10

 しばらく来れなくなるから、「軽功」を試しておくべきだと思うよ。そう耳打ちされて、まるで大昔のドラマで見たように、もしくは祖父がいつも話してくれたように、「軽功」を使って、衆人環視の中、夜闇を切り裂くように二人で空に飛び上がった。トレーニング通りうまく行った。このまま〈装置〉を隠してある場所までいけるだろう。うまくいったと二人で興奮しながらイヤーモニター越しに話をし、まちからだいぶ外れた森の中に下りた。

「ひとつだけ先に言っておこうと思って」

 集めるべきものが全て集まったかどうかをデータチェックする。その合間に滋晨は言葉を挟んだ。

「何だ」

「あのさ、あの男の子のこと……」

 絮飛は眉を顰めて目線だけで言ってくる。今はモニターされてるぞ。そんなのはわかってる。

「写真を見せてくれたあの男の子だよ、養子にどうっていう」

「ああ」

「俺たちは、あの男の子に世界を作ってあげられるかな……」

 絮飛ははっと息を呑んだ。

 絮飛は自分勝手だ、と滋晨は思うこともある。あの男の子の写真を見せられた時、彼の気持ちはもうだいぶあの子を養子に迎えることに傾いているに違いない、と思った。

 子供を持つという話が出てから、一応いろんな人に話を聞いたり、調べたりして、こちらの同性カップルによる「妊娠」「出産」「家庭」がどんなものか調べた。調べれば調べるほど頭がこんがらがった。こちらは本当に違う。向こう側で抱いていた、自分もいつか誰かを見つけられたら、というほのかな憧れどころではない。

 何でもできるという現実が自分を襲って来て、選択肢の間で、こんなことをしても平気なのか、おかしくないのか、という自分自身が持っている古い観念を見せつけられた。

 自分も向こう側の人間なのだ。同性カップルが子供を持つことに根源的に違和感を抱いている。そんなふうに思って自分が嫌になることもあった。

 どちらが産むかということも何回かシミュレーションをして考えた。事故の統計を調べ、昨今は女性の出産時の危険性とほぼ変わらない、と知っても安心も納得もできなかった。女性はそれでも産んできた、男性も今や産んでいる。だから自分たちもやることを考えたっていい、といろんな心算をつけた。

 それなのにいきなり養子に方向転換した。第一、恋人関係になるときも一緒に住むのも結婚するのも、絮飛に基本的に引っ張り回されている。口を挟めないというわけではないが。

 養子は古典的な方法だが、絮飛の考えは見透かせた。あの子がこちらの言葉を話せないというのが、彼を惹きつけたのだ。あの子に絮飛自身を重ね合わせて(もしかしたら滋晨もおまけになっている可能性はあるが)、あの子を救いたいと思っている。

 それはだいぶ本当に勝手な思い込みだった。絮飛は、向こう側の世界に憧憬を抱いている。どう考えても過ぎた憧憬だ。現実はそんなにいいものじゃない。

 そう考えはするものの、自分だって向こう側の過去について研究している。向こう側に何がしかの憧憬を抱いているのかもしれない。だから結局は自分たちは似たもの同士なのかもしれない。

 滋晨は自分から故郷を失った。失わされたかもしれないが、結局選んだのは自分だ。絮飛の頭の中にある故郷は初めから存在しない。そしてあの写真の男の子は、故郷を誰かによって完全に失わせられている。

 そもそも故郷なんてただの幻想にすぎない。

 ただ、今俺たちは何がしかの共通した世界を思い浮かべている。そこにあの男の子を入れてやることはできるだろうか。もしくはあの子を入れてもう一度何かの世界を作れればいい。

 少なくともお互いがお互いの故郷であろうとすることができれば……。

「多分できる、できるように努力はできる。俺はその努力をお前と一緒にしたい」

「じゃあ、しようよ」

 ただし、俺はすごくこれから忙しくなるから、絮飛が面会とか色々手続きとかやってね。あの子には、今の時間しかない。時間は無駄にできない。だから早く動かないと。

 絮飛は頷いた。

「俺、あの子と話すの楽しみにしているよ」

 言うと、滋晨が晴れやかに笑った。ひとしきり、笑ってから真顔になった。

「何で俺たちはこんなやりとりを、管制室に丸聞こえのところでやってるんだ?」

「これがこちら側の流儀じゃないの? みんなすごくプライベートなことをみんなに丸聞こえのところで話しているよね? 話し合うことが大事だって、みんなに言われたよ」

 二人は、〈九洲〉の言葉でずっとやりとりをしているが、全て同時通訳されているので全部丸聞こえだ。

 絮飛は、自分たちがモニターしている場合の時のことも思い出しながらも、何か釈然としない感じがした。流石にプライベートはこっち側だってそうだろう。いや誰だ、この間、離婚か何だかずいぶんプライベートな話を管制室で聞いた気がするな。

 反論する言葉は出て来ず、無言になって、二人はデータチェックに戻り、仕事をしっかりと終わらせて、自分たちの時間に戻った。

 二人のやり取りは、その後、管制室で伝説と化した。あれほどロマンチックな言葉は聞いたことないよと、絮飛は何人かに囃し立てられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る