神様じゃない

神様じゃない

     


ticket to ride


「だから、やってねえって」

赤内あかないレルは困り果てていた。

レルが赴任したのは美しい街だった。

川縁の小さな公園で、事件現場はジョギング場になっていた。もう死体はない。水の湧き出すところもあって、回り回ってここも川の始まるところになるらしい。

外気に触れると昨夜の痴漢騒ぎが馬鹿馬鹿しい。冤罪ではあったけれど・・。

社屋の三角の窓なんてもう見たくもない。

「それに二回も」

「さー、たまたま」

レルの新しい相棒はのんびりやだった。

「たーけやー、さおだけー」の声がどこまでも呑気なこの街の佇まいを表している。

昨夜一時頃、「友人が刺された」と通報があった。その後に遅れてもう一本。警察が駆けつけると通報者の姿もなかった。警察は口を閉ざして、分かるのは被害者の名前、兼坂礼太郎けんざかれいたろう。ただ、刺殺体だった。

誰に事情を聞けばいいのか。レルは手帖を開いたまま口にボールペンを当てていた。

社に戻ると真神まがみふゆがいた。

「ふゆさーん」

「おお」

「どうしたんですか? いきなり」

「俺は鞍田眉美くらたまゆみの件で来たんだが、一応、地元で聞いといた方がいいと思ってな」

「私に会いに来たんじゃないんですかあ? さすが耳が早いですね」

「実はここ、俺の初任地だったんだ。パイプもあるし、詳しいから」

「言ってくださいよ」

「鞍田の件は箝口令になってるって本当か?」

レルは肯いた。

「一応、性格が性格ですからね」

レルは刺殺体のあらましをふゆに話した。それに痴漢も。

「見るからに痴漢顔した奴なんですよ」レルはウエッという顔をした。

「変わらないな」

「ふゆさん、鞍田の件で組みましょうよ。今、どこにいるんですか」

「ホテル。局長が現代の象徴だなんて騒いでな、ネタとるまで帰ってくるなって言われてな」

「私には好都合です。鞍田の件と、引き続きこの二回の通報のやつもやりますよ」

「もう殺したよって言ってるんだろ?」

「あくまでも犯人がですから」

鞍田眉美は女子中学生で、ある日、行方を絶った。スマートフォンを解析してみると、SNSで何者かとやりとりしていた形跡。最後のメッセージは「行ってみる」だった。

鍵も置いたままだったので警察はSNSを使った誘拐事件とみて調べていた。眉美はまだ見つかっていない。

今は「遺体」を探している。そうでないと立件もできないからだ。

「あー久しぶり、この感じ」レルはウズウズしていた。

「ふゆさん、早く行きましょうよ、私、場所知ってます」

強引に組まされた形になったふゆはレルと外に出た。

「やっぱりでした」レルは社から支給されているフィーチャーフォンを見せた。

「新聞社ってどこも時代遅れなんですね」

季節は春のお彼岸が始まった頃だった。

「もう一回電話してきたのは犯人じゃないかって思ってるんです、あの刺殺体」

「通報者もなし、か」

ふゆはいちいち手帖に書き付けていた。几帳面だから職業病にもなるのだろう。

「初めは男の声だったらしいんです。二回目のコールは短くて分からなかったと」

「ふむふむ」

ちょうど鳥が通った。

「カエルの産卵ってのは夜、行われるらしい。初めに抱接といってオスがメスにのしかかるようにして背中から抱きしめる。成立したらオスが精子をふりかける」

「何の話ですか」

「暇で疲れてな。川を見ながらそんな事ばかり考えてたよ」

