閑話1


「久しぶり、シロ。……後さ、お前は意味わかんないだろうけど、僕の自己満足のために、ありがとうって言っておくね」


 南野千夏みなみのちなつは、以前来た時とは違って、彼氏という名前にその関係性を変えた男の子、佐藤一さとうはじめがそう言って懐かしそうに、そして穏やかに笑うのを、微笑んで見ていた。

 シロはシロで、きちんと覚えているのか、警戒することも無く、かつての恩人に鼻を寄せている。


「あらあら……メッセージでお話は聞いていたけれど、聞いていた以上に甘々ねぇ、千夏ちゃん」


 家主の門脇奏さんが、そう言ってニコニコしながら呟くのが聞こえた。


「え? うち的には普通に微笑んでただけのつもりだったんですけど……奏さん的にはどう見えました?」


「そうねぇ……私が文章で表現するとしたら。『彼女はこれ以上大事なものなど無いと、視線にただその慈しみと愛情を載せるかのように、一匹の猫と一人の男性の触れ合いを見ていた』とかにするかしらねぇ」


「めっちゃ恥ずかしいので辞めてくださいお願いします」


 千夏は赤面してそう力なく言った。


(え、自覚的にはちょっと頬を緩めてシロちゃんとハジメの再会を見てただけのつもりだったんだけど……もしかして学校とかでもうち、やばい?)


「それにしても……」


「は、はい!」


 そんな事を考えていたからか、奏さんの続く言葉に妙に反応してしまって、その声にシロとハジメが振り向いた。


「あれ? 千夏、どうかした? 顔赤いみたいだけど」


「ニャーオ?」


 ハジメがそう、心配するように近づいてくると、シロも喉を鳴らすでもなくしっかりとした鳴き声を出して、千夏の足に頭を擦り付けてくる。


「う、ううん。大丈夫、体調とかじゃないから……ちょっとその、自分を見つめ直していたというか。…………今更だけど、シロちゃん随分と大きくなったねぇ」


 全然会いに来れていなかった上に、一緒に過ごしたのもたった三週間ほどの関係だったが、ハジメの時と同様に、千夏の声を覚えてくれているのだろうか、それはとても嬉しいことで、そのまましゃがみ込むと、少し重くなったシロを千夏は抱き上げた。

 それに対して、撫でろ、というように頭を逸らすようにして喉元を見せるのに笑ってしまう。


「ハジメくんも、改めてお久しぶりね。今日は、千夏ちゃんや、美咲ちゃんにも少し話は聞いていたのだけれど、キミの話も本当に楽しみにしていたのよ」


「あはは、お手柔らかにお願いします」


 ハジメが、そう言って照れたように笑う。


(うん、ちゃんと格好良すぎないくらいに見えてる、うちは冷静、うちは冷静)


「それで、すみませんさっき話の腰を折っちゃいましたかね? 奏さんが何か言いかけていた気がしますが」


「ああそうそう、貴方達に聞いてみたかったのだけど、よかったらこれ、いらないかしら?」


 そう言って、奏さんは戸棚に行って、チケットの束を取り出した。


「これは?」


 千夏が思っていた疑問をハジメが奏さんに聞いた。


「んー、この遊園地ねぇ。最近出した小説が今度映画化されるんだけど、私が描いた物語の中の遊園地にとても似ているらしくてね。私としては、どこか一つの遊園地だけを参考にしたわけではないのだけれど、映画の舞台地としてポスターにもなるみたいで、お礼にとチケットをくれたのよ」


「なるほど、そうなんですね。ちなみに僕は好きでしたよ、あの物語…………上手く言えないですけれど、物凄く静謐せいひつな空気に触れさせてもらっているようで居て、確かに遊園地の場面は過去の回想シーンでもあったからか、そこだけはとても穏やかで暖かな雰囲気で、このチケットに映ってる観覧車とかはイメージにそっくりですね」


 へー、と思う。

 そう言えば、全然シロちゃんに会いに行くことで頭がいっぱいだったけれど、ハジメは最近の本が映画化するんだね、読んでおこうかなって言ってた。

 感想もしっかりしてるし、流石に気が回るなぁ、うちの彼氏は、そんな事を思って横顔を見ていると。


「あらありがとう……相変わらず、言葉選びが子供らしくはないけれど、とても素敵よ。ほら、彼女が見惚れているわ」


「……もう、見惚れてませんって! ハジメ、今度うちもその本読みたい」


 あっさりと奏さんに心の内を読み取られたことを否定して、誤魔化し、でも無いがハジメにそう言った。実際、読んでみたいと思う。


「うん、本当にここに載ってる観覧車とかイメージにそっくりだし、内容的にも千夏は好きだと思うから帰ったら見せるね」


「うふふ、千夏ちゃんもありがとう、良ければ感想も聞かせてね。…………まぁそれでね、ありがたいのだけど、私はこの足だし、この歳で遊園地を楽しむわけでもないから、よかったら貰ってくれると嬉しいわ。期限はうんと長いみたいだから」


