第16話 初日 16:00-5
「なんだ?」
「ん、どうかした?」
視線に気付いた春夏が自分の髪に触れていた。
お前を見てるわけじゃない。その奥を眺めながら、
「いや、今一瞬何か光ったような──」
勘違い、いや勘違いじゃない。
はっと颯斗は息を飲む。その鈍い光には心当たりがあり、予想が正しければ――
「くそっ!」
毛を逆立てて歯をむきだしにした颯斗は、圧縮された蒸気のように空気を吐き出して跳ぶ。元いた通路に戻るため、片手は春夏の腹を抱えていた。
「きゃう!?」
乱雑に押し倒す。受け身を考えていない跳躍は肩から地面にぶつかり、その上に春夏が落ちてくる。
その上を鉛の粒が通過し、遅れてくぐもった破裂音が響いていた。
……あぶねえ。
急ぎ、その場に残った足を引っ込める。
こちらに近づいてくる足音がないことを確認してから、ゆっくりと息を吐く。
「えっ、わっ何?」
「静かに! 撃たれてんだよ」
二射目は今のところない。相手がまだそこにいるかすらわかっていない状況でとるべき行動がわからない。
……ちくしょう。
壁を背に立ち上がる。すぐに動けるように備えて。
颯斗がいる先の丁字路を右に、その先の左の曲がり角に相手はいる。一人か、二人か。それとももっとか。銃を持って問答無用で先制してきたことを考えると数の優位はないと考えるほうが自然だった。
そして応戦しようにも手持ちにあるのは片刃のカミソリのようなナイフだけ。どうとち狂っても重火器相手に向かっていく装備ではない。
緊張で喉が詰まる。軽く咳ばらいをしながら次の一手を考えていた。
「撃ってきたの?」
「そうだよ」
見上げてくる春夏に視線を合わさず手だけを差し出す。がっしりと握られた腕を力いっぱい引き上げて彼女を立たせていた。
もう少しで顔が出る、そのギリギリで颯斗は顔をのぞかせていた。
もう一歩出れば向こうの通路が見える。それは死地に身体を晒すのと同じことでどうしてもできない。
あーもう、どうすりゃいいんだよ!
下唇を強く噛む。その間も主導権は向こうにあった。
「こ、これからどうする?」
「どうするって、説得しかねえだろ」
小声で言うが、それも難しいと颯斗はわかっていた。
相手は殺る気十分、そのための武器もある。もはや対戦ではなく狩りのようだ。そんな相手から話し合いを持ちかけられても説得どころか命乞いにしか聞こえないだろう。
それでもやるしかなかった。今逃げたら今後ずっと狙われるのが目に見えていたからだ。
「おい、聞こえてるだろ!」
颯斗は大口を開け、通路に向かって声を張り上げる。
闇が音を吸い込んで反応はない。それでも話を止めるという選択肢はなかった。
「ゲームをクリアしても賞金は無くなったぞ! 詳しい説明をするから銃を下ろしてくれ」
やはり返事はない。額に浮かんだ汗がゆっくりと頬を伝っていた。
「どうする?」
「相手の返事待ち、は嫌だな」
無反応の理由が伺い知れないことがじれったい。喉が渇いて声もかすれそうになる。
もしかしたら回り道をして別の場所から現れるかもしれない。既にそこにはいないのかもしれないし、持っている武器だって拳銃だけとは限らない。
思考が悪循環する度に、目の奥が熱くなる。いてもたってもいられない衝動を抑えつけるのにも限界があった。
一分、十分、一時間。いやそんなに時間は経っていないとわかっていても経過が遅く感じる。致命的なミスを犯しているかのような重圧を感じていると、
「話を聞こう」
通路の先で男性の声が響いていた。
あぁ……
颯斗は脱力しそうになるのを必死で堪えて、
「うちのメンバーの一人がこのゲームの運営と話をつけた。誰一人死なずに生還出来たら十億なんて目じゃねえ金額が貰えるようにな。その代わり、それを達成しなきゃ賞金は一銭もなしだ」
だいぶコンパクトに纏めたが概ね内容は合っている、はず。そう信じて颯斗は矢継ぎ早に声を出す。
