第6話 ゴールデンウィーク

 それからの毎日は、私にとっては特別なものだった。


 鰐谷わにや君はあまり他のクラスメイトとは会話をしている様では無かったけど、私は極力鰐谷君を誘って下校する様にした。


 鰐谷君も私の誘いは断らない。


 一緒に帰り道の途中にある公園のベンチに座り、これまでの人生の事などについて、沢山会話した。


 鰐谷君がこれまでに生きてきた人生は、聞けば聞くほどに壮絶なものだった。


 そんな話を聞く度に、「私がどれほど恵まれた人生を送ってきたのか」を思い知る事ができた。


 永遠に繰り返されると思って飽き飽きしていた私のこれまでの人生観について、鰐谷君はとても興味を持っている様だった。


 そう、私と鰐谷君はまったく別のタイプの「繰り返し」を行ってきたのだ。


 同じ人物を何度も繰り返し生きてきた私と、別の国の別の人間の人生を生きてきた鰐谷君。


 幸福を追求してきた私の人生と、サバイバルを追求してきた鰐谷君。


 私には鰐谷君の人生が刺激的で興味深いと感じるのに対し、私の人生は鰐谷君にとってはまるで「宮殿のお姫様」のお話の様に映るという。


 同じ時代を何度も生きてきた「繰り返し人生」という所だけが共通していて、それ以外は全く別の人生観を持った二人の間には、この時代を生きる他の誰とも得られなかった「刺激」があるのだ。


 それは「知識欲」を満足させる事が出来たし、何よりも「退屈」からの解放を得られた。


 そう、退屈からの解放が一番大きな喜びかも知れない。


 これまでの人生は、どんなに表面的に取り繕う事をしたとしても、やはり私は退屈だったし、実質的に孤独だったのだ。


 けれど今は違う。


 本音で語り合う事が出来る相手が現れ、秘密を打ち明ける事が出来、私の「深い知識」と、鰐谷君の「広い知識」が融合して、それこそ「二人が組めば、何でもできる」と思える程に、とにかく「ワクワク感」が得られたのだ。


紅羽くれはさん、おはよう」


「あ、鰐谷くん。おはよう」


 学校に通い、教室に入ると2人はそう挨拶を交わす。


 今は2001年5月2日、水曜日の朝だ。


「今日の放課後だよね」

 と鰐谷君が言った。


 そう、私は鰐谷君と約束をしていた。


 明日から始まるゴールデンウィークの4連休を「一緒に過ごそう」という約束だった。


 お互い、両親には「一緒に宿題をする為」という建前だったが、実際は「今後の人生の方針を決める為」の作戦会議をするのが目的だ。


 これは鰐谷君からの提案によるものだ。


 そのキッカケは、2001年4月に行われた衆議院選挙で自民党が圧勝し、それまでの森内閣が終わり、小泉首相が誕生した事だった。


 今の日本人は誰も知らない事だが、ここから日本はアメリカ追従路線を拡大し、郵政民営化が実施され、日本の企業が外資系企業に買収されてゆく社会が始まるのだ。


 そんな話を鰐谷君にしたところ、鰐谷君は驚いた様に目を丸くして、


「そんな事があったなんて! 世界の戦争が無くならない理由は、きっとそれが発端だよ!」

 と言っていたのだ。


 彼に言わせると、今年の9月11日にアメリカで起こる予定の「同時多発テロ」のキッカケになっているかも知れないという。


「そんな、まさか!」

 と私は言ったが、私が知る前世で繰り返し見てきた日本の政治は、確かにアメリカの植民地と言っても過言では無い程に経済的な蹂躙じゅうりんを受けていた様にも思える。


 だが、日本しか知らない私よりも、もっと広い視野で世界を見てきた鰐谷君の方が正しい認識を持っている様にも思えた私は、


「ゴールデンウィークはウチに泊まりにおいでよ。戦争を無くすために、一緒に作戦を練ろう」


 という鰐谷君の提案を、二つ返事で承諾したのだった。


 鰐谷君の家に泊まりに行く事を両親に話した私は、


「何? ボーイフレンドができたの? すごいじゃない!」

 という母と、


「4日間も泊まりに行くなんて、そんなに家は遠く無いんだから、毎日通えばいいじゃないか」

 という父とで意見が分かれた。


 こんなやりとりは、私のこれまで繰り返してきた人生の中で一度も無かった事だ。


 その日は両親の間で少し揉めた様だったが、鰐谷君の両親とも電話で話し合い、鰐谷君の母親が専業主婦で面倒を見てくれるという事もあって、父親もしぶしぶ了解したという結末となった訳だ。


 小学生がクラスメイトの家に泊まりに行くのに、この父親は一体何を心配しているんだか・・・


 私はそう思っていたが、一人娘の父親というのはそんなものだという事も分かっていた。


 何せ、私自身も前世では、数十回と結婚と子育てを経験してきているのよ?


 携帯電話が子供達にも普及する2004年以降ならともかく、まだ女子高生がポケベルでピコピコ文字通信を始めた程度のこの時代で、小学生の男女がおかしな関係になるなんてのは考え過ぎよね。