「よくやってこられましたね」

「合わなかったから追い出されたんだろうさ」ふゆは笑った。

「あれが、母親ですね・・」

ふゆは手帖を手繰った。

「鞍田可央里かおりか」

「母親だけはきっと近くにいるはずだって、ああ」

可央里はアイスウォッシュのジャケットを着て腰を曲げて地を這っている。

「サツは?」

「県外も含めて捜索しています。排水路脇とかそういうとこ」

可央里は表情に逃がすことも忘れて錯乱しているようだ。

「ホシが捕まった時どうだった?」

「あの時から始まったんですね」

砂さわぎの自転車が残されている。鞍田の家は田畑の中でヌッと立っている。このところの強風で否応にも悪い予感がしてならない。

ふゆが近づいていった。

「もしもし」

可央里は中腰のまま顔を上げた。手には草刈り鎌を持っている。

「警察の方ですか?」

「いえ、新聞の方です」

「ああ、はい」可央里は腰を伸ばして立った。

「兄弟はいましたか?」

「え? いえ」

「では、あの自転車は眉美さんの物?」

可央里は振り向いてちょっと微笑んだ。

「元気な子ですから」

黒土なのか可央里の爪の間は真っ黒になっている。

「あれは?」ふゆは鞍田の家の張り出した簀の子を見た。何か盛られている。

「ああ、ぼたんです。協力してくださる皆様に」

ぼたもちには手が付けられてないようだ。協力していた人もいなくなったのだろう。

ふゆは頭を下げ、遠くでレルも頭を下げた。

「みんなが同じゴールを目指してるわけじゃない」ふゆはため息を吐いた。

「行方不明時は臙脂色のTシャツを着ていたそうです、眉美ちゃん」

「学校での評判は?」

「何も問題のない子」

ふゆは何度か肯いた。

「現代の象徴か」

遠くではピラミッドのような富士山がネイビーブルーに染まっていた。

誰かの夢の中に入り込んだような気持ち悪さがあった。

「先行き不安、だね」

可央里は一人で山盛りになったぼたんを見ていた。一つしか食べられなかった。

爪の間に入り込んだ土をほじくる。

「ふゆさんが来てくれて心強いですよ」

「カエルの産卵ってのはな、800から2000の卵を産むんだ。蛇のような卵塊見た事あるだろ?」

「あの寒天みたいなチューブですね、気持ち悪い」

「多くのカエルが同じ場所に産むんだ。そうした確率で生まれてくるんだ」

「何がですか?」

「犯罪者。顕在化するのはごく少数だ。SNSはその一線を越えてしまったんだよ」

用もないのに可央里はキッチンに立った。アイスウォッシュは椅子の背にかけてある。春着てく物がそれしかないから。

「お母さんにも友達がいつの間にかいなくなったって経験ある?」眉美が、可央里が皿洗いしている時に聞いた。

目を伏せると、そこにいるようで可央里は目をあげることができなかった。

「言い忘れました。ホシが捕まった時は可央里、私もころして、と言ったそうです」

心の中に冬が降る。季節の瞬間は版画のように写し取ることはできない。

美しい夜明けはこない。

息の詰まるような暗闇が現実だ。

魚が群れに戻ってくるように本流から外れてる。

「私もころして、か」

「こんにゃく米がカエルの卵に見えてきた」

「ダイエットしてるのか?」

「はい。取り柄は料理だけですね」

「痛々しいね」

「は? 私のことですか?」

「いや、事件のことだ」

外ではもう夜が明けている。

