第13話 初日 16:00-2

 五階へあがり転がり込んだ部屋で二人は息を整えていた。

 扉にはそばにあった机を障害物としているが少し押されただけで簡単に動いてしまうものだった。

 一時しのぎ、それがわかっていて桜はすぐに動けるようにしておかなければならなかった。


「はぁ、はぁ……」


「申し訳ない」


「だ、誰だって失敗はありますから」


 そう言うが憤りがない訳では無い。

 かと言って他になにかできたかと言えばそうでは無いため、胸の奥に溜まったものは飲み込む他なかった。


「しばらくして落ち着いてくれるといいんだが」


 源三郎は軽くため息を着いて目を伏せていた。

 ……大丈夫かな。

 あの様子では相当長い時間置く必要があるだろう。その間に他の参加者やマーダーに襲われないとも限らない。

 こんなことなら強引に無力化した方が良かったんじゃないかなあ。

 会話が出来ない相手がいるとは考えていなかったために起こった落ち度だ。他の仲間に説明する時のことを考えると気持ちが落ち込んでしまう。

 ……そういえば。

 具体的な参加者の人数を把握していなかったことを思い出し、それ以上に、


「……すみません、ちょっと御手洗に」


 緊張が和らいできたことによる尿意が突然襲ってきて、桜は顔を背けながら話す。

 生理現象と言えど恥ずかしい。それが男性ならなおのこと。


「わかった」


 源三郎は短く頷くと、しばらく聞き耳を立ててから心許ないバリケードを退かしていた。

 あっ……

 廊下に出てすぐに気づいた。


「あの……御手洗の場所ってわかります?」


 しばらくの沈黙の後、首を横に振る源三郎の姿があった。

 絶望。と同時に脳内に引っかかるものがあって、


「御手洗って階が変わってもだいたい同じ場所にありますよね」


「あぁ。排水の関係でそうなっているところも多いが……」


 その言葉を聞き終える前に桜は走り出していた。

 場所は覚えている。階段から伸びている廊下の突き当たり、一階でマーダーを見つけたその奥の扉だった。

 耐えて、私。

 漏らすわけにはいかないと下腹部に力を入れつつ、刺激しないように小走りで駆ける。暗くても一本道だ、迷ったりなどはしない。


「気をつけろ」


 後ろから飛んでくる音も聞こえないほど桜は集中していた。

 そして、


「えいっ」


 最後の気力を振り絞ってペットボトルを投げつける。

 それは闇の中で何かにぶつかった音を生み出した。

 大体五メートルほど。十歩もない距離から生まれた音に桜はブレーキをかけて寄りかかる。

 扉。取っ手が体に触れる。

 違ったらもうどうしようもない。その時はあきらめると心に決めて桜は勢いよく扉を開いた。

 ……見えない。

 急いでスマホをかざす。闇夜に馴れた目はどうにか部屋の全貌をとらえることが出来ていた。

 当たりだった。奇跡的に。

 ただ安堵している時間はない。個室めがけて進むと同時にスカートのホックを慣れた手つきで外す。

 鍵を閉めている余裕はなかった。便座の蓋が閉まっていることを確認するとともに舌打ちをして、上げたらすぐに腰を下ろす。

 便座は氷のように冷たく、桜はおもわず声を漏らす。

 それと同時に長く、長く息を吸い込んで、また長く息を吐いた。


「はあぁ……」


 ……ちょっと危なかった。

 心地よい解放感を感じて、


「あのぅ……」


 見上げた天井から声が下りてきていた。


「……えっ?」


「あっ」


 それは女性の声だった。女子トイレなのだから当然で、上から声がすることはとても異常な事態だった。

 叫ばなきゃ。身の危険から目がちかちかするようだった。

 桜は短く息を吸う。そして、


「……ち、ちょっと待ってもらえます?」


「あ、はい」


 隣の個室で床を叩く足音が聞こえていた。

 ……どうしよう。

 叫ぶつもりだった。それが出来なかったのは頼れる相手の性別のせいだった。

 そんなこと言っている場合じゃないかもしれないが、いまだ止まらない排泄の音を聞かれたくなかった。

 桜は頭を抱えていた。自分でどうにかしなければいけない状況を作ってしまった以上、やることは一つしかない。

 よし、と後始末を終えてから、


「参加者の方ですか?」


「ひぅっ!?」


 なぜか悲鳴が聞こえたことを桜は無視した。


「参加者でいいんですよね」


「すみませんすみません助けてください!」


「えっ、はい?」


 隣の個室から薄い板越しに懇願の声が響く。


「ごめんなさいごめんなさいなんでもしますなんでもしますから命と賞金だけは保証してくださいお願いしますお願いします!」


「お、落ち着いてください」


 声が届いていないのか焦燥の声は止まない。

 いやな記憶が桜の脳裏をよぎっていた。先ほどと同じ轍を踏むんじゃないか、そう考えるとどうにかしなければいけない。

