サチコ先生

だら子

第1話

幼稚園時代の記憶なら、ある。


えみちゃんに、

「わたしつねられても痛くないから、つねってみて」と腕を差し出され、その通りにつねったら泣かれたり。


お買い物屋さんでサトシくんが、輪ゴムと折り紙でイヤリングを作って天才だと思ったり。


でも、1番印象的なのは、サチコ先生の卒園式の挨拶だ。


みんなのたくさんの!!を、先生は見てきました。鉄棒ができるようになったり、文字が書けるようになったり…そして、こうやって、先生の話を静かに聞けるようになりましたね。それは先生との約束を守れるようになったからです。


毎日、みんなとたくさんの約束をしてきました。時には守れなくて先生に怒られた子もいたよね?今日は最後の約束をしたいと思います。


できないとき、助けてほしいときには「助けて」と言うんだよ。

それは、お父さんお母さんだけではなく、友達や、先生、誰でもいいの。


忘れないで。

この約束は、必ず守ってね!!


大きな拍手とすすり泣きが聞こえた。

卒園の緊張からか、ママやパパたちがあんなに泣いている理由は分からなかったけど、あの頃からをしたいうことはわかっていた。


小学生の記憶もまばらだか、中学生になってから、わたしは記憶が飛ぶようになった。


朝と夜ごはんの時、気がついたらご飯が片付けられている。

ハッと気がつくと、家族の「ご馳走さま」が聞こえる。

母の料理が思い出せない。

わたしはそのことが怖くて誰にも言えなかった。

言えるような状況でもなかった。


今、母の再婚した家族と一緒に住んでいる。


お母さんが幼稚園の時に作ってくれた大好きなオムライス。熱々の唐揚げ、

チーズハンバーグ。どうして私は思い出せないんだろう。


再婚した家族は私に冷たかった。母も気まずそうにしていた。昔の母ではもうない。でも、私は母の幸せを壊すのが、一番怖い。


一緒にお風呂に入ったり、布団で背中に文字を書いて当てるゲームをしたり、子どもながらにお父さんがいないのは寂しかったけど、母がいれば充分だった。


朝が起きるのが辛かった。

だって、きっとまた朝ごはんの記憶は、ない。






寂しい。寂しい。辛い。辛い。私の記憶たちはどこへいくのだろう。

わたしは教室で放課後を過ごしていた。机の上の自分のほっそりとした腕に顔を乗せて、ふと窓の外に視線を外すと、桜が散り夏に向かっていた。

ガラガラと戸が音を立てて、担任のクドウ先生が私に声をかける。


「大丈夫か?最近痩せたみたいだけど…しっかりご飯食べてるのか?」


その目は真剣だった。

わたし、先生だけには恵まれているのかもしれない。


その時、私の全ての記憶が蘇った。




「できないとき、助けてほしいときには「助けて」と言うんだよ」



サチコ先生の温もり、優しさが溢れてきた。


サチコ先生、言ってみるね。わたしは上履きから目をあげた。





「クドウ先生、助けて」


震える声で続ける。


「わたしの分だけ、ご飯を用意してもらえないの」



そのことが嫌で自分から記憶を抹消した。

母の再婚相手からの暴言も、いじめも。助けてくれない母も。

記憶を消せば生きていけると思ったからだ。



「よく、言ってくれたね」


クドウ先生の声は力強い。


ごめんね、お母さん。でも、もうお母さんではないのかもしれない。


助けてくれる人を選んで生きていく。


これはサチコ先生との約束だから。




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サチコ先生 だら子 @darako

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