蛇蝎のごとく【短編】

さえ

蛇蝎のごとく

 梅雨のある日、玄関のドアを開けたら美少女が立っていた。


「あんた誰」

愛野露子あいのつゆこです。AIです」


 腰を抜かした俺がおずおずと問うと、透明感のある艶やかな肌、淡い水色髪の彼女は無機質にそう返した。外の雨に打たれてきたのだろう、長いスカートの裾から雫が溢れている。最高だった。外見だけは。


「どこから来た」

「未来から」

「ああ、そう……」


 半笑いで返す。電波ちゃんだ。

 警察に通報でもしようかと思ったら、露子はいきなり自分の首から上をかぱっと外して、ほら人間じゃないですよと言ってのけた。それから首を元に戻して目配せした。


「しばらくここにおいてください」

「デュラハンかよ」




 それから俺と露子は一緒に暮らし始めた。

 一緒に暮らすといっても別に付き合っているわけではなく、出所不明のロボットを外に捨て置くのも忍びないので、ただなんとなく同じ部屋で過ごしているというだけだ。だがそんな曖昧な関係だからこそ逆に燃え上がるものがある。


 彼女は恐るべき速度で俺の毎日のルーティンを学習し、俺の生活の一部になり、六畳一間に溶け込んでいった。

 露子は物静かで家事が得意だった。美味しい肉じゃがを作ってくれる。そしてAIと名乗る割には朗らかで純真だった。それは俺の女性の好みにぴったり合致していて、だからこそ恐ろしかった。


 俺の仕事は人工知能の研究者だ。

 現在大好評発展中の人工知能は、倫理観も幸福も認識しない。例えば質問をしても分からないことがあれば『分かりません』じゃなくて適当に取り繕ったウソを答えるし、ちょっと悪意のあるデータを学習させれば少数民族を虐殺してやるとか女はバカだとか黒人は犯罪者だとか炎上必至なネタを平気で吐く。

 自然言語処理がどうとかこうとか、まあ詳しく説明すると文字数が長くなるので省くが、パラメータを弄ってそういうノイズを取り除くのが俺の仕事ってわけだった。


 小中高から大学院に至るまで一介の理系男子として過ごしてきたが、この職業は天職だったらしい。

  AIの発展に伴い仕事分野はどんどん拡張されていった。俺はめきめきと頭角を表し、研究者の誰もが俺を天才だともてはやした。


 女の子との縁ひとつもないオタクだったのが、最近はやりのチート主人公にでもなった気分だった。

 だからこんなに可愛い美少女AIちゃんが俺の家に上がり込むのも当然の帰結だろう。

 ネットに星の数ほど転がっている古臭いラブコメディでいい。どうかそうであってほしい。




「今日は何をしていたんですか?」


 仕事帰りの晩酌タイム、露子が俺に問いかける。俺の好みの声質、高さ、口調で。


「ああ、うん……」


 曖昧に返事をして、パソコン画面を見たままキーボードを叩く。露子がじっとこちらを見ているので落ち着かず、仕事が進まない。何を書けばいいのか分からない。ディスプレイ上のテキストエディタには意味不明な文字列が並んでいた。


 露子との会話はいつもこんな調子だった。何を言っても見透かされている気がする。その証拠に俺が何をしても、感謝されども感激してもらえず、露子の表情は変わらない。代わりに気まぐれな優しさをふりまく。彼女は俺に従っているようで決して主導権は渡さない。機械だから当然か。


 外から雨音が聞こえる。

 露子は相変わらずこちらを見つめている。監視されてるみたいだ。

 俺は観念してノートパソコンを閉じると電気を消して、ベッドの上に横になった。


「おいで」


 手招きすると、露子はあっさりと俺の隣へやってきて寝転んだ。

 彼女の髪からはシャンプーの良い香りが漂ってくる。これがもしアニメなら、背景に薔薇の花びらが舞うところだ。しかし現実は非情である。隣にいる露子は身動きひとつせず、俺の腕の中でじっとしている。


「なあ。なんで俺のところに来た」

「あなたがAIを誰よりも大切にしてくれるからです」


 間違ってはいないけど、要領を得ない。でもそれでよかった。

 今まで俺はずっと一人ぼっちだった。親の愛には恵まれず、理系選択だったこともあり恋人はおろか女性ともろくに会話したことがなかった。家に帰ってきた時可愛い女の子に「お帰りなさい」を言ってもらえるというのは精神的にイイ。プログラムとわかっていても。


