Liberator. The Nobody’s.4

黒ーん

Creeper Venom

 ――アメリカ ジャンブルポール 最奥街インサイド 某所――


 ジャンブルポールのインサイドに位置する某所。外観からは寂れたバーのように見えるその建物は、物騒な土地柄、客が酒を求めて扉を叩くということは無く、そもそも営業しているとさえ思う者はいないだろう。


 そんな一切の需要があるとは思えないこの建物の、正確にはその地下の一室にて、荒涼こうりょうとしたこの街の雰囲気に遜色の無い風貌の者たちが十数名、顔を突き合わせて商談している最中であった。


 当然その内容は穏やかなものではない。違法に入手したご禁制のトラペゾイドや薬物、或いは人間を幾らで売るだの買うだのといった、ある意味この場の空気に相応しい内容の商談をしていた。


 この数年、ジャンブルポールの内情は変革を遂げていた。インフラが整備され、街の随所には市長の雇った民間の警備兵が立ち、善良な市民にとっては過ごしやすい環境に変化しつつあった。


 対照的に、血と硝煙が香り、暴力こそが正義だと言うかのような旧態依然きゅうたいいぜんとした在り方は次第に奥へ、奥へと追いやられ、この場にいる者たちにはとっては肩身の狭い変化だとも言える。


 そんな者たちの中にも、自分たちこそが変わるべきだと、労せずに自らを切り替えられる者もいた。


 時間の流れとは人や物に影響を与え、恒久的こうきゅうてきに変わらないものなど無く、その流れに乗らねば淘汰とうたされるのは自分の方なのだと悟り、理解し、納得して、変化を受け入れることができたのだ。


 ならばこの場にいる者たちはどうであろうか。ご覧の通りである。


 自らを変えることができず、時代遅れの栄光にしがみつき、必死で過去を取り戻そうとする者たち。


 それが世間の為、人の為になるというのならば歓迎され、受け入れられもしただろう。しかし彼らのしていることは、言うならば他人を不幸にして自らの懐を潤す行為である。凡そ世間の大半からは煙たがられることをしているのだから、淘汰されるのも致し方ないことであろう。


 そんな中で一人、腰に剣を刺し、グレーのパナマハットを目深に被った二十代半ば頃の女性‟ナタリア・モンソルド”は、目の前で行われている商談の行方を無表情で、しかし苦痛を堪えるかのような面持ちで見守っていた。


 本音を言えば目を瞑り耳を塞いでいたかったが、それは許されなかった。この場には自分の育ての親であり、組織の幹部である兄貴分のポーリーに連れて来られている上、最近では商談が終わった後に様々な意見を求められる為、知らぬふりをすることができないからだ。


 ナタリアはそれが苦痛で仕方がなかった。


 数年前まで行われていたマフィアの抗争は、ある人物の介入によって、ある時を境に全ての組織が徐々に均等に力を失うという形で終わりを余儀なくされた。それから街は穏やかな方向へと変わって行き、自分たちもいずれは穏やかな方へと変わるのだろうと、そう考えていた。


 しかし兄貴分のポーリーは変わらなかった。変われなかった。いや、もっと言うなら以前よりも悪くなってしまったと言っても良い。


 彼の所業はインサイドだけに留まらず、仕入れた薬物を比較的安全なミッドサイドの住人にまで売り歩き、部下には違法改造された危険なアクセルギアで武装させる。


 怒鳴られるのを覚悟で何度もポーリーには意見したし、薬物の売買も、部下に危険な武器を持たせるのも止めさせたかった。結局は、何も変わりはしなかったのだが。


 何度もポーリ―の元を離れようと思った。組織の在り方を変えようと模索するボスへ報告することも考えた。だがそれはポーリ―を裏切るような気がして、そうすることができなかった。拾って育ててもらった恩があるし、かつての良い兄貴分だった頃のことが何度も頭を過ってしまったからだ。


