第18話「揺れて揺れて、心」

 結局花未はなみは、80インチの超巨大テレビを買った。

 しかも、ポンと現金で。そう、花未はいつでもニコニコ……ニコッともしない無表情だが、現金払いなのである。しかも、自分で持ち帰ると言い出した。

 僕はアパートまで、また肉体労働の片棒を活がされることになった。

 こんなデカいダンボール、女の子だけに運ばせられないだろうってさ。


「よし、一ノ瀬隆良いちのせたから。接続作業を手伝ってくれ」

「わーってますよー、もう……僕、ずっとそんな気がしてたんだ」

「この時代の機器は、あまりにもわたしの知るものと違い過ぎる。物理的な有線接続が主流という時点で、謎だ」

「へいへい、未熟な文明で悪うございましたねー! ……よし、やるか」


 花未の部屋で開封して、改めてクソデカテレビに驚かされる。単純に見ても、僕の部屋にあるサイズの倍以上だ。こんな狭いアパートの一室に置くようなものじゃない。

 でも、これで映画とか見たらいいだろうなあ。

 音源もいいのがついてるし、ゲームとかしたら最高だろ。

 で、花未はノープランだったらしく、ドデデンと片手で壁際の床に置いた。

 えっ、直置き? ってか腕力も握力も凄いね、花未さん。


「では、設定を頼む。その間にわたしは夕食を用意しよう」

「えっ? 花未お前……料理とかできるの?」

「当然だ。電子レンジの使い方は心得ているし、湯を沸かすこととで造作もない」

「……ごめん、なんかごめん。期待した僕が馬鹿だった」


 しかし、花未の部屋は殺風景に過ぎる。

 冷蔵庫とその上の電子レンジ。ベッド、テーブル、そして今しがた搬入されたテレビ。以上、終了だ。カーテンも、前の住人が残していったグレーの無地である。

 とても女の子の部屋とは思えない。

 でも、そこがまた花未らしいとも感じた。

 一昔前流行はやったタイプの無機質系ヒロインかな?


「さて、電源はっと」


 僕は説明書を片手に、テレビの接続を開始する。

 花未は冷凍庫から沢山の食品を出しては並べ、熱心に選んでいた。まあ、冷凍食品も最近はもの凄くレベルが高いからな。

 どうやらどれもお気に入りらしく、花未は迷いに迷っていた。

 こいつ、僕たちの世界のものはなんでも美味おいしいって言うからな。

 まったく、もともとどういう食生活なのか見当もつかない。


「一ノ瀬隆良、この餃子ぎょうざというものは」

「ん? ああ、中華料理だ。美味いぞ。最近のは冷凍ものでも皮がパリッとしてるしな」

「ふむ、ではこれにしよう。それと、パスタはナポリタンというのが気に入ってる。それと、エビピラフ。それから」

「まてまて、まてぇい! 炭水化物が被ってるし、そもそも僕はそんなに食わないって」

「ああ、安心しろ。一ノ瀬隆良の分は別にある。チンするのは得意なのだ」


 この女、不安しかない。

 でもまあ、深く考えずにテレビを接続し、電源を入れた。

 アンテナの調節も上手くいったから、クリアな画像でニュース番組が流れ出す。

 隣の自分の部屋に戻ってもよかったが、もう少し様子を見ようと僕は腰を下ろした。録画のやりかたなんかも教えてやると、花未の私生活も少しは賑わうってもんである。

 その花未だが、電子レンジをセットするや僕の隣に座った。

 ……何故なぜ、ほぼ密着の距離で膝を抱えて座る?


