第0楽章 3節目
目の前で、右手を突き上げて、歓声を浴びている男子生徒が、憧れていたクラスどころか学年で一番可愛い子に全身で抱きつかれて祝福されて、穏やかに笑っている。
それを見て、
(何でだ、何であいつがあんな場所にいる!?)
心の中で、張りぼての自分が言う。
(俺だって、俺だってあんな――――物語の主人公みたいに輝いてみたかった)
心の中で、本当の自分が言う。
羨ましい。羨ましい。――――情けない。
歓声の言葉も、さっきまで一緒に居たやつが野次のような言葉を吐き出すのも、耐えられなくなって外に出た。
「…………っ!」
人の気配に咄嗟に立ち止まり、相手を見て、言葉を失う。
ちゃんと前を見ていなかったせいか、他にも人がいるのに気づかなかった。ほとんどの人間は体育館の中で、まだ余韻に浸っているものだと思っていた。
「石澤…………何その顔。一言、言ってやろうかとしたけど、やめた」
クラスのカーストのトップにいるであろう美少女がそこにいた。
和樹としても、整いすぎていて逆に恋愛感情や欲情が湧いてこない相手だ。
そして今、石澤が今顔を合わせたくないランキング上位に間違いなく位置する。
そんな彼女に一瞥され、そして、意外そうなものを見たように、そう言われた。
「藤堂」
和樹はそれに対して、ただ、何の意味もなく名前を口に出した。
軽薄さの仮面も、ちょっとした笑われない冗談も、どうでもいい、場の静寂を壊すためだけの上っ面の言葉も、それ以上が何も出てこない。
「何よ?」
「…………すまん」
名前を呼ばれただけの藤堂が、うっとおしそうにそう言うのに、何の意味を込めているのかわからない謝罪の言葉が口をついて出る。
「……はぁ? 意味わかんないし、大体、あんたがもしその言葉を言うなら相手が違うでしょうが」
その通りだと思った。
「…………すまん」
「あんた……柄にもなくしょぼくれてどうしたわけ? うちのクラスの佐藤と、D組の佐藤くんとの対戦で身の程でも弁えた?」
あまりに情けないことの業を煮やしたのか、藤堂がそう言ってくる。
いつもは邪険に扱われるか、最近はもう無視のような形が多かったのに、どうしたのか、そう思って顔をあげる。
「何よ? 言っておくけど同情はしないから。あんたのはあまりにも自業自得だしね……ただまぁ、私も今は少し落ち込んでるからね、隣でそんな鬱だって顔されたらうざいのよ、落ち込むなら他行きなさい」
「…………佐藤に、好きなやつがいるってやつか」
藤堂がバスケ部側の佐藤のことが好きなのは、少なくともうちのクラスでは周知の事実だ。
多分佐藤の耳にも入ってるんじゃなかろうかとは思う。
「は? …………って威嚇するのも八つ当たりみたいで違うわね。そうよ、それが、絶対に私じゃないことくらいわかるからね」
意外だった。
こんなに外見から何から、カースト上位な人間はこんな顔をしないと思っていた。だから、つい言葉が出てしまった。
「その…………まだ、わかんないじゃん」
「黙れ」
「…………すまん」
どうして自分はこうなのだろうか、と和樹はまたしてもどうしようもなく軽い謝罪の言葉が口をついて出る。
「はぁ…………俺も、もう少しイケメンに産まれたり、運動神経よかったら違ったのかな」
そう、誰にともなく呟いて、ここではない、どこか一人になれる場所に行こうとした時に、それ以上は話しかけてこないと思っていた藤堂の声が背中からかかった。
「……ごめん、今のは八つ当たり。あんたは最低な部類ではあるけど、少なくとも今は私が悪い」
「え……………?」
「だから! ……あんたはよくわからないけど、下手くそな言葉で、誰を馬鹿にするでもなく慰めてくれようとしただけでしょうが。謝罪くらい受け取りなさい……嫌なのよ、あんたみたいなやつにであっても、自分のこの嫉妬とか、ドロドロしたものをぶつけたまま棘になるなんて、私が嫌なの」
ぽかんとして、振り向いた和樹に、藤堂はそう言った。
「まぁ、まだゲームセットじゃないからね。私はまだまだ頑張れる!」
「凄いな……やっぱカースト上位って言われてるやつは違うな」
本当に凄いと思った。
可愛いとか、彼女にしたいとか、そういう欲望を叶えたいとか、馬鹿みたいな感情ではなく、ただ、美しいとか、尊敬とか、そういった感情を同年代に抱いたのは初めてだった。
「あんたに一つだけ、八つ当たりしたお詫びに忠告しておいてあげる。…………あのね、あんたが軽いのは、最低なのは、あんたが思ってる理由じゃないわよ? 外見だの、性格だのはどうだっていいの。ただ単に、成功している人間の努力する姿を想像できないほど、何もしてないくせに口だけ回すやつだから言ってんの」
「あ…………」
「まぁそこで、礼を言えるか、怒るか、どっちかくらいは出来るようになりなさいな。じゃあね、私はまだ、中で見る」
そう言って、藤堂は颯爽と立ち去っていった。
眩しかった。目が眩みそうだった。
そして、先程の、『二番』と馬鹿にしようとしていた佐藤の事を思う。
本当はわかっていた。
どうしようもなくわかっていた。
いっそ、才能であってくれればよかった。
努力なんて感じられないほど、ただ生まれ持ったもので輝いてくれていればよかった。
「…………くそ、くそぅ」
言葉が漏れる。
和樹は、中学の時はバスケ部だった。
今のように髪を染めることもなく、そして、レギュラーでもなく、地味な生徒として、三年間を過ごした。青春なんてものはなかった。練習はただただしんどかったし、友人とも呼べない堕落仲間とサボって、レギュラーになるようなやつを羨ましいと思って眺めていた。
『体格差あるもんなぁ』
『そうそう、持って生まれた才能ってやつが違うんだよ』
『どうせ俺らはな。……とりあえずバスケはだめだ、高校からはサッカーに生きてモテようぜ』
そんな軽々しい言葉を吐き散らかすようにして、和樹はここにいた。積み重ねたものもなく、次から次へと新しい場所にいって、上辺だけなぞってまた次へ。
なのに。同じくらいの体格で、体育の時間の短距離でも自分より遅い癖に、そこまで運動神経がいいわけでもないくせに。
そのドリブルを、シュートフォームを見て分かってしまった。
それまで自分の立ち位置が上だと思い込むためにだけ、貶して下に見ようとしてきた、あいつのこれまでの努力が。
綺麗なフォームだった。
きっと何百何千と練習したんだろう。
そんなあいつは、どうしようもなく輝いていた。それは、もしかしたら生まれ持ったものだけでも輝けるような、バスケ部の佐藤や南野、先程の藤堂の輝きよりも眩しいように感じられて。
その日、石澤和樹は、自分が持っていないからではなく、ただ何もしてこなかったからこそ、今の自分であることをどうしようもなく自覚する。
同時に、目を逸らしていたこれまでの自分のダサさと、見苦しさもまた。
でも、何をすればいいかはまだ、わからないままだった。
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