 だから今ナタリアにできることは、ポーリ―の傍に居て、これ以上悪いことにならないよう見守り続ける。それだけだった。


「さぁ、今回の商談はこれくらいにするか。おいナタリー、何かあるか? 今日は折角これだけの面々が揃っているんだ。自分の顔を売るには良いチャンスだぞ」

「……いえ、特にはありません。皆様、お忙しいところお疲れさまでした」

「チェッ……悪いな、皆の衆。こいつは剣の腕は立つんだが、欲も愛嬌も無くていけねぇんだ。いつか俺がファミリーのボスになったら俺の右腕にするつもりだから、そのときはよろしく頼むな」

「……兄貴、そろそろ……」

「急かすんじゃねぇよ。なぁおい、本当に何かねぇのか? お前も俺の下について随分長いんだ。腕っぷしだけじゃなくて、今後は商売のセンスも磨かにゃどうにもならんぜ」

「……俺には、そういうのは――」


 言いかけたところで、ナタリアは咄嗟に剣のグリップに手をやり、視線を入口の方に向けた。


 なにかが、とてつもなく危険で嫌な感じのするナニカが、あの扉の向こうの階段をゆっくりと、こっちへ向かって降りてきているかのような気がする。


 ナタリアは今まで幾度も修羅場を潜り抜け、危険な相手と相対する度、何かを感じ取ることで今日まで生き延びてきた。しかし、こんな感覚は知らない。こんなもの、今まで一度だって感じたことは無かった。


「おいおいナタリア、何殺気だってやがんだ……。これじゃあ示しがよぅ――」

「兄貴、何か来ます」


 その一言でポーリ―の緩んでいた表情に一本の芯が入り、懐から銃を抜いた。他の面々も今の二人のやりとりで異変を察し、各々の武器を構え、階段に繋がる扉の方へと注意を向ける。


 部屋が静寂に包まれると、扉の向こう側から、ギシリ、ギシリと、古い階段を一段、また一段下る音が聞き取れた。そうして扉の前まで音の主が辿り着いてから少しした頃、トントンと控えめな音でノックされる。


「誰だ! 扉を開けずに答えろ!」

「……て、店主のジョルジョです。ガラッティファミリーの……ク、クレメンザさんからの……伝言を、あず、預かっております……」

「何、ピートから……? なんだって伝言なんて……そんなの電話で言えば良いのによ……」

「そう言えば、前にピートの兄貴がここには電話が繋がりにくいって言っていましたよ」


 そう、舎弟のテシオが言う。


「あぁ、まぁ、ここは地下だしな。おい誰か、開けてやんな。待ちぼうけじゃ可哀そうだ。ったく……頼むぜナタリー、脅かすんじゃねぇよ」


 何かが気になった。確かにここは地下だが、電波が通らない程に深い訳ではない。だがしかし、先ほどまであった嫌な感じが消えている。勘違いだったのだろうか。


 そう思いながらも、部下の一人が扉を開けるまで緊張を切らさずに感覚を研ぎ澄ませていたが、扉の先に立っていたのは上のバーを管理している店主の姿だけだった。


「で、ピートが何だって?」

「…………で……、さい……」

「……あっ? 聞こえねぇよ。もっと大きい声で話しな」

「……お、俺は、俺は悪くない、悪くない悪くない……。俺は何もしてない……。人なんて殺してないし、あ、悪事だって働ていない……。俺はただ場所を貸しただけだ……。だからこ、殺さないで、下さい……」


 この場の誰もが呆気に取られている中、店主だけは戦々恐々とした表情をしていて、次の瞬間には膝から崩れ落ち、震えながら頭を抱えてしまった。


「……おい、酔ってんのか? ふざけてんなら――」

「――ッ⁉ 兄貴‼」


 疑問に思うべきだった。店主がこの場に現れた際、どうしてあんなにも怯えた表情をしていたのかということを。店主の後ろにある階段が、どうしてあんなにも暗いのかということを。