 その時、外で待っていたはずの人物が声を聞きつけて、


「どうしたっ!」


 扉を開けて現れた。

 あっ……

 桜はそこで頭の中が真っ白になっていた。

 ひきつけを起こしたように短く、勢いよく息を吸い込む。そして、のどを最大限震えさせて、


「イヤーっ!」


 つんざく悲鳴が個室の中を響き渡る。声で侵入者を押し出そうとするように。


「大丈夫か!?」


「出てって!」


 桜が身体を丸めて叫ぶ。

 そこでようやく悲鳴の理由がわかった源三郎は、


「す、すまん……」


 消え入りそうな声を残して扉を閉めていた。

 

「お、男の人……」


 悲哀に満ちた声が隣から聞こえてくる。

 ……それどころじゃないんだけど!

 桜は何度か深呼吸をして、


「とりあえず、出ましょうか」


「えっ?」


「いいから! 個室から出るだけです」


 有無を言わさぬ物言いだけ残して桜は個室を出る。

 少しの時間を置いてから、隣の個室からも動きがあって、見えていないが目の前に人の気配を感じていた。

 桜が手を伸ばすと柔らかな布地に触れる。少し毛がたっているような厚手の生地は、


「……パジャマ?」


「あ、はい」


 心当たりが当たっていたことに喜ぶべきか、なぜその服装なのか問うべきか。

 桜は苦笑して、彼女の手を取る。


「お話、出来ますか?」


「だ、大丈夫……かな?」


 見えていないが不安げな表情が伝わってくる。

 それでも桜は話を優先した。


「あなたは参加者でいいんですよね」


「はい……」


「私とさっきの彼も参加者です。でも殺し合いをする気はないんです。全員生存を目標にゲームクリアを目指しているから」


「全員生存?」


 上擦った声が聞こえる。

 そういう反応になるのは想定通り。何せ自分も体験したことだから。

 桜は握る手の力を強めて、


「はい、すごい人がいて運営側と話をつけちゃったんですよ。それに全員生存したら十億どころじゃない金額が手に入るらしいんです」


「十億どころじゃないって……に、二十億とか?」


 桜は握った手を横に振る。

 

「じゃあ、百億?」


「千億円ですって」


「せ、千億……」


 あまりの桁違いな金額に女性が息を飲む音がしっかりと伝わっていた。

 気持ちは分かる。数字の上でしか見た事ない金額だ、量にしたらどのくらいになるかすら想像がつかない。

 ただ、桜は気づいてなお言わなかったことがある。目の前の彼女が賞金の総額の話をしているのに対して、桜は個人が貰える金額の事を言っていた。

 それは一番大切で、今なおはっきりとわかっていないこと。参加者の正確な人数を把握していないからだ。

 蓮は十人とみて、一人一億という金額を提示していた。果たしてそれが本当に正しいのか、二十人、もしくは百人、いやそんなことは無いはずだ。百の参加者から生き残りを予想するなんてできるはずがない。

 十前後、それはほぼ確信に近い。ただ近いだけで正確では無い。だから山分け後の金額をはっきりと提示することが出来なかった。

 女性は少しの間放心したように手の力を抜いていたが、


「騙されてない?」


「想像つかないお金ですよね……」


「あの札束が百個で一億でしょ。それが千個、いや札束も見たことないけど」


「千億は言い過ぎかもしれないですね」


 自然な流れで桜は保険をかける。ないとは思うが後で話が違うと言われたくなかったからだ。

 

「でも十億を奪い合うよりも皆で大金持ちになった方が幸せだと思いませんか?」


「うん、そうだね」


「じゃあ一緒に来てくれますか?」


「こちらこそお願いしたいよ。もう心細くて寒いしお腹減ったし最悪だもん」


 その語尾には湿り気が含まれていた。

 ……そうだよね。

 彼女はここまで一人だった。そう思うと自分はどこまで恵まれていたのだろうと思わざるを得ない。


「あっ」


「どうかしました?」


「いや、顔見てなかったなって。ちょっと待ってね」


 そういうと女性は何かを探すために手を離した。

 どういう意味と、問う前に、


「ほら」


「きゃっ!?」


 突然目の前が真っ白になって桜は軽く悲鳴を上げる。

 なんだ、何をされた?

 一瞬裏切られたと過ぎるものがあったが、すぐに白は消え、


「あ、ごめんね。顔に直接はまずいよね」


「……懐中電灯ですか?」


「そうだよ。たまたま見つけたんだ」


 ならもっと早く言ってよと言いたい気持ちを抑えて桜は彼女を抱きしめた。


「ふぇっ!?」


「ありがとうございます。すごい助かります」


「あ、うん。よかった」


 女性はカチカチに固まったまま、そう答えていた。

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