第18話 何で中央棟にチンピラが居るんですか


──── 君は明日から中央校舎に通うのだから、そのような品の無い言葉遣いはやめた方が良い。

 いけしゃあしゃあと宣う脳内の鷲尾先輩を、俺はビンタで張り倒す。嘘つきめ。


「昨日まで一般校舎で燻ってた人間が生徒会たァ、何の冗談だァ?」


 金髪の男は腰をくの字に横に曲げ、俺の顔を覗き込みながら唸った。鼻先を擦り合わせるように、至近距離で唾を飛ばしてくる。『品性』という概念を、念入りに刻んで跡形もなく燃やし尽くしたような言動だ。


「えっとぉ…………」

「オイオイオイ、オイオイオイオイオイオイィ!」

「オイスター!?」

「腐った池みてぇな匂いがすると思ったらお前かよ、貧乏臭い庶民は寄るな貧乏が移る」

「た、助けて…………」


 とうとう顔を覆って泣いてしまった俺に、男は端正な顔をグッと歪める。黙っていたらイケメンに分類される部類だろうに、これではただの金髪ヤンキーだ。


「その辺にしなさい、猫屋敷くん」


 嗜めるような言葉に、チンピラ──猫屋敷と呼ばれた生徒は腰を起こす。


「なんすか先輩、俺は新人教育してただけですよぉ」

「彼の教育は、同じ委員である私の役目だよ」

「でも誰かが教えてやらねーとでしょ、学もねェ金もねェ無い無いクンは、生徒会じゃ苦労しますよーって。お優しい狐坂先輩にゃ無理でしょう?」

「なるほど、君は会長の采配が間違いであると?」


 『会長』の一言に、猫屋敷から舌打ちが漏れる。鳶色の目で俺をジロリと一瞥して、「萎えたわ」と吐き捨てた。背を丸め、ガニ股でズンズンと歩いて行く姿は、とても中央棟の生徒には見えなかった。


「仕事はできるんだけどね、彼。いかんせん言動がああだから……」


 そう言って、『狐坂先輩』は困ったように笑う。「大丈夫かい」と俺を気にかけながら、皺一つない襟を整えた。

 犬飼や蛇穴、そして先刻の猫屋敷のような華やかな見目ではないものの、内面の誠実さが滲み出るような風貌は魅力的だ。たった今俺を庇ってくれたこの狐坂先輩は、現在の会計委員長であり、俺の上司となる人だった。


「生徒会役員からの建議があった場合、校内秩序を著しく毀損する恐れのある脅威に対する査察を検討する」


 生徒会役員特典目録とか言うふざけた書類の、俺の負の感情を見透かし嘲笑うかのようなふざけた権限。それを反生徒会サークルに行使した俺は、当然『生徒会役員』でなければならない。そしてこの学校における生徒会役とは、特別棟の生徒でなければならないし、且つ青龍寮以外の寮の生徒であってはならない。

 突然の転寮に、突然のクラス移動。本来は数週間かけて行う手続き移動その他諸々を3日間で済ませた俺は、今こうして会計委員の下っ端として、『評価期間』を過ごしている。

 尊厳的にも体力的にも踏んだり蹴ったりな仕打ちではあるが、教育係が狐坂先輩であったことは、不幸中の幸いだと思っていた。


「心配しなくても、君は間違いなく優秀だ。やはり会長の目に狂いはなかった」


 1日目で優秀もクソもないだろうとは思ったが、この先輩の気遣いがただ嬉しかった。


「ありがとうございます……」

「な、泣いてる……いや、困ったことがあったらいつでも頼るんだよ」


 若干引き攣った笑みで、肩を励ますように叩いてくる。俺は震える声で涙を拭いながら、「ヴァイ……」と頷いた。


***


 整った空調設備に、傷ひとつない机と椅子。どう考えても一般クラスとは質の違う授業と、清掃の行き届いた清潔感溢れる教室。朗らかな笑みを浮かべて穏やかな世間話に談笑する生徒達。または自らの机に向き合い、黙々と予習復習読書などの自己研鑽に励む生徒。教室内の雰囲気も、俺の知っているそれとは全く異なり、ゴシップや低俗な下ネタの行き交う一般クラスとは全く違う。