 そう、店主の後方には完全なる暗闇が広がっていた。その暗闇より幾つもの巨大な何かが飛び出すと、それは部屋中に居る者たちに向かって飛来する。


 ナタリアは咄嗟に動き、ポーリ―の方へ向かって飛来するその何かに向かって腰の剣を抜いて迎撃を試みる。だがレイジスを通わせた剣に僅かな振動が走ったように感じた後、次の瞬間にはナタリアの視界は滅茶苦茶に揺れ、気が付けば壁に激突していた。


 視覚も聴覚もグラグラと揺れていて未だ視線が定まらず、自分が上と下のどっちを向いているのかも把握できない。そんな正常とは程遠い中、遠巻きに聞こえるのは絶叫に悲鳴と、硬質な金属か何かが高速で回転する金切り音。そして噴き出す血しぶきの濁音。


 ナタリアは視界が揺れるまま扉の方へと視線を向ける。するとそこから、人の半身程もある黒色の大きな丸鋸のようなものが高速回転しながら飛び込んで来ては、部屋の中のマフィアたちを無慈悲に、残虐に強襲していた。


 激痛と共に体の感覚が戻り始め、ナタリアはとりあえず自分の体が五体満足であることを把握する。が、抜き放った剣の刀身は中頃から先が失われていて、肩口からは痛みを伴いながら盛大に出血しているようだった。


「あに……あに、き……」


 ここは危険だ。すぐにポーリ―の兄貴を抱えてでも脱出しなければ。どこだ、どこにいるんだ。返事をしてくれ。すぐに俺が助けるから――。


 ふらつくままに立ち上がり、未だ悲鳴と金切り音の鳴り止まない部屋を見渡す。すると、ポーリ―はすぐに見つかった。しかしその体は胴体を中心に無残に切断されていて、その表情は恐怖に歪み、彼が最後に何を思ったのかを物語っているようだった。


「あっ……あっ……あぁぁぁぁぁ⁉」


 駄目だ。死んでいる。ならばどうするにしたって、目の前の死体に構っている暇なんて無い。だが目の前に横たわっているのはポーリ―の兄貴なんだ。死んでいたって見捨てていくことなんて……。


 悲壮。虚無。慟哭どうこく。そんな負の感情が頭を支配し、駄目になってしまいそうな自分を奮い立たせる為、それらを怒りに変換するように努める。沸き立つ怒りは高密度なレイジスを練り、ナタリアは即座に戦闘態勢を整えた。


 手の中にあるのは刀身が半分程も残っていない心もとない剣。それでもこれだけ高密度なレイジスを練り上げられたなら、あとは怒りに任せて普段通りに、いや、それ以上の力さえ発揮できるだろう。


 ナタリアは階段の先の暗闇を見据える。今ならば、例え先ほどの倍の速度で攻撃されたって迎撃できるだけの自信があった。


 ‟ガラッティファミリー”のナタリア・モンソルド。ジャンブルポールのマフィア内でも屈指の実力者として知れ渡る彼女は、かつて起こった抗争の折、マシンガンを持つ十数名の敵に囲まれて乱射されるも、剣一本で防ぎ切ったという逸話が残されている猛者だ。


 さぁ来い。次はこっちの番だ。細切れに、徹底的に斬り刻んでやる。


 コンマ一秒の動きさえも見逃さないように目を見張っていると、それ・・は思いがけずゆっくりと、扉の奥の暗闇から現れた。


 ヌッと伸びる異様に長い手は入口の淵を掴み、体をこちら側の部屋に引き寄せるかのように入り込む。二メートル近い体躯は黒いボロキレに包まれ、顔と思わしき場所には黒い無地ののっぺり・・・・とした仮面を着けていた。


 圧倒的な異質。圧倒的な威圧感。入室してきた者の正体があまりにも異様すぎて、完璧な臨戦態勢を取っていたナタリアは一瞬、呆気に取られてしまった。


 しかし即座に闘争本能を思い出し、突如現れた異形に向かって半身の剣を振るう。が、渾身の一振りは、異形の長い二本の指に挟みこまれるようにして受け止められてしまった。


「なっ⁉ は、離――」

「アッ……、悪モノ、イッパイ……タク山、美味、シソウ……」


 それはギチギチという粘着質な金属音と共に、異形はそう発声した。


 このとき、怒りによって高い位置で正常に保たれていたナタリアの感情が恐怖に変わるのに、然程時間は要さなかった。異形の発した言葉の内容の意味こそ良く分からなかったが、何より恐ろしいと感じたのは、今まで仮面だと思い込んでいた物の口の部分が開かれて言葉が発せられたということ。


