第7話 婿候補
男の子を自分の家に住まわせていた老婆によると、この子は八日ほど前に、川で水浴びをしているときに小さな
老婆は仰天したが、これは育てきれなくなった子供を、親が川に流したのに違いない、と思ったらしい。
この老婆自身は、過去に夫と二人でこの家に住んでいたが、五年前にその夫を病気で亡くしていた。
また、二十年以上も前に息子を一人産んでいたのだが、水の事故で亡くしていたのだという。
そんなことがあったので、流れてきたこの男の子を、大事に育てようと決心したらしい。
男の子は、父親、母親を求めて泣いていたが、捨てられた子供を迎えに来ることはまずないだろうと考えていた。実際、誰も探しに来なかったのだという。
この家から川までは、少し離れている。
川上から捜索のために来た村人達も、ほんの川岸しか捜さなかったようなので、お互いに気付くことがなかったのだろう。
いや、あるいは、大声で名前を呼びながら捜していたとすれば、老婆は気付いていたかもしれない。しかし、聞こえなかったと言われればそれまでだ。
そもそも、なぜ男の子は筏で流れ着いたのか。
このあたりでは、川は交通の手段なので、荷物や人を下流に運ぶときに筏を組むことはよくあった。
それでたまたまそこに引っかかっていた、壊れかけの使われていない筏に男の子が遊びで乗って、そのまま流された、という可能性は十分考えられた。
「……だとすれば、子供を保護したと役人に届け出るべきだったんじゃあないのか?」
ハヤトが問い詰めると、その老婆は泣きながら、
「役人など、信用出来るものか……私の息子が流されたときに、真剣に捜してくれる者など一人もおらなんだ!」
と反論されてしまった。
今から二十年以上前……まだ『時空の仙人』が来ていない時代。藩全体が決して豊かではなく、身売りも頻繁に行われていたと聞く。
そんなときに、役人が行方知れずの子供一人を捜す手間など、かける余裕はなかったのかもしれない。
舞は、自分達の事は信用して欲しい、と必死に説得した。
その願いが通じたのか、あるいは男の子の幸せを願ったからなのか……老婆は、それほど時間がかからぬうちに、舞達に男の子を委ねることに同意した。
舞とハヤトは安堵した。
これでようやく、八日も前に行方不明になった男の子を見つけるという試練を果たした。
それも、怪我一つ追っていない無事な姿で、両親の元に届けられる……。
いや、まだ油断は禁物だ。
村からここまで、川を下りながら半刻 (一時間)かかったのだ、男の子を連れてだと、もっと時間がかかってしまう。いや、この子の足では、この距離を歩くのは無理だ。
ハヤトがおぶっていけば大丈夫かもしれないが、岩場などもあり、うっかり足を滑らして転んでしまうと大怪我になってしまう。
そこで二人は相談して、『時空の腕輪』を使い、男の子と舞だけ先に戻ることにした。
彼女一人だけになるのは多少心配だが、村の中に移動するのならば危険は少ないだろうというハヤトの判断だった。
しかし、季節は真夏であり、舞は自分が汗だくになっていることを気にしていた。
男の子の体も汚れていた。
一度身を清め、そして男の子といっしょに村に戻ろうと考え、ハヤトもそれに同意した。
とりあえず、舞は一旦川原に降りて、濡らした手ぬぐいで男の子の体を綺麗に拭いてあげた。
この頃には、男の子は舞にもハヤトにも懐いていて、嫌がるどころか気持ちよさそうにしていた。
そして舞は男の子をハヤトに託し、自分は大きな岩の影で、襦袢も脱いで生まれたままの姿になり、手ぬぐいで体を清め始めた。
当然、ハヤトと男の子はその岩から数十メートル離れて、後を向いてその方向を見ないようにしていたのだが……。
「だ、誰っ!? 誰かそこにいるんですか!?」
以前にも聞いた事のあるような舞の叫びに、ハヤトは思わず振り返った。
