第49話 居場所

那澄は言っていた。

透明になったのは、生きることから逃げようとした罰なのだと。

でも、僕は違うと思う。

透明になったから那澄は藤沢さんと出会って、僕と出会った。そして、外の世界を遮断しながら、今まで生きてこられたんだ。

僕は託されたんじゃないか。

那澄が安心できる存在になることを。

だから、罰じゃない――。


***


どれだけ抱き合っていただろうか。疲れもあって、僕らは互いの体温を感じながら眠っていたのかもしれない。

「立紀君」

那澄の声がした。瞼を開けるとすぐに、僕を覗き込む那澄が視界に入る。同時に、チカチカとした光が顔に当たり、思わず目を細める。無意識に吸い込んだ空気が、やけに澄んでいる。今いる場所が、さっきまでの橋の下ではないことが感覚的に分かった。

「立紀君、ここって......」

僕の手を握りながら、那澄が戸惑った声を出す。辺りを見回すと、そこは森の中だった。僕らを取り囲むように、広葉樹がざわざわと風に揺られて音を出している。それに合わせて、木漏れ日がまだらになって土の地面に落ちている。近くで、鳥の鳴く声も聞こえる。

「どこだろう」

そう言って那澄の方を見る。当然、那澄も首を横に振った。戸惑いはするものの、不思議と怖さはなかった。それは、那澄も同じだったと思う。僕らはしばらくの間、その場に座りながら見知らぬ空間を見つめていた。


近くに舗装のされていない道があった。僕は裸足の那澄を背負いながら、それに沿って歩く。石ころだらけの歩きづらい地面だった。小学生のころの学校登山がこんな感じだったなと思い出す。

この道を抜けると、民家があるのだろうか。その先、どうやって家に帰ろうか。僕はたいして緊張感など持たず、ぼんやりと考える。森の外に向かっているのか、奥に進んでいるのか、それすらもわからないのに。


しばらくして分かれ道に突き当たったとき、那澄が「もしかして」とつぶやいた。

「左の道に行って」

と言うので、僕はそれに従う。彼女は何に気づいたのだろう。僕はただ黙って、流されるように歩いた。

ちょうど道が途切れたところで立ち止まった。

「やっぱり」と言って、那澄が僕の背中から降りる。

僕らの正面には、苔むした石の土台の上に建つ、小さな祠があった。祠の扉は開いており、中には何も入っていない。

「那澄、これって」

「あのときの祠だ。私が家出をして、たどり着いた先にあった、あの祠」

それを聞いた僕は祠を見据える。

ここが、十年以上前、那澄がこの世界から消えたいと願った場所。そして事実、彼女が透明になった場所。

なぜ僕らはここに来たのだろうか。あるいは、連れてこられたのだろうか。

僕らを見つめるように祠は静かに佇んでいる。その厳かで神妙な空間は、僕をどこか夢心地にさせた。

那澄を透明にしたのは、この祠なのか。だとすれば、僕らをここに呼んだのはどういう意味があるのか。


そういえば、と僕は那澄を見る。那澄はこの場所に来て、また嫌な過去を思い出してしまわないだろうか。

「大丈夫?」

と言って、僕は那澄の手を握る。

「うん、ありがとう」

那澄は小さく笑う。

那澄はおもむろにポケットから貝殻を取り出し、祠の前に置いた。藤沢さんと三人でドライブに行ったときに海で拾ったピンク色の貝殻。死ぬことを決めた那澄が家から持ち出したものだった。

「お参りしよう」

那澄の提案で、僕らは繋いでいた手を離し、祠に向かって手を合わせる。目を閉じてから、僕は思案する。那澄を透明にした神様がいるのなら、何を伝えればよいだろうか。

まず真っ先に浮かんだのは、那澄が生きていることや、那澄と出会わせてくれたことへの感謝だった。もしかしたら、僕の見当違いの感謝なのかもしれないが、それでも素直な気持ちを伝えた。そして、僕が那澄の居場所になること、守っていくことを誓う。

それから最後に、お願いもした。


――那澄とずっと一緒にいられますように。


心の中で言い終えた瞬間、強い風が顔に当たった。

一瞬の突風の後、目を開いた僕は息をのむ。

祠がなくなっていた。

「えっ」

隣の那澄も驚いた声を出し、僕の方を見る。僕はぽかんとした顔のまま、首を横に振った。二人で呆然と立ち尽くしながら、さっきまで祠があった場所を見つめる。

不思議なことばかり起こるのに、僕らにはその意味を一つも教えてくれない。

わかりずらい神様だ。

そう思うと、なんだか笑いがこみ上げてくる。

「ふふ、あははは」

何もわからないのに、僕の心の中は不思議と満たされていた。

「なんで笑ってるの? ねえ、もう......ふふっ」

那澄も僕につられて笑い出す。

静かな森の中に、僕らの笑い声が小さく響いた。

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