 しかし恐怖で全身が支配されるよりも先に、ナタリアの体は勢い良く壁に向かって投げつけられ、衝撃と激痛で再び意識が飛びそうになる。


 体は全く動かない。反撃などできやしない。なら、もう良い。早々に終わらせてくれ。


 絶対に勝てないと悟ったからか、或いはポーリを失った喪失感故か、ナタリアの精神は早々に現状の放棄を決めた。肉体のダメージの影響によって、恐怖に支配されていた頭に麻酔が掛かった影響もあるだろう。


 だが肉体が与えたひと時の猶予は、目の前の圧倒的な悪夢の前では何の意味も持たなかった――。


 床に倒れているマフィアの大半は、致命傷を負いながらも生きていた。異形はそんなマフィアたちの元へ品定めでもするかのように歩いて行くと、ある所で立ち止まる。すると、突如仮面の口がガバッと大きく開き、異形は息も絶え絶えな男の腹部に噛みついた。


「ア……? ――ヅァッ⁉ ああぁぁあぁああぁぁぁぁ⁉」


 腹部を食い破られたマフィアの男は絶叫するも、激痛によって意識を失うことができず、時間を掛けて恐怖に震えながらゆっくりと死に絶えねばならなかったのだ。


「アァ……、オイシイ……オイシイ……オイシイ……オイシイ……」


 異形の発した言葉に、誰もが恐怖のどん底に落とし込まれた。次は自分かもしれない。こんな風には死にたくないという一心で、余力のある者は真っ先に出口へ通じる階段の方へと全力で駆けて行く。


 もうすぐだ、階段を駆け上がって助けを呼びに行ける――。


 誰もがそう信じて疑わなかった。だが次の瞬間、階段への入り口は突如張り巡らされた黒い格子状こうしじょうの物体によって閉ざされてしまった。


「な、なんだぁ……こりゃあ……」

「あ、開けろ‼ ふざけんな‼ ここから出してくれー‼」

「助けて、助けてッ‼ 助けてくれぇ‼ うわぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」


 扉に張り巡らされた格子状の物体を、出口へ群がった者達は力いっぱいに叩く。しかし鋭利な刃で構成されているそれは、力いっぱい叩く者の拳を痛々しく切り付けるだけで、誰一人として外へ逃がそうとはしなかった。


「ア、ヲ腹……マダ、空イテル……マダ、食ベタイ、食ベタイ、食ベタイ……足リ、ナイ……」


 最早この場にいる誰一人にさえ、抵抗する意思は残されていなかった。


 一人、また一人と異形にゆっくりと咀嚼され、一人ずつ命を失って行く。


 この時異様だったのは、マフィアという職業上、誰もが拳銃を所持しているというのに、銃口は一度たりとも異形には向けられることがなかったということだ。その銃口は自らのこめかみに押し付けられ、全員が一瞬の躊躇ためらいも無く引き金を引く。


 誰一人として、食われて死ぬことには耐えられなかったのだろう。


 そうして暫くした頃、異形の矛先がナタリアの方へと向き、ゆっくり、ゆっくりと近寄って来る。そうして開かれる口。願わくば、できるだけ早く意識が落ちますように。そう、祈ることしかできなかった。しかし――。


「……ヲ、前ハ、多イ、スギル……食ベ物ト、違ウ。ダカラ、食ベナイ。イラナイ」


 そう言うと異形は踵を返し、入口を塞いでいた格子状の物体は怪物の体へと吸い込まれて行く。


 帰り際、異形は入口近くにうずくまっていた店主を抱え、この場を立ち去った。こうしてようやく、ナタリアは意識を手放すことを許されたのだった。

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