 受け取って、数えてみたら十枚のセットだった。

 ハジメと遊園地デートはまだしたことが無いので、流石に五回も行きはしないだろうが、チケットは嬉しい限りだ。


「ありがとうございます、千夏、前に言ってた遊園地デートもできそうだね」


「うん!」


 当たり前のように、この先もどこかに行ける幸せに頷いていると、そんな千夏とハジメを慈しむようにして、奏さんがぽんと手を叩いて言う。


「さて、じゃあそろそろお昼にしましょうか。……その後は、沢山お話聞かせてもらうからね」


 そう言う奏さんの笑みが、もう取材にしか見えなかったのは言葉には出していないけれど、ハジメも同じ気持ちだったと思う。



 ◇◆



 奏さんに沢山吐き出させられた千夏とハジメは、帰りの電車で向かい合うようにして扉の近くに立って話していた。


「今日は、お母さんは休日出勤なのでハジメの家に泊まる、でも、明日は代休らしいからお母さんと一緒にご飯食べるんだ。だから会えない日かな」


「休日出勤とは大変だね、でも代休取ってるならいいのかな? 後、泊まるのは勿論嬉しいけど、明日学校は? 制服持ってきてないでしょ?」


「大丈夫! ちゃんとハジメの家にももう一着あるから」


「え? いつの間に? あ……美穂の部屋か」


「その通り! こないだちょっとサイズがキツくなってきてさ、まだ全然着れるんだけど、新調する時にお母さんに言われたんだよね、せっかくならハジメの家にも置いておけばいいじゃないって」


「…………涼夏さんらしいといえばらしいんだけど、母親に彼氏の家にも制服置いとくように言われるって何ていうか」


 当たり前のように泊まる話題をしていたからか、視線を感じて横目で見ると、近くにいたカップルに少し変な目で見られていた。

 流石に恥ずかしいので、声のトーンを落としつつ、話を続ける。


「そういえばさ、遊園地いつ行こう? 後、旅行も行きたいって言ってたの、ハジメの働いているお店の近くのケーキ屋さん、面接予約入れてみたからバイト始めるかも」


「いつにしようかね? そしてそうなんだ、千夏ならすぐ受かりそうだけど、えっと、僕の駅で良かったの?」


「学校帰りに行きやすいし、遅くなったらそのままハジメの家で、早い時は家に帰る、後さ、うちの駅あまり無かったんだよね、コンビニとかマクドナルドとかならあったんだけど」


「……うん、ケーキ屋さんで」


「えへへ……ということで、次の春休みとかまでにお給料入れば、行けるかな、二泊とかするのってどのくらいかかるんだろう?」


「どうだろう? でもこないだ千夏のお祖母ちゃんのとこに行くとき少し調べた感じだと、早めの予約だったら安くもできそうだったよ。行きたいとこピックアップしていこうね」


 話しているうちに、また少しだけ声が大きくなってしまったのか、先程のカップルの視線がより集まっている気がした。泊まるだけではなく、二人で当たり前のように旅行の話をしているからだろうか。


(ううん、確かにちょっと感覚がずれてきてるかも? でもまぁ、人それぞれだしいいよね)


 そう思って、今度は先程のチケットの話をする。


「で、遊園地はいつ行こうか。むしろ早紀達も誘ってみんなでっていうのもいける数だけど」


「…………あー、それもいいな、って言おうとしたけどさ、その場合、男一人は流石に」


「イッチー君とか、あとは相澤とか? あ、じゃあ佳奈さんもか…………いや、嘘ちょっと待ってね」


「そのメンバーで行くのは、楽しそうだけど…………」


「よしとりあえず保留で…………ちょっと二人で行きつつ、後は封印しておこ。あ、そういえばさ、こないだゆっこが――――」


 そんな風に穏やかに話をしながら電車は目的の駅へと向かい、何事も事件があるわけでもなく、二人で駅を降りて、そして二人で買い物をして、一緒に御飯の用意をして、共に夜を明かして、朝一緒に学校に登校する。


 それは、感覚がずれるどころか一般の高校生の恋愛事情からは随分と離れてきていることを二人が自覚することは無かった。


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