第8話 同じ布団

「さ、これで宿題は終わったね」


 と私が言いながら教科書とノートをパタンと閉じると、鰐谷わにや君も残りの問題をスラスラと解いて、算数ドリルの最後のページを終わらせていた。


 国語や理科は私の方が早かったけど、計算問題は鰐谷君の方が断然早かったわね。


 これまでに色々な国で生きてきたせいか、計算方法も色々知ってるのかも知れないな。


 時計を見れば深夜2時半。


 子供が起きているには不自然な時間だ。


 だけど鰐谷君の両親は叱ったり「早く寝なさい!」なんて事は言わなかった。


 23時頃に一度、鰐谷ママがコーヒー牛乳とお菓子を持ってきてくれた時にも、


「もうこんなに宿題を終わらせちゃったの? 優子ちゃんも凄いのねぇ」


 と驚いていたくらいだった。


 しかもコーヒー牛乳はインスタントの「ゴールドブレンド」から作ったものだし、お菓子は「玄米クリームブラン」だった。


 子供に与える夜食としては、どうにも大人向けな感じがするのよね。


 深夜0時を回った頃に鰐谷わにやペアレンツが階段を上がって来る足音が聞こえ、ドアの扉をコンコンとノックしてから少しだけ扉を開けて顔を覗かせた鰐谷パパも、


「おじさん達は先に寝ちゃうから、あとは修平、頼んだぞ」


 と言って扉を閉め、奥の寝室へと向かってしまった。


 放任主義と言うよりは、鰐谷君が信頼されているのだろう。


 信頼されている鰐谷君も凄いけど、小学生の息子をここまで信頼できる両親も凄い。


 私の両親とは大違いだ。


 私の両親はいつまでも私を子供扱いしようとする。


 いや、子供というよりは「所有物扱い」と言った方がいいかも知れない。


 だって、これまでの人生で私が「天才少女」だった時には、「ああすれば儲かる、こうすれば有名になる」と、両親にあちこち連れ回されたり、親同士の娘自慢に付き合わされたり・・・


 とにかくロクな事にはならなかった。


 私が何を言っても「お父さん達に任せておけば大丈夫だから」と謎の理論で言論封殺をする。


 それが私の両親だったし、私が結婚して子供が出来た人生では、PTAの会合などで保護者同士が集う時に、他の家庭も同じようなものなんだと気付かされたしね。


 それと比べれば、鰐谷君の両親は「鰐谷君を一人の人間として認めてる」と言えるわよね。


「ほんと鰐谷君は、この家に生まれてラッキーだったね」

 終わらせた宿題をリュックの中に詰め込みながら私はそう言い、「で、これからどうする?」

 と私は訊いてみた。


 鰐谷君は壁にかけられた時計を見て、

「今日は宿題も終わらせた事だし、いったん休憩にしない?」

 と言った。


 私は一晩や二晩の徹夜なら構わないと思っていたけど・・・


 と思ったが、ひと呼吸おいてから頷き、


「そうね、今日はもう眠りましょう」

 と言って、寝床を準備する為にテーブルの足をたたんで部屋の隅に寄せた。


 それを見た鰐谷君も荷物を片付けて、押し入れから布団を取り出そうとしている。


 確かにそうだ。


 つい鰐谷君となら人生の変革が起こせるのではと気持ちがはやってしまったけれど、この身体はまだ小学5年生。


 あまり夜更かしさせちゃいけないよね。


 そんな事を思いながら鰐谷君が布団を敷いてくれたのだが・・・


「ねえ、もしかして・・・、私達、同じ布団で寝るのかな?」

 とつい訊いてしまった。


 何故なら、鰐谷君が布団を敷いてみると、思いのほか部屋のスペースがいっぱいになってしまったからだ。


「うん、ウチは狭いからね・・・」

 と言う鰐谷君は、少し顔を赤らめていた。


 おやおや、何とも美少年が可愛らしい恥じらいを見せるじゃないのよ。


 人生を何度もリピートしてきたはずだが、根が初心うぶなのか、はたまた・・・


 とそこまで考えて、私は一つの疑念に行き当たった。


 鰐谷君って、最初の人生がアメリカ人だって言ってたけど、その後の人生は発展途上国や戦乱地域ばかりが続いていたのよね?


 だとしたら、彼は各々おのおのの人生でのかしら?


 私はほぼすべての人生で天寿てんじゅまっとうできたと思っているけど、鰐谷君の前世って、天寿を全うできるような人生だったの?


「ねえ、鰐谷君の前世では、何歳まで生きれたの?」


「え?」

 っと突然の私の質問に鰐谷君は少し面食らった様だったが、「えっと・・・、確か12歳だったかな」

 としどろもどろに答えた。


 12歳!


