持っているだろう。

 罵倒する人間は自殺願望者か何かだろう、これをすぐさま想像できるのは同じことを考えたことがあるものか、人一倍想像力が豊かなのだろう。

 そして、この答えが出るということは、幸せを噛み締めていないものがほとんどだろうな。


「感謝されることが当たり前に思うだろ? これがさっきの消しゴムの話と同じなんだ」


 ゆっくりと、教室を見回してみんなが理解できているか確認しながら次の言葉を選ぶ。


「これが、気の持ちようなんだ。ありがとうを言ってもらえた、感謝をされた、自分に自信がなかろうが褒められた、何気なくやったことが人にいい影響を与えた、自信があることで拍手をもらった。これはすべて良い事だ。ポジティブなんだ。

 だが、ポジティブな言葉っていうのは聞き逃しがちなんだ。まず自分が意識してありがとうを言う、そうするとだんだん相手のありがとうが聞こえてくる。しかしまあ、ネガティブな言葉はポジティブな言葉より一〇倍聞こえやすいんだがな」


「じゃあ意味なくね?」「確かに」「どうすりゃええんや?」「ありがとうだけ言ってもらえる完璧超人になる!」「バカじゃねぇの?」「あぁ!? 傷つくぞ!」「喧嘩しないー」「ははは!」


「完璧超人は無理だ、それができたら人間は争わないだろうな。でも、落ち込んだ時こそ人と話して、ありがとうを言って、ありがとうに耳を貸すんだ。すごい、さすが、憧れる、かっこいい、かわいい、そんな言葉に耳を貸すんだ。嫌なことを 一言だけ言われても一〇回言われたポジティブがあるだろ? だからそれを思い出してもいい」


 笑いながら話を始めて、言葉を重ねるほど自然とトーンが下がる。真剣に、高校三年生という不安定な時期だからこそ、伝えなければいけないことをしっかりと伝える。

 気持ちや心などの不確定なものの話で、理解しずらいことだけど、少しでも伝わればいいという気持ちを載せて、一言一言確実に紡ぐ。


「クソみたいな世の中だ。逃げてもいい、人生はどうにかなる。借金を抱えて、首が回らなくなって、良い年で親や兄弟に頭を下げて世話になる奴もいくらでもいる。それでも何とかなるんだ。心が折れて、金がなくて、暴言ばかり浴びせられても、乗り越えて笑え。そして周りに、友達にありがとうって言ってみろ。遊んでくれて、話してくれて、支えてくれてありがとうって。

 崩壊は何もしなければ勝手に来るが、救いは待ってても絶対に来ない。だから、下を向こうが、上を向こうが、前を向こうが、横を向こうがいい。後ろを見てもいい。向いてる方向に足を進めろ。そうすれば状況は変わる。そうすればあとは笑って、逃げたきゃ逃げろ。

 でも、嫌だからってだけで逃げるなよ? 疲れたな、とか。いつ笑ったかわからなくなりそうになったら逃げろ。頑張って、頑張って、頑張って、逃げ出せ。それでいい。無理して体は壊すな」


 熱が入った。少し恥ずかしい。教卓を見つめていた視界を上に向け、教室を、生徒たちを見回す。


 最後の教室で、愛おしそうに笑っていたみんなが俺を見つめて、黙っている。

 きっと、何か言うと思っているんだろう。




………………ごめん、どうやって落とせばいい? あああああ! こんな人に見つめられてら緊張するよっ! 俺陰キャぞ!? 大学時代ブラック企業でバイトしてうつ病になって、家賃、学費滞納した落ちこぼれよ!? なんか卒業式のテンションで話したけど落ちどこだこれ!?


「おほん……、あーーっと……」


 ふと均等に並べられた机が目に入る。俺からは全員が、みんなからは俺と付近の数人が。

 ——なんだ、簡単じゃないか。思わず頬が持ち上がる。


「みんなは今生徒の視点しか知らない。先生はみんなより生きてるし、経験も色々してる。これが視野とか、視界とか、周りを見るってことに繋がるんだが、一人ずつ教壇に上がれ」


「おおー! じゃあ俺っちからいっきまー!」


 威勢のいい声とともにクラスの中心だった男子が上がる。

 教壇に立ったまま数舜無言になり、俺を見つめた。

 なんだ? ちょっと無言は気まずいぞ?


「……せんせー。なんかわかった気がするわ。いや、なんつーか。せんせーが大人に見える理由とか、俺らが子供って思われる理由てーか、そういうの。むずいけど、少しだけわかる気がする」


 呆然と、必死に言葉にしようとしているのを見て、自分の思い付きを褒めてやりたい。

 小さな、だけど確実に感謝が目に宿るのを見つめ、ふと瞳が潤みそうになる。

 男子生徒の言葉を聞いて、積極的に、教壇に上がる生徒達。


「お前も、どうだ?」

「そうだよー、下ばっか見てるんだから教壇ちょうどいいかもよー?」

「おい、そういうのよくないぞ。それがエスカレートしていじめになるんだ。必ず自分に返ってくるぞ」

「せ、先生。いいから……。わ、わたしも、で、出てみます」

「お! いいぞ! 頑張れ!」



 卒業式の一幕。その時見て、感じたものをその女子生徒が三年後に手紙で教えてくれた。




 曰く『世界が、視界が、考えが広がりました。見えてるものの違い、見えてる範囲の違い、先生があの日言っていた、ありがとうを聞けっていうのはこういうことなのでしょうね。あそこで顔を上げられなければ偏屈なままでした。小さなきっかけでも自発的に意識することで、いくらでも大きくなる。教えていただきありがとうございました。でも、少し難しいですね』だそうだ。


 難しいし、救いがないような世界かも知れないけど、捨てたもんじゃないんだよな……。

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