 しかも相手は鰐谷君。


 クラスメイトの可愛らしい女子に見向きもしない彼が、痩せっぽちの今の私に欲情するなんて、想像も出来ないよ。


 そんな無駄な心配をよそに、今日の放課後は自宅に帰ってお泊りセットを詰め込んだリュックを持ち、鰐谷君の家に行く約束をしているのだった。


 △△△△△△△△△△△△△△△


 後に「ゆとり世代」と呼ばれる私達だけど、ゴールデンウィークの宿題は多かった。


 だけど私にとっては100回以上もこなしてきた宿題で、内容もこれまでの人生の時と全く同じだから、宿題を終わらせるのに一晩も掛からない事も知っている。


 鰐谷君にとっては初めての内容だろうけど、優秀な彼なら今晩中に宿題を終わらせる事なんて造作も無い事だろう。


「はい、じゃあゴールデンウィークでしばらく学校はお休みですが、夜更かしとかしない様に、健康に気を付けて過ごす様に!」

 と言って先生が日直当番の顔を見ると、日直当番の男の子が、


「起立!」

 と号令をかけた。


 ガラガラと椅子を引きずる音がしてみんなが立ち上がると、


「礼!」


 という掛け声に合わせて、みんながお辞儀をして


「先生、さようなら!」


 と声を合わせる。


「はい!さようなら!」


 という先生の声を聞くや否や、みんなは机のフックに掛けてあったランドセルを背負って我先にと教室を出て行った。


「私達も帰ろう?」

 と私は鰐谷君に声を掛けたが、鰐谷君は、


「ごめん、今日は先に帰ってて。僕は先生に呼ばれてるんだ」

 と言って申し訳無さそうな顔をした。


 そう言えば、3時限目の終わりに先生と何か話しているのを見たっけ。


「分かった。じゃあ、18時頃に行く様にするね?」

 と私は言って、鰐谷君が頷くのを見ると、ランドセルを片手に教室を出たのだった。


 教室を出ると、廊下で立ち話をしていたクラスメイトの女子2人と目が合い、


「優子ちゃん、ばいばーい」

 と手を振りながら声を掛けてきた。


「うん、ばいばーい」

 と私も返してヒラヒラと手を振って見せると、クラスメイトはまた2人で話し始めていた。


 私はそのまま廊下を歩いて階段を降りると、下駄箱で靴を履き替えて上履きをランドセルに吊り下げた袋に入れる。


 他のクラスメイトは夏休みまで上履きを持って帰って洗うつもりは無い様だが、こういう時に洗っておかないと、足が臭くなりやすくなって、友達の家に遊びに行った時とかに先方の母親に嫌な顔をされたりする事があるんだよね。


 ホントにそんな事があるのかって?


 あるわよ。というか、私の最初の人生でそういう事があったのよ。


 最初の人生での私は、結構お転婆てんばだったのよね。


 だからという訳でも無いんだけど、上靴は長期休暇の時にしか持ち帰らなかったわ。


 おかげで、何度か友達の家に遊びに行った時に、友達の母親が顔をしかめてる意味が解らなかったんだけど、つまりはそういう事よね。


 2度目の人生の時には、私の息子の足が臭くって、それがちっとも上靴を持って帰らなかったからだと知ったの。


 で、息子の友達が家に遊びに来て、同じ様な足の匂いを家の廊下に残していくのを知って、私もその母親の気持ちを初めて知る事になったのよね。


 鰐谷君とはこれからも長い付き合いになりそうだし、彼の両親に「足の臭い女子」だなんて思われる訳にはいかないもの。


 私の母親には靴を洗わせる手間をかけて申し訳ないとは思うけど、娘の足が臭いよりはマシなはずよね。


 そんな事を思いながら私は校舎を出て、グラウンドを校門に向かって歩いていた。


 ふと校舎の方を振り返ると、職員室がある建物に向かう渡り廊下を、鰐谷君と、さっき廊下で話していた二人の女子が歩いて行くのが見えた。


「何だろう・・・、先生に呼ばれてたのは鰐谷君だけじゃなかったのかな?」


 そう呟いたが、そう気にする事でも無いと思い、私はそのまま校門を出て帰宅する事にしたのだった。


 △△△△△△△△△△△△△△△


「じゃあ、行ってきます」

 と私が言うと、母親が私に大きな紙袋を手渡した。


「これから4日間お世話になるんだから、これを持ってって鰐谷君の御両親に渡しておいて」

 と母親がそう言って、にこやかに笑った。


 少しズッシリと重く感じる紙袋の中には、どうやら駅前の和菓子屋で買ったらしい、少し高級な大福の詰め合わせが入っている様だ。


「うん、わかった」

 と私は頷くと、「じゃ、行ってきます」

 ともう一度そう言ってから玄関扉を開けた。


「はい、行ってらっしゃい」


 玄関を出た私の背中に、母親の声が聞こえた。


 振り返った私の目に、玄関扉が閉まる寸前にチラリと見えた母親の顔が、まるで何かを期待している様な、少しイタズラっぽい表情をしている様に映ったのだった。


 まったく、うちの母親は一体何を期待しているのやら・・・


「あ、そうか」

 と私はふと思い当たる事があって声を上げた。


 母親はこの4日間、私が家に居ないのをいい事に、父親と二人きりの時間を楽しもうとしているんじゃないのかしら?


 だとすると、前世までは来年の夏にならないと妊娠しなかった母親が、もしかしたら今年のうちに妊娠できるかも知れないという事か。


 となると、私はこれまで経験した事の無い、初めて見る弟か妹と出会う事になるかも知れない訳だ。


 なるほど、これは楽しみが増えたわね。


 鰐谷君との出会いがキッカケになって、私の人生がどんどん変化していくのが分かる。


 もしかしたらこのゴールデンウィークは、今後の人生では二度とやって来ない特別なゴールデンウィークなのかも知れない。


 そう考えると、今のこの時間さえ貴重なものに思えるわね。


 鰐谷君と一緒に居る事で、世界を大きく変える様な事も出来るのかも知れないし。


 そんな事を思いながら、私は鰐谷君の家までの道のりを歩いていた。


 歩きながら、今日の下校時に見た鰐谷君の姿を思い出していた。


 職員室に向かう鰐谷君と2人の女子。


 その姿を思い浮かべながら、何故か胸の奥にチクリととげが刺さる様な違和感を感じていたのだった・・・

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