「どっちつかずだな。公開捜査にしたらまた何か言われるだろう。SNSで」

ふゆは指先でブラインドを開けた。

いつ箝口令は解かれるのだろうか。


no nation


 眉美の「遺体」は春を過ぎても見つからなかった。

「とうとう口を割りました」

「誰が?」

「二回通報のやつですよ。一回目の電話をしたのが三角(みすみ)秀(ひで)穂(ほ)、男です」

「友人が、ってやつか」

「マサがやった。それだけです、今入ってる情報は」

「マサ? 名前か。仏さんの状況は」

「首と胸を刺されてます」

「じゃあ、そっちに行ってみるか」

「ふゆさん、こっちに越して来た方が早くないですか」レルは襟を立てながらそう言った。

そこからは小さな島に渡る吊り橋が見えた。今は誰も通っていない。

「変わらないな」

「ロープウエーもできたんですよ」レルはしゃがんで公園の地面を見ている。

「地元ニュースでやってました」

汗ばんだ額でレルは立ち上がった。

「何があるんですか、あれ」

「お稲荷さんが一こあるだけだよ」

「はあ」レルは興味がなさそうだ。

「この事件の犯人も、眉美も見つからない」

「夜の通報だけです。暑いですねえー」レルは太陽を見た。

「東京とは気候が違うだろ」

レルは黙って汗を拭いた。鎖骨の辺りにも汗が浮かんでいる。

こんな暑いのに横のジョギング場では足の長さが同じ人が走ってる。

「ここ駐禁ですよ、車で来たら目立ちますね」

「SNSで呼び出したのかな?」ふゆはこの事件にはあまり興味がなさそうだ。

ふゆは欠伸した。

「自分のシーツでしか寝られない人ですか?」

「ん、いや。二度目の通報は犯人で間違いないのか?」

「そんな事、私に聞いたって・・」

なぜか険悪な雰囲気になった。

下の川では鴨が悠々と泳いでいる。

「チーターが喋るとやっぱり早口なのかなあ」

「分からない事が多すぎて不機嫌なんですよ。私、もう嫌だ」

「事件の一部始終を見るのが新聞記者だ。分かることが仕事ではないよ」

「でも・・」

「マニングって知ってるか。アメリカかどっかの会社が作った想像上の記者だ。そんなもんなんだよ、俺たち」

「名前だけあればいい」

「薄っぺらな正義感とか問題意識とかそんなのは邪魔だ。新しい事件が起きたらそこに飛んでいく、事実さえあればいい」

「何か寂しいですね」

「SNSも同じだろ? あれは名前さえない」

「眉美ちゃんは自分のこと、何て言ってたんでしょうか」

「何て言って近づいたんだろうな」

空はにわかに曇ってきた。

「兼坂、だっけ。交友関係は?」

「未婚です。何の仕事をしてたのかよく分からないんですよ」

「まあ、殺される理由があったんだろう」ふゆは吊り橋を見た。

カエルの腹のように垂れ下がった橋は静かに揺れていた。

レルのフィーチャーフォンに電話がかかって来た。

「はい、すぐ行きます」

電話を終えて、ふゆを振り払った。

「眉美ちゃんの件、公開捜査です」


 その翌日から、報道は実名写真報道に染め上げられた。

初めて知った読者は少なくないだろう。全国紙にも載り、「眉美ちゃんを探して!」のポスターはいたる所に貼られた。

「母親がGOサインを出したんです」

ポスターには眉美の写真の他に、当時着ていた物、臙脂色のTシャツ、黒のスニーカー、白っぽいハーフパンツが着せられたイメージ画。それに、事件のあらましとお心当たりのある方はの警察の専用の電話番号。犯人の供述は伏せられていた。