「あ、ああ。えと、チャンネルの切り替えとか、わかるか?」

「このリモコンを使うのではないだろうか。1から12まであるみたいだな」

「それと、出力切り替えで録画した番組も見れる。録画の方法は」


 その時だった。

 説明書を広げた僕の胸元へと、ぐっと花未が顔を近付けてくる。

 近い、っていうかもう色々と当たってる。

 まだ例のセーラー服姿で、さらりと流れる銀髪の肌触りを感じた。女子ってなんだかいいニホイ……花未からはなんだか、石鹸せっけんみたいな香りがする。


「え、お、あ、えっと! せ、説明書見るか? ほ、ほら」

「うん」

「サブスクで動画配信サイトと契約すれば、映画とかも見れるからな」

「映画? それは、このような情報伝達番組とは違うのか?」

「えっと、アニメでも実写でもこう、長い物語を持ってる映像のことだよ」

「……文化なのだな。素晴らしい」


 花未は僕から説明書を取り上げると、床に広げて真剣な眼差しで精査してゆく。四つん這いになって、真っ直ぐ説明書だけを見ながらページをめくった。

 その彼女の声に、ようやく僕は感情があることを気付き始めていた。


「わたしの世界では、こうした文化は存在しない」

「テレビもねえ、映画もねえ、おまけに未来とも言ってねえ」


 僕、こんなキャラいやだ。

 こんなキャラいやだ。

 でも、花未は確かに僕の隣りにいる。

 今この瞬間が僕にとっての現実、リアルなのだ。

 そして、電子レンジがチン! と鳴る。

 顔を上げた花未は、立ち上がると小走りにキッチンへ向かった。

 その背中は、それだけは、ただの食いしん坊女子高生にしか見えなかった。


「いい匂いがするな。しばし待て、一ノ瀬隆良。今、皿を出す」

「あ、ああ……ん?」


 突然、僕のスマートフォンがけたたましく鳴り出した。

 その単調な音程が神経をかき乱す。

 間違いない、これは――


「花未っ、地震だ! 緊急地震速報、すぐに揺れが来るぞっ!」

「? なんと、このレベルの文明で既にそうしたネットワークを」

「ごたくはいい、早くこっちへ! くそっ、外に出たほうがいいか?」


 すぐこのあと、この瞬間か。

 それとも1分後か、5分後か。

 そこまでは確かにわからないし、僕たちの文明の限界だろう。それでも、必ず地震は来る、それを察知できたからこその緊急地震速報である。

 そのことを花未は瞬時に理解した。

 この子、なんでそんなに即応体制ができてるの? 常在戦場じょうざいせんじょうなの?

 そして、世界がぐらりと揺れた。


「! 一ノ瀬隆良、わたしにつかまれ!」

「いや、普通逆なんだけど……えっと、テーブルの下は」


 花未が一人で暮らしている部屋である。テーブルなんて小さくて狭くて、とてもじゃないけど僕たち二人がもぐることはできそうもない。

 古いアパートがギシギシと軋んだ。

 これは確かに、ちょっとデカい地震である。

 立ってられない振動の中で、花未だけがしっかりと駆け寄ってきた。体幹凄いねとか、そういうレベルじゃない足取りだった。

 彼女は僕に抱きつき、押し倒して、覆いかぶさった。

 キッチンから皿の割れる音が響いて、徐々に揺れが遠ざかってゆく。


「……怪我はないな? 一ノ瀬隆良」

「息が、苦しい。お前の、胸が」

咄嗟とっさのことだった、許せ。人間は頭部をまず守るべきだし、そういうマニュアルで訓練されている」


 もの凄く強い力で、僕は抱き締められていた。

 花未が身を挺して、落下物から守ってくれた。

 室内に被害は少ないが、キッチンの棚から食器が大量に落ちて割れただろう。簡素で物の少ない部屋で助かった。

 けど、同時に驚いた。

 僕を抱き締めて身を寄せる花未は、微かに震えていた。

 そして、バン! と部屋のドアが開かれる。


「ちょっと花未っ! 大丈夫? あと、隆良知らない? アイツ、いないのよ……どこに――ッッッッッッ!」


 わーお、最悪のタイミングだ。

 壱夜いよが血相をかえて駆け込んできた。

 そして、密着する僕たちを見て凍る。

 僕は命の危険を察して最適解を脳裏に探す。こんなのラノベじゃ日常茶飯事だぜ! この程度のことで男女の関係を疑われたりしたら、たまったもんじゃない。

 プルプルと拳を握って立ち尽くす壱夜に、僕は叫んだ。


「まて壱夜! 事故だ、!」


 あれ? ちょ、ちょっと……いや、かなりのミスチョイス?

 俯く壱夜から、一種殺気めいたオーラが広がり始めた。やばい、地震の恐怖と驚愕きょうがくが遠くにスッ飛んでいく。別の意味でピンチだ。

 だが、僕からそっと離れた花未は、うーむと腕組み唸る。

 そして、さもいい考えが浮かんだかのように言葉を選んだ。


「千夜壱夜、一ノ瀬隆良の言う通り誤解なのだ」

「そ、そうなんだ。ホッ……びっくりしちゃった、だって凄い地震だったもの」

「そうだ。それに、わたしは他者の、それも人間の伴侶はんりょを奪うような真似はしない」


 緩みかけた緊張が、突然最高潮まで張り詰めた。

 この馬鹿、なに言ってるんだ?

 っていうか、僕が壱夜の伴侶? そんなこと言ったら、あいつの蹴りが飛んでくるぞ。なんていうかこう、僕みたいなうだつの上がらないオタクタイプは、あいつも恋愛対象にしてないと思うんだよな。

 だが、壱夜はボンッ! と真っ赤になった。

 なにそのリアクション。


「はっ、ははは、伴侶? ちょっと花未、なにを」

「お前と一ノ瀬隆良はつがいではないのか? わたしには繁殖能力はないので、そこは安心してほしい。一ノ瀬隆良の遺伝子情報は全て、お前のものだ」


 花未、お前……少し頭、冷やそっか?

 っていうか、なんてこと言ってくれたんだーっ!

 終わった……表情が完全に硬直した壱夜は、ふらりと部屋を出ていった。手と足が同時に前に出てて、もう既に魂の抜け殻みたいになってしまった。

 その背を見送りながらも、僕はまだ知らずにいられた。

 今この瞬間が、終わりの始まりだったということを。

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