 早くも自らの異物感に怖気付いた俺は、教室の隅で膝を抱えてガタガタ震えていた。下水道の腐った空気が恋しい。


……「1-1から1-bに編入してきました、興です」と。

 そんなアホみたいな自己紹介をしたのが2時間前。突然の編入生に多少好奇の目は向けられたものの、このクラスの生徒たちは無遠慮に俺のプライベートを暴き立てるような真似はしなかった。ただ穏やかに、「珍しいね、お家の事情?」と言う具合にやんわりと探りを入れ、「ち、父親が格安SIM販売で一発当てまして……」と言う返答に、「そっかぁ、すごいね」と優しく微笑んで俺から距離を置いた。見切りをつけるのが恐ろしく早い。「それってマ…チ商法……」みたいな指摘すら無かった。怖すぎる。もし俺が生徒会役員になった事が正式に発表されたなら、この人たちはどんな反応をするのだろうか。笑いながら池とかに突き落としてきそう。怖すぎる。


「一に家柄二に財力。残念だったな、半家ですらない成金とはお友達になりたくねぇんだとよ」

「ヴェ!?」


 無理矢理押し潰したようなしゃがれ声に、思わず顔を上げる。隣を見れば、鳶色の目に抜けるような金髪。


「ね、猫屋敷!…………さん…」


 あの金髪ヤンキーこと、猫屋敷が意地の悪い笑みを浮かべている。そう、俺は3分の1という確率でこいつと同じクラスを引き当てていたのだ。自らの止まることを知らない不運を悔いる俺を他所に、「よォ、サンピンやっこ」と隣にヤンキー座りしてくる猫屋敷。エッ、隣に座ってくんの!?みたいな反応を精一杯してみるが、お構いなしである。


「アイツら成金に親を殺されてんだよ」

「俺の父親は殺人には手を出してないです……」

「マルチ商法には手を出しても?」

「そう……」


 架空の父親の名誉をかばう俺に、猫屋敷は凶悪な笑みを浮かべる。俺の首根っこを無遠慮に掴んで、「ハハァ」とダミ声で笑った。


「つまりお前のことはだァれも助けてくれないって事だ」

「た、助け……」

「ハハハ、良ィ〜顔するじゃねぇか。ハハハ」


 今自分がどんな顔をしているのかは分からないが、多分満面の笑みとかでは無いのは確かだろう。


「狐坂先輩助けて!」

「狐坂センパイはいません!何故ならセンパイだから!」

「助けて!助けて!」

「あのなぁ、あの優しいだけの先輩にゃ何もできねぇって。コネだけで入った無能は大変だなァ、こーんなチンチクリンの顔色すら伺わなきゃならないんだもんな〜!」


 悪辣に笑う男に、俺は僅かに目を見開く。

 コネ。コネか。コネと云う言葉に、脳裏を過ぎるのは栄花グループの組織図である。無数に枝分かれする組織図の上部。双頭のほぼ真横にあった名前が、『狐坂』だった気がする。そうなれば確かに、現会長と同グループのよしみで役職に就いたと邪推する輩も出て然るべきか。

 だが、俺にとってそんな事実は心底どうでも良い。


「狐坂先輩を悪く言うな!」

「お前狐坂シンパか何かなの?」

「うるせぇ!」


 毛を逆立てて飛び掛かるも、片手で顔面を抑えられる。ちょ、こう、ヒトの顔面をそんなラグビーボールみたいに!

 ギリギリと頭を締め上げられ、頭蓋の軋むような音が響く。「可愛がってやるよ」というホームラン予告に、とうとう涙が溢れた。

 


 そしてあれから予告通り、猫屋敷は俺をいじめにいじめ抜いた。

 俺に荷物を持たせてくるし、移動教室なんかも付き纏ってきて隣りで俺を罵り続ける。挙句今は、弁当をぶん取られて。


「猫屋敷はさぁ、実はけっこう良いヤツなの?」


 代わりに押し付けられた特選伊勢海老弁当を突きながら、おずと口を開く。


「ツンデレなの?」

「ぁあ゛?」

 

 ドスの聞いた声で唸るが、初対面の時の凄みは既に無い。

 荷物を押し付けられたかと思えば、それはまだ俺の元に届いていない教科書だったし、隣りで呪詛を垂れ流しながら、俺を中央校舎の化学室へとしっかり誘導してくれた。そして今は製作費200円くらいの弁当をプリプリの伊勢海老弁当と交換してくれるし。雑なわらしべ長者かよ。