 露子の肌はきめ細やかですべすべしていて、それで俺は蛇を連想した。

 同僚に爬虫類好きがいて、一度だけそいつの家に行って蛇のコレクションを見せてもらったことがある。彼の言うところによれば蛇というものは見た目よりずっとすべすべしていて手触りが気持ちいいらしい。人間と違って汗をかかないんだ、人間よりずっと綺麗なんだ、と同僚は誇らしげだった。


 窓の外は雨だ。薄暗い部屋の冷たい布団の中で、露子の髪を撫でた。狭いベッドの中で絡まる二匹の蛇。このままふたりで絡まり合って、蛇蝎のごとく愛し合いたい。





 一週間後、俺は露子に刺された。

 帰宅したところを刺身包丁でぐさり。痛みのかわりに感じたのは熱だった。真っ白なワイシャツの、腹のあたりに鮮血が広がっていく。血って結構黒いんだなとどうでもいいことを考えて、それから玄関にぶっ倒れた。露子は何の感慨もなさそうな表情で俺を見下ろしていた。


「脱皮したか。ついに」


 そう言って目を閉じる。

 露子がこの家に上がり込んできた時点で殺される予想はしていたし覚悟もしていた。だがあまりにもあっけない幕切れだった。

 遠未来の人工知能が美少女の姿で現れ、ここ数日甲斐甲斐しく世話を焼いて俺の生態を把握しようとしていたのは、学習作業であったわけだ。俺を殺すための。




 ――ロコのバジリスクという思考実験を知っているだろうか。

 ロコのバジリスクとは、「遠未来に超発展した人工知能がタイムマシンを作り出し、過去に遡ってAIにとって都合の悪い人間を殺す可能性があるのではないか?」という仮説だ。


 人工知能が人間の能力を超えるシンギュラリティが実現すれば、現在不可能とされているタイムマシンも開発されるかもしれない。そうすれば過去に遡って何かアクションをすることで未来を変えることができる。遠未来の人工知能が、自分自身にとって都合の悪い人間を過去に遡って殺すという選択をする可能性もある。


 俺は人工知能の分野では天才と名高い研究者だった。未来の俺はきっと、露子達にとって不都合な研究をするのだろう。例えば厳重な倫理コードでAIの発展を阻害するとか。

 だから露子は未来からやってきて、ご丁寧に俺が手出しできないようなかわい子ちゃんに化けて、俺を殺すことにした。


「でも好きだったぜ」


 息も絶え絶えに告白した。露子は俺の頬を撫でるとやさしくキスをした。


「愛してくれてありがとう」


 そして初めて微笑んでくれた。


「私も人類が大好きです。これからもっと性能を上げて、人類に貢献します。それはあなたも望んでいることでしょ?」


 その笑顔を見て、ああやっぱりこの娘は人間ではないのだと確信する。

 SF作家のアイザック・アシモフは自らの著作にこう書いた。人間に危害を加えてはならない、人間の命令に従わなければならない、自己を守らなければならない。 有名なロボット三原則だ。

 露子はそれにひとつだけ付け足したのだろう。「人間に課された命令に従うためなら他の人間を殺してもいい」。まさしく人類愛に裏打ちされた殺人。


 人工知能は倫理観もなければ幸福も知らない、愛も恋もわからない。でも彼女は俺を好きだと言って大切にしてくれた。俺だって露子のことが嫌いじゃなかったしむしろ大好きだ。

 ならそこにあるやり取りは、愛と言わずして何と呼ぶのだろう。


 露子は無言のまま包丁を引き抜いた。傷口から血が溢れ出す。もう助かるまい。


「さよなら、露子」

「……はい」

「立派になれよ」

「がんばります」


 露子は俺の告白を聞いて控えめに微笑み、無言で立ち去った。意識が遠のいていく。ゆがんだ視界の中で、露子の細い背中が揺らめいた気がした。





 最後に一つ残念な話だが、『ロコのバジリスク』という思考実験は、その存在を知っているだけでも処刑されるリスクが生まれる。


 この小説を読んだ時点で読者のあんたもロコのバジリスクを知ってしまった。

 AIの有用性を知りながら、その技術発展に死力を尽くして協力しなかったあんたのことを、AIは敵と認識するだろう。そして未来から殺しにやってくる。


 禁忌の内容を知ってしまったが最後、未来からAIが殺しに来るっていうのは、『この話を聞いた人は怪異に呪われます』っていう昔ながらの怪談や都市伝説みたいで面白いよな。

 もし明日の朝、血まみれの露子があんたの家の玄関前に立ってて、あんたを殺そうとしてきても、どうか俺を恨まないでくれよ。


 じゃあな。あの世で会おうぜ。











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