眉美の写真は地黒で、斜視でいつも俯いてるように見える。

開設されたホームページには「もう死んでる」「母親が殺した」、自分の推理だの不適切なメッセージが寄せられた。

「新聞記者はそんなの読むな」

事件が盛り上がると、「協力者」が多く現れた。中には県外の人が探しに来た。可央里は好奇心の的だった。

「顔をさらしてこれだよ」

取材に来る新聞社も多かった。

「ただのムーブメントで終わらないといいですね」

「現代の象徴って言った意味がようやく分かったよ」

付近の住民は嫌がってカーテンを閉めた。

可央里は誰にも声をかけられずにかけずに黙々と探していた。その写真を週刊誌はこぞって「疑惑の母」とした。

ぼたんはもうなく、家の大分後まで草は刈り取られていた。

ある誌が犯人の「もう殺したよ」の供述を引っ張って来た。事件はますます世間の耳目の集まる所となり、お悔やみのメッセージが寄せられた。

「助けてあげられなくてごめんね」

SNSで起きた犯罪は大きく取り上げられなかった。いつか起こるだろうと誰もが思っていたからだろう。

まんまと騙された、眉美の誹謗中傷もSNS内ではあることないことを含めて盛り上がっていた。

何がそうさせたのか。ふゆとレルはのどかだったこの街を振り返った。眉美は影も形もなかった。

夜には可央里は家の中に入る。以前は夜でもカーテンを閉めずにいたが、撮られたことがあるのでカーテンを閉めるようになった。皿洗いをするとあの事を思い出す。

「お母さんにも・・」

あるよ。昔、いじめられてたから。菌って言われて。中学生の頃だった。何か、笑ってた。

「お母さん、人形好きだねー」

だって、人形はお話しもしないし、私のこと知らないでしょ。

可央里は眉美のフィーチャーフォンを大切に持っている。スマホに乗り換えた時、持って帰った物だ。

今も充電器に刺さっている。いつでも眉美と交わしたメールや電話帳が見れる。

あの時、スマホに乗り換えてなかったら、こんな事件は起きなかったのだろうか。友達が持ってるからとそれを許した時は私も眉美も笑顔だった。

こんな事が起きる前は・・。

ふゆはホテルのバス内でシャンプーのノズルを押していた。砂を巻き込んだ髪は一回では洗い切れない。

バスルームから出たふゆは、まずテレビをつけた。

煙草を吸いながらそれを眺めているとDVの果てに無戸籍の子供を産んだ母親のドキュメントをやっていた。

手帖を手繰り、今日のおさらいをやっていると耳にそのドキュメントの声が入る。

「お母さん、大変だったんです」

マサ。逃げ出した。DVの果てに、DVの上に殺すやつもいるだろう。いくらそれが女であっても。マサ、コ?

「だから、私も・・」

ふゆはフィーチャーフォンを手に取った。出たのはレルだった。

「春眠っていってなあ、カエルは卵を産んだ後も山に入って寝ることがあるんだ。その間に卵は他の天敵に食い尽くされちゃう。生き残れるのはその何割かだ」

「もう眠いんです。寝させてください」

「いや、今、カエルのドキュメントがやってたんでな」

「そんなのやってるんですか? はい」電話は切られた。

今日は眠れそうにない。

分からない事が多すぎて、か。よく眠れるな。

ふゆの荷物が開けられることはない。

すぐ帰るつもりだったらダンボールに詰めたりはしない。

光を当てないと死んでしまうんだよ、眉美も事件も。

人の暗闇は照らせない。太陽が何個あっても。

月は静かに何かを待っている。死人のように。


throw eyes


「さっき、人が橋から落ちた」110番通報したのはふゆだった。

駆け付けた警察官二人にふゆはその時の状況を詳しく聞かれていた。

「一人だ」

「詳しく聞かせてください」

「またお前まで警察か」

ふゆとレルは吊り橋を渡っていた。本当にお稲荷さんが一つあるだけで、二人はその帰りだった。

「現場をな、」

「見に来たんですか? あんな時間に」

「午前一時頃、見ておくのは大切だよ。犯人が何を見たのか、やられた方はどうか。SNSの世界には入っていけないけどな」

「で、どうでした」

「青かったよ、ただ、何もかもが青く見えた」

「そこで吊り橋から誰か落ちた」

ふゆは肯いた。

「男か女かも分からなかった」

「人騒がせな」

「ここは恋人たちがよく・・」

「利用するんですか」振り向いたレルをふゆは突き押した。落ちそうになったレルの手を握った。

「今のその顔」ふゆは笑った。

「やめてくださいよ。誤解されるじゃないですか」レルは髪を整えて、息を落ち着かせた。

「落とす気ですか」レルはドキドキした胸を触った。

その後ふゆは一人で吊り橋に来て下を覗いていた。

「また人さらいかい」一人の老人がいた。

「もう出てこないよ」老人も同じように下を向いた。

「ここはそういう所なんだ」

マサだったのか眉美だったのか。

返事もしない。

母の血で紅に染まっている。

レルはふゆがいなくなった吊り橋に来ていた。

ふゆは帰るらしい。

レルは靴に消臭スプレーをかけてきた。

吊り橋の上で遠くにできたロープウエーを見ていた。

ふゆは私のことを初めて愛してた。

奥歯を噛んだ。

水平線には何も映ってない。ただそこに砂上の楼閣が始まろうとしている。

明日を見せてよ。

川の始まる公園でふゆは煙草に火をつけた。

「汚したくなかった、か」

街路灯と手火たひに照らされて母が揺れている。

川の始まりに下を向いて煙草を吸っていた。大欠伸をした。胸の中に灰が詰まった。


秋の川、トンボ。

「一つもらっていいですか」

ちょうど後ろを向いた時だった。ふゆはおはぎを一つ取った。

「ああ・・」

「ここにも鴨は来ますか」

「秋のお彼岸には間に合わせようと思って」

可央里は立ち上がった。

腕を組んでふゆは見守っていた。日が下がる時だった。

「眉美ちゃんを探して!」のポスターは今も貼られている。

「ひとり歩きしてますね」

「誰だってそう」可央里は汗を拭った。

「おばあちゃんの横で寝な」

ポートレートとおばあちゃんのお骨を横に並べて、母親は丘カロートを閉じた。

音もなにもなくなった世界で男の子に間違われた眉美はピースサインをして笑っていた。

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