「何というか、こう、……人を虐げ慣れてないよね……」

「なんだと」

「品の良さが隠しきれてないというか……」

「…………」

「色々助けてくれてありがとう!」

「ふぇむぇぇぇ!」


テメェだかウメェだか叫びながら胸ぐらを掴み上げてくる猫屋敷。一生懸命だし巻きを咀嚼しながら吠えられても、凄みに欠ける。少し気の毒ではあるが、実際助かっているのだから仕方がない。

 教室を見回す。

 遠巻きにではあるが、こちらを伺うクラスメイト達のリアクションは穏やかではない。向けられる視線といえば、専らが哀れむような、侮るようなものであって。猫屋敷がいなければ、教材も碌に揃わないまま授業を受けていたし、化学室を探して馴染みの無い校舎を彷徨わなければならなかったし、ご飯もボッチで食べる羽目になっていた。やはり俺は猫屋敷に感謝するべきかも知れない。「ありがとう」ともう一度言えば、今度こそ猫屋敷の顔が般若みたいに歪む。


「お前に礼を言われる筋合いなんざねぇんだよ」

「いや……うん、もうそれで良いや……」

「なんだァ……?」

「あ、ちょ、暴力は!バイオレンスはいけない!痛い痛タタタタタタ!」

「謝れ」

「ダダダダダダダダ!」

「『ごめんなさい』って言え」


両頬を片手で握り潰される。顎が!顎が取れる!と抵抗を重ねるがビクともしねえ。というか、『謝れ』の『れ』をちょっと巻き舌で言うのをやめてほしい。

"ガチ"感がすごい。

 ジタバタしながら顔を逸せば、廊下側の窓の外が目に入る。俄にザワ付く廊下を歩いているのは、見覚えのある青年で。

 柔らかそうな栗色の猫毛に、二重幅の広い赤銅色の瞳。異国の硬貨裏にでも掘られてありそうな横顔は、今は無機物じみた冷たさを湛えている。


「…………蛇穴だ」

「あァ?」


 大人しくなった俺に、猫屋敷も拷問の手を止める。俺に倣うように窓の外を覗き込む所作は、やはり毒気の無い物だった。


「なんか機嫌悪そう」

「は?いつも通りだろうが。スカした野郎だ気に食わん」

「いやいや……」


 目が据わってるとか云うレベルじゃないぞ。見るもの全てを捻り潰すみたいな目をしている。あれがいつも通りな人間がいてたまるか、絶対共同生活とかしたくない。

 顔見知りの初めて見る側面に、何だか気不味くなってくる。恋人とイチャつく親類を偶然目撃したような気分である。お前そんな声出せたんか。

 ソッと目を逸らそうとした刹那、前触れもなく赤い瞳がこちらへと向けられる。

 視線がカチ合う。

 みるみる内に大きくなっていく瞳に、「ゲ!」と声が漏れた。


「おきくん?」

「ゲゲゲゲ!」

「やっぱりおきくんだぁ!」


 そこからは早かった。スパーン!と教室のドアを開けて飛び込んできた蛇穴は、大型犬のようにグルグルと俺の周りを走り回る。四方八方から顔を覗き込んできながら、キャアキャアと楽しそうな声を上げた。


「ええー、何々?今日からだったの、こっち来るの。ええー!早くない?最低でも1週間後かと思ってたんだけど?言ってくれないと困るよ、なんで言ってくれなかったのー?!おれが偶然学校に来てたから良かったけどさぁ、」


 背後から巻きつかれ、顎の辺りを指先でコショコショされる。犬みたいなヤツに犬みたいな扱いを受けている。不本意だ。


「……偶然ってなんだよ、平日なんだから必然的に学校にはくるでしょ」

「別に必然ではないよね?」

「………………ちゃんと授業受けろって……」

「わかったよおきくん!」


 大きな声で返事をする蛇穴。先刻までの虚はどこへやら、キラキラと瞳を輝かせながら抱きついてくる。


「嬉しい!嬉しい!おきくんとこっちの校舎で会えるなんて!ほんとこれからすぐ会えるね!てか毎時間会いに行って良い?おきくん居るならちゃんと授業うけるよおれ!お昼ごはんも一緒に食べよぉ♡」

