カメさん(36歳)



 亀を飼っています。


 クサガメ、オス。今年で少なくとも36歳。

 「少なくとも」というのは、もらってきてから36年が経過したという意味です。


 長生きです。さすがに「亀は万年」は大げさなものの、クサガメなら飼育下で20〜30年程度生きるそうです。

 うちのカメさんは前述のとおり、すでにその寿命をすら超えております。


 もりもりと餌を食べ、でかいウンコを出し、紫外線ライトを浴びて7〜8時間も日光浴にふける毎日。

 餌の時間になると、バタバタ暴れて餌をねだり、ピンセットでさしだしたペレットにかぶりつきます。


 まあ、無愛想なやつで、いつまでたっても僕の顔を見たら威嚇しかしないんですが……

 のんびり陸地で寝ている姿や、餌を猛然と追い回してる姿なんかが、とてもかわいいのです。



   *



 ……が。


 僕はずっと、このことを後悔しています。


 うちのカメさんは、もう36歳。

 それは言葉を変えれば、36年に渡って、彼を狭い水槽に閉じ込め続けてきたということです。


 僕にカメさんをくれたのは、当時近所で畑をやっていたお爺さんでした。

「畑の土を掘り返したら出てきた」と言って、まだゼニガメだったカメさんを持ってきてくれたのです。

 たぶん冬眠中のところをいきなりほじくり返されたのでしょう。

 小さな小さなカメさんが、ネスカフェの空き瓶の中でモゾモゾしてたのをよく覚えています。


 当時、僕は幼稚園児。

 幼児の頃から動物好きだった僕は、目の前にいる本物の動物がかわいくてかわいくて、親に頼んで小さな水槽を用意してもらい、カメさんを飼い始めたのでした。


 はじめは、わけも分からず煮干しの頭を食わせ……

 やがて餌ペレットに切り替え……

 毎日水をかえ……

 かわらけの破片の上で日光浴するさまを眺め……


 子供なりにかわいがって育ててきたのは間違いないと思います。

 でもあるとき、僕はふと、気づきました。

 カメさんには、こんな小さな水槽の中でなく、広い川で自由に泳ぐ人生もあり得たのではないか?

 獲物を狩り、大自然の中に遊び、雌と出会って子孫をなす……そんな暮らしができたはずではないのか?

 僕はそんな自然の営みを、自分勝手な執着心のために奪い取ってしまった。

 ひょっとして僕は、とんでもなく残酷なことをしているのではないか?


 しかし、そのことに気付いたときには僕はもう高校生。カメさんを飼い始めてから10年が経過していました。

 ずっとペレット餌をもらい続けてきたカメさんは、獲物を狩る技術どころか、広い川で泳いだ経験すらありません。

 僕は焦りました。カメさんを野生に返してやりたいと思いました。池でメダカを捕まえてきて、生き餌として狩りの訓練をさせました。


 ですが、だめでした。

 10年間飼われ続けたカメさんは、メダカ一匹、川エビ一匹まともに捕まえることができなくなっていた。

 追いかけ、軽々と逃げられ、また追いかけ、また逃げられ、結局あきらめ……疲れ果てたメダカが死にかけて沈んだところに、ようやく噛みつくありさま。

 こんな状態では、とうてい自然界で生き抜くことなどできるわけがない。


 あのとき僕は、覚悟したのでした。

 もう、このカメさんを自然に返すことはできない。

 こうなったら、とことんまで人の手で世話し続けるしかない。

 お腹いっぱい食べて、充分に日を浴びて、せめて、長生きだけでもしてほしいと……



   *



 僕は後悔しています。


 もし今、あの頃のようにゼニガメを見つけたなら、僕はそっと自然に返すでしょう。

 しかし、5歳の僕がなした愚かな罪は、もう、取り返しがつかない。


 僕は後悔しています。

 カメさんはそんなことおかまいなしに、今日もモリモリ餌を食べました。

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