彼女の姿は大岩に隠れていて見えないが、その川上、三十間 (約五十五メートル)ほど離れた所に、腰に刀を差した武士の姿があるではないか。
その男は困惑した様子で後を振り返ったが、舞に何をしでかすか分からない。
ハヤトは全力でその男の元に駆けていったが、その手前で、彼の進行を妨げるようにもう一人の男が走って来た。
やけに体格の良いその男は、ハヤトの前に立ちふさがり、ニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃまだ、どけっ!」
ハヤトは瞬間的に右方向に飛躍し、体格の良い侍を避けようとしたが、その男もほぼ同じ速度で同じ方向に飛び込んできて、ハヤトの左腕を掴んだ。
「なんだとっ!?」
今まで、
「ちいっ!」
ハヤトは空いている右腕で男を殴ろうとしたが、あっさりと躱されて逆に右肩も掴まれ、そのまま地面に投げを打たれた。
……だが、瞬間的に身をよじらせて、背中から叩きつけられる事だけは避け、結果、二人とも体勢が崩れてその場に倒れ込んだ。
ところが、男の攻撃はそれだけでは収まらず、襟を掴んで、締めの体勢に持ち込もうとしてきたのだ。
すんでの所でそれを外し、逆に相手の肩を極めようと腕を伸ばすが、これを男は躱した。
「……やるな……」
男はさらにニヤリと笑みを浮かべる。
(こいつ……強い……)
真夏にこれだけの格闘を演じているというのに、ハヤトは冷たい汗が流れるのを感じた。
こうしている場合ではない、舞の身を守らねばならなぬのに……。
しかし、そんな焦りとは裏腹に、寝技での一進一退の攻防が続く。
やがて二人は組み合って、お互いに身動きができない状態になってしまった。
「
もう一人の侍の声が響いた。
それに反応した二人が顔を上げた。
すると、彼等の目には、襦袢一枚だけを纏い、男の子の側に寄りそう少女の姿が飛び込んできた。
彼女は、不安そうにしている男の子をしっかりと抱き締めている。
そしてもう一人の侍の方は、最初にいた位置から一歩も動いていない。どうやら、ずっと状況を見守っていたようだった。
「すまなかったな、『烈風のサブ』の息子、ハヤト。その男、虎次郎が、どうしてもお前の腕を試したいと言っていたのだ……その男、そう見えて藩の剣術、体術の指南役だ。藩に仕える者の腕試しも仕事の一つだ、許せ」
まだハヤトとそれほど歳が変わらぬ青年のようだが、その言葉には威厳があった。
「……そういうことだ。その方、スジが良い……そしてその方から先に攻撃してきたのだ、恨まないでくれよ」
虎次郎と呼ばれた男はそう言って力を抜き、ハヤトの背をポン、と叩いた。
そしてそのハヤトも、もう戦う必要がなくなったと理解し、一応警戒しながらも、安堵のため息をついて虎次郎から離れ、立ち上がった。
「……そして巫女、舞。申し訳なかった、まだその子を送り届けねばならないというのに、まさか水浴びをしているとは思わなかったのだ」
青年は、そう釈明した。
「……いえ、私達に……この子に危害を加える気がないのであれば、それで構いません……それで、あなた方は一体……確かに、お城でお見かけしたことはあるように思いますが……」
舞は多少緊張を解きながら、しかし、男の子を抱き締めたままでそう答えた。
「我が名は、
「竜之進様!」
舞は、口元に左手を添え、驚きの声を上げた。
確かに、城内で舞を奉納したとき、その姿を見かけたことがあった。
現藩主、元康公の一人息子にして、次期藩主候補筆頭。
そして、彼女の父親であるタクヤから、
「彼になら、お前を嫁に出してもいいかもしれないな……」
と聞いていた者でもあった。
つまり、『時空の仙人』が認めるほどの人物、ということだ。
そんな青年に、一瞬とはいえ、自分の裸を見られてしまった。
彼女は一瞬だけ、トクン、と鼓動が高鳴るのを感じた――。
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