「さ、蛇穴さん、それは……」


 恐る恐ると言った様子で飛んできた声。廊下からこちらを伺ってくる男子生徒は、見覚えこそないが、先刻まで蛇穴の隣を歩いていた彼である。上履きの色から見て同学年のはずだが、とても対等な立場の人間に物を言う態度では無いと思った。


「なに?」


背後から聞こえてきた声に、驚いたのは俺の方である。突き放すような声音は、露骨に場の空気を冷やした。


「いえ……俺の間違いでなければ、その生徒は前日まで一般校舎に居た──」

「だとしたら、何?」


 口籠る生徒に、不機嫌を隠そうともしない溜め息が落ちる。


「この子が一般校舎出身だとして、君に何の不都合が有る。言ってみろ、嶋田光太郎」


 強靭な精神力がなければ、俺はこの瞬間に耐えられず振り返っていただろう。だって気になりすぎる、お前どんな顔でそれを言ってるんだ。もっとこう、バカっぽい喋り方だっただろ。いつもの間延びした口調はどうした。


「お前、面倒事起こすなら自分のクラスで……」

「委員会以外で気安く話しかけるなよ、猫屋敷悠人」

「ンダトテメゴルァ!」


 よく分からない雄叫びを上げてガタンガタンと立ち上がった猫屋敷を、どうにか抑え込む。当然蛇穴とは身を離す形になるが、漸く対面したその相貌からは、およそ感情と呼べる物がゴッソリと抜け落ちていた。臓腑が縮み上がるほどに冷たい視線は、間違っても人間に向けて良い物ではない。道端の吐瀉物とか、害虫に向けるそれである。

 そんな視線にドン引きしながら、なるほど、と。脳内を占めるのは、妙な納得感だった。

────『冷血漢の人でなし』、『氷の王様』と。

 こいつの異名に、違和感があったのも確かだったからだ。蛇穴京介とは正しく人格破綻者のコパス野郎であるが、普段のあの稚気めいた振る舞いは、少なくとも『冷血』やら『氷』やらを連想させる物ではないと思った。どちらかといえば『16歳児』とか『バカタレモンチッチ』とかが適切ではなかろうか。

 ただ、もしこれがこの男の本質であるとするならば、これ以上ないほどに適切な言葉選びだと思った。


「蛇穴……」

「なあに、おきくん!」


 途端に満面の笑みを浮かべる蛇穴に、米神を揉みほぐす。


「猫屋敷は抑えとくから、騒ぎが大きくなる前にクラスに戻りなよ」

「えぇ、まだ時間はたくさんあるよ?というか、離れた方が良いよ、戻っておいで。おきくんに馬鹿がうつっちゃう!」

「ギャンギャン!ギャース!」


 金髪の獣を宥めながら、「頼むから帰ってください」と懇願する。俺は泣いていた。


「えー…………」

「お願いします……」

「うーん、泣いて頼まれちゃったらなぁ。……じゃあ、ちょっとだけ耳貸して」


 間髪入れずにフラッシュバックするのは、首筋に齧り付かれた時のあの恐怖であるが。立ち去る気配のない蛇穴に、俺は諦めて抵抗をやめた。右手で口元を隠すようなポーズを取る蛇穴に、こちらも耳に手を当てて聞き耳を立てる。


「────────、」


 その言葉に、目を見開く。


「ぎッ……!」


 同時に襲ってきたのは、激痛だった。何?噛まれたんだ。何処を、耳を噛まれた。そんな馬鹿な。


「貴様」

「ごめん!ごめんおきくん!」

「蛇穴貴様」

「ごめんてぇ!噛み癖なかなか治らなくてぇ……!」


 耳を庇うように抑えると、ツー……という感触と共に掌に血痕が付着する。最悪だ。しかも口では謝罪しているが、その相貌はたいへん満足気で──恍惚と形容しても差し支えないような様相だった。

 顔を歪めれば、蛇穴は逃げるように教室を転がり出ていく。「また来るからね、おきくん!」「二度とくるな」「愛してるよ!」「死ね」と言ったやりとりを一通り交わして。


「なんだ、その……」


 振り返った俺を、猫屋敷が心の底から同情するような眼差しで見ていた。


「ほ、保健室とか、案内して……してやりますよ?」

「急な敬語やめて?」


 露骨に距離を置こうとするな。絶対に逃さないからな。

 明日からのことを思うと、この場合舌とか噛み切った方が幸せな気がした。

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