しかし、向こうから出たのは、
「信じられないな」
「本当のことしか言ってないぞ」
「その発案者はどうした?」
聞かれ、颯斗は言葉に詰まる。
なんで今それを聞くんだよ……
焦り、目を閉じる。が、嘘を言っても意味が無いと、腹に力を込めて、
「運営側に連れてかれた」
「話にならないわ」
今度聞こえたのは女性の声だった。
少なくとも二人、そこにいる。予想が正しかったことを喜ぶべきか、二人もいることを嘆くべきか。
彼我の距離は五メートルほど。意識して小声にならなければただの会話だと耳が拾う程度の距離だったため、
「でも本当なら殺すメリットが無くなるぞ」
「そうだけど、本当のことを言っている確証もないわ」
「それに賭けるには時間が残りすぎている」
揉めている。それが分かっていても颯斗は声を出すことが出来ずにいた。
幸運なことに一人は協力的で、もう一人は否定的だ。ただそれが示しているのはどちらにも転びやすいという事実だけ。決め手を颯斗が提示しなければいずれは、それがわかっていても決定打が打てない。
こんな時にあいつがいれば……
今はいない、飄々と運営を手玉にとった蓮の姿が脳裏に浮かぶ。彼ならどうするか、きっと想像もつかない方法でこの場を治めるだろう。大して年齢の変わらない自分にそれが出来ないことに、颯斗は奥歯を強く噛んでいた。
しばらくすると話し合いも終わり無言の間が訪れていた。平行線の結果、熟考を重ねて出された答えは、
「……それもそうか。こっちもね、慈善事業でやってんじゃないのよ。明日の十二時までに全員生存の目処を立ててみなさい。そうしたら協力してあげるわ」
「明後日の朝じゃダメか?」
「論外。時間が無いわ」
だよな、と颯斗は思う。
そんな甘くはいかない。
結局終始相手の優勢で話がまとまってしまったことに、悔しさと安堵が胸の中に渦巻いていた。
「明日のお昼にここで会いましょう。それまでは襲われない限り殺すのは控えてあげる。それと来るのはその二人よ、それ以上でも未満でも敵対とみなすから」
「少ない分にはいいだろ」
「馬鹿言わないで。一人これないってことは死んでる可能性があるってことでしょ。そっちの計画が破綻してるじゃない」
そう言われ、颯斗はぐうの音でない。
「じゃあまた明日。それまで会わない事を願ってるわ」
その声を最後に足音が遠ざかっていく。
五分程、声を発さずに見守る。十二分に時間が経ってようやく、
「はぁー」
ずっと溜まっていた肺の中の空気を、鬱屈と共に吐き出した。
……ヤバかった。
五段階評価するなら一未満。まだ生きていることすらただの幸運でしかない。
そんな未熟さを痛感していると、
「あ、ありがとう」
「……別に。やらなきゃ死んでただけだし」
申し訳なさそうに肩をすぼめる春夏の目を見ずに答える。むしろ生きていてくれて感謝したいくらいに颯斗は思っていた。
隣に人がいる、それだけで心強い。あの場で一人しかいなかったらと考えると何も出来なかっただろうなとしか言えない。
春夏はまた小さくごめん、と呟いて、
「情けないところ見せちゃったわね。それでこれからどうしましょうか、一旦戻って情報共有する?」
「いや、それこそ駄目だろ。向こうの勝手とはいえ期限がだいぶ縮まったんだ。学者のタスクのためにもさっさと情報収集しないと」
「……そっか、それもそうね」
力無く笑みを浮かべる春夏に、颯斗はその手を取る。
ぴくっと肩が跳ねていた。それを見て、
「アウトでも一点取れればフライに意味はあるんだ。生きてるだけ十分マシだろ」
「なにそれ、野球の話?」
「そうだよ。野球部だからな」
颯斗は片手を離して、ボールを投げる仕草をする。
あまりピンと来ていないのか、首を小さく傾げながら春夏は笑っていた。
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