「ちなみに、直前の人生では、どこの国の人だった?」

 と更に問うと、鰐谷君は少し目を伏せ、


「・・・アフガニスタンだったよ」


 と言った。


 アフガニスタン・・・


 という事は、今年の9月にアメリカで起こる同時多発テロを受けて、翌年にアメリカが国連の反対を押し切ってアフガニスタンを侵略した戦争を目の前で見ていたのかも知れない。


「もしかして、9.11を止めたい理由って・・・」

 と私が言葉を詰まらせていると、


「それもあるけど、それだけじゃないよ」

 と鰐谷君が続けた。


「僕は最初、アメリカのスラム街で育った黒人だったんだ」


 彼の話はこうだ。


 最初の人生はアメリカのカリフォルニア州、サンフランシスコの郊外にあるスラムでの生活だったという。


 スラムでは10歳になるとギャングになって、銃で他のギャングと交戦したり、通りがかる人を襲ったりするそうな。


 まだ小さな頃はギャングのみんなが自分を守ってくれていたが、お金も無くて小学校にも行けず、字を読む事さえままならない自分は、生きて行く為にはやはりギャングになるしか無かったそうだ。


 彼がギャングになったのも10歳の時。


 兄貴分に銃の扱いを教わり、初めてのギャング同士の交戦は、その年の夏頃だったそうだ。


 何の為に戦っていたのかは分からない。


 ただ、初めての交戦で銃の扱いを教えてくれた兄貴分は銃弾に倒れ、彼は敵対するギャングに復讐をしようと飛び出したところで記憶は途絶えているそうだ。


 つまり、その時に彼は死んだのだろう。


 最初の人生を、たった10歳で。


 それからも転生する度に貧しい家庭や国家に生まれ、子供の頃から武器を持つ人生を繰り返してきたのだそうな。


 彼の話を聞いているうちに、私は涙が零れるのを止められなかった。


 そんな人生を、20回も繰り返してきただなんて!


「もういいよ、辛い話をさせてごめんね・・・」

 私はそう言いながら、正座をしている鰐谷君に中腰で歩み寄り、彼の頭を自分の胸に抱き寄せた。

 鰐谷君はビクっと身体を固くしたが、私がぎゅっと抱きしめているうちに、徐々に体の力が抜けていくのを感じた。


「辛い思いを沢山してきたんだね・・・」

 と私が言いながら目を瞑ると、大粒の涙が数粒、鰐谷君の頭の上にこぼれた。


 鰐谷君もいつの間にかすすり泣きを始めている様だった。


 熱い息が私のお腹越しに伝わってくる。


 そして、これまでに鰐谷君が話してくれた「日本ほど素晴らしい国は他に無い」という言葉の本当の意味を、私は今やっと理解したのだと感じた。


 私が知る「未来の日本」は、そんなにいい国じゃない。


 これからどんどん経済的に衰退してゆき、先進国から没落してゆく事を私は知っている。


「日本に産まれて良かった」と本気で思っている彼を、失望させたくないと思った。


 私は鰐谷君の頭を胸に抱き、右手で優しく撫でながら、

「この人生が、幸せな人生になるといいね」

 と言った。

 鰐谷君は小さく頷き、両手を私の背中に回してギュっと抱きしめ、私の胸に顔を埋めたまま大きく息を吸い込むと、ゆっくりと息を吐きながら顔を上げて私の顔を見上げた。

 そして小さな声で、

「これからも、僕と一緒に居てくれる?」

 と訊く鰐谷君の愛らしさといったら・・・


「もちろんよ!」

 と返した私の胸の奥が、痛痒い様な、むず痒い様な、不思議な感覚に襲われているのは何故?


「だから今日は、一緒に眠りましょ」

 私はそう言い、掛け布団をめくって鰐谷君と共に布団に包まり、私は自分で腕枕をしながら、鰐谷君の方を向いて、掛け布団の上からトントンと鰐谷君の胸のあたりを優しく叩いて寝かしつけるのだった。


 部屋の電気を消した私は、再び鰐谷君と同じ布団の中に並んで入り、鰐谷君の寝息を聞きながら、いつしか自分も眠りについたのだった。


 △△△△△△△△△△△△△


 翌朝、目が覚めて時計を見ると、もう9時半を過ぎていた。


 隣を見ても鰐谷君の姿は無く、階下から微かに鰐谷ママと鰐谷君が会話しているのが聞こえた。


 はっきりとは聞こえないが、何やら朝ごはんの話をしている様だった。


 私は起き上がってパジャマを脱ぎ、リュックの中からワンピースを出して着替えた。


 髪がボサボサになってないかと鏡を探したが、鰐谷君の部屋には鏡は見当たらなかった。


 はは、こういうところが男の子の部屋だよねぇ・・・


 そんな事を考えながら部屋の窓をカーテンと共に開けると、5月3日らしく暖かな日差しを受けた、向かいの建物が見えた。


 掛け布団をバタバタとはたいて畳むと、手慣れた感じで押入れに布団を入れた。


 敷布団はどうしようかな。

 子供二人が一緒に寝た敷布団だ。


 子供の身体はけっこう寝汗をかくから、敷布団は早目に干しておいた方がいいのだけど、この部屋の窓では布団を干せる幅も無い。


 仕方が無いので、とりあえず3つ折りにして部屋の隅に寄せておく事にした。


 そこまでして振り返ると、ちょうど鰐谷君が部屋に戻ってきたところだった。


「やあ、おはよう。起きてたんだね」

 と少し寝ぐせを残したままそう言う鰐谷君は、隅に寄せられた布団を見て、「布団を畳んでくれたんだね。ありがとう」

 と言って笑顔を作った。


「もうすぐ朝ごはんが出来るから、下に降りようよ」

 と誘う鰐谷君の顔には、もう昨夜の辛そうな表情は残っていなかった。


「うん! 何だかんだでお腹すいちゃった!」

 と私も努めて明るく振舞い、一緒に部屋を出ると、急こう配の階段を恐る恐るゆっくりと降りて行くのだった・・・

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