第17話 卒業パーティー

 夏至の日の前日。

 午後四時になってもまだまだ日が登っていて明るい中、わたしは濃紺のドレスとエメラルドの嵌った装飾品を身に付ける。

 真っ赤な髪を綺麗に結い上げてもらって、化粧も済ませて、準備は出来た。

 わたしはジェダを従えて、ドルフィネ辺境伯領別邸の玄関ホールへと向かう。

 そこでわたしを待っていたのは、白いタキシードに身を包んだヴィッセルだった。


「準備はどう? ヴィッセル」

「問題ありません。リーデロッタ様、お手を」


 わたしはヴィッセルが差し伸べる手を取って、エスコートを任せる。

 ヴィッセルはこの別邸からアカデミーまで、そしてアカデミーでわたしを待ちかねているカムイ殿下の元までわたしをエスコートする役目を任せている。

 せっかくドルフィネ辺境伯領から山を越えて、三日も馬車に揺られて、首都へやってきたのに、このままでは首都でヴィッセルが行ったことは、何週間も水牛チーズの東南風サラダを食べるだけ食べただけになってしまう。

 それではあまりにもヴィッセルが可哀想だ。それに元々、来年度から入学するアカデミーの下見を行うという目的もあってアイリス叔母様はヴィッセルを首都へ送ったのだから、そのくらいはさせてあげたい。

 そんなわたしの願いを祖母が聞き入れてくれた。


 と、いうことになっている。


 アカデミーを思う存分見学させてあげるためにも、わたしとヴィッセルはパーティーの開始時間よりも数時間前に出発する。ということに関しても、お婆様から許可を得ているし、何なら『お婆様とシェダル夫人はパーティーの開始に合わせてゆっくりと支度を整えてください』と、目上の人を気遣っているような物言いに、わたしの態度に手を焼いていたシェダル夫人は大喜びで飛びついてくれた。

 おかげさまでお婆様とシェダル夫人とはこの別邸の玄関ホールで一時、別れることとなる。


 エスコートし慣れていないヴィッセルの腕を掴んで、ドルフィネ辺境伯領が用意した馬車に乗り込み、わざわざ見送ってくださったお婆様とシェダル夫人に笑顔で手を振る。

 二人が米粒程の大きさになったところで、わたしとヴィッセルはようやく肩の力を抜いて、一息吐いた。


「何とか、第一関門は突破かな」

「そうだといいのですが。あの、僕のエスコートは不自然ではありませんでしたか?」

「どっちが聞きたい? 正直な感想と、褒め言葉」

「では、正直な方を」

「ちょっとぎこちないけど、大丈夫。シリウスのお父様と歩くよりも安心感があったわ」


 ヴィッセルは一瞬キョトンとしたけれど、すぐに子どもの頃のように笑ってくれた。


「シリウス子爵様はエスコートも苦手なのですか? ダンスだけだと伺っていましたが」

「お父様はすぐに緊張しちゃうから、たとえ娘であってもエスコートするのに緊張しちゃうんだって」

「それでも、家族だから許せる、ですか?」

「……そうね。そういうところもあるかもしれない」


 熱が出て寝込んだあの日。

 わたしは祖父が、わたしにドルフィネ辺境伯の継承権を残してくれた本当の理由だろうと思えた理由に後押しされて、まずヴィッセルに“家族”として助けて欲しいというお願いの手紙を書いて、それをジェダに託し、別邸内でヴィッセルと手紙のやり取りができるように、とお願いした。

 そしてヴィッセルには、卒業パーティーの当日、別邸からカムイ殿下の前に出るまでの間のわたしのエスコートと、アカデミーに残して来た写本の取りに行きたいけれど、祖母にバレたら𠮟られてしまうから、ヴィッセルがアカデミーを見学したいと理由を付けて、わたしに付いて来て欲しいと頼んだ。

 ヴィッセルは『“家族”としての初めてのお願いだ』と喜んで引き受けてくれたから、今こうしてアカデミーへ向かう馬車へ一緒に乗り込んでいる。


「ところでロッタお姉様。本当は何をなさるおつもりなのですか」

「……どうしてそう思うの?」

「写本を取りに行きたいだけならば、パーティーが終わってからでもできるかと思いまして」

(うーん、鋭い)


 ヴィッセルの言う通り、わたしには他にも目的があって、その目的のためにジェダに色々と手配するようにもお願いしたわけだが。


「それはまだ言えない。ごめんね」

「家族であっても、ですか?」

「家族だからこそ、かな。もしここで、この後何をするのかを明かして、ヴィッセルに止められたら、ちょっとだけ決意が揺らいじゃうかもしれないから」


 ここで、何があってもやり遂げて見せる。と、言い切れたらかっこよかったのかもしれないけれど、残念ながら、わたしはそんなに強くないのだ。

 そんな不安になっているわたしの手を優しく包んで、ヴィッセルは紫水晶の優しい瞳をわたしと合わせてくれる。


「大丈夫です。ロッタお姉様は、やると決めたらやり遂げて見せる力を持っている。幼い頃から隣で見てきた僕が言うのですから、間違いありません」


 ヴィッセルの優しい笑顔に、わたしの緊張が少しだけ解れた。


「ありがとう、ヴィッセル」


 〇


 何事もなく、無事にアカデミーへ辿り着いたわたしたちの馬車は、混乱を避けるために、正面の門からではなく、寄宿棟に近い裏門から入る。

 わたしはさらに人目を避けることが出来る狩猟用の森を通り抜けて、アカデミーにある自室へと急いで入った。

 途中、女子寮へ入る事にヴィッセルが戸惑っていたが、何せ今日は卒業パーティー。他の女子生徒も寮の自室で自分をエスコートしてくれる男子生徒を待っているし、男子生徒も自分がエスコートする女子生徒の準備が終わるのを、今か今かと女子寮の廊下で待っているのを見せて、引っ張ってでも連れて来た。

 自室の扉をしっかりとジェダが閉めたことをわたしもヴィッセルも確認したところで、ようやく第二関門も突破だ。


「さて、ヴィッセルくん。貴方には酷だと思うけれど、わたしの支度が終わるまでそっちの洗面室で待っていてくれないかしら? はいこれ、おすすめの写本。『食べられる野草一覧』、もし読み切っちゃったらこっち『星々の伝説たち』もどうぞ」

「あの、ロッタお姉様。支度とは? もう別邸の方で済まされてきたかと思うのですが……」


 ただでさえ、垂れ眉な彼の眉が困って下がり切っているのを尻目に、わたしはヴィッセルを二冊の写本と一緒に、洗面室へと押し込む。


「女がする支度は一度で終わらないの。もしなくちゃ」


 〇


 時刻は夜の七時。

 けれど今日は夏至の前日。まだまだ空には赤い夕焼けが残っている。

 まだ羊飼いであった青年は、暗い夜に包まれてゆくこの空を、どのような面持ちで眺めていたのだろうか。

 残念ながら、その真相はどんな本を探しても見つからない。

 彼の記録は宇宙の星々に選ばれて、冠を戴いた夏至の夜から始まるのだから。


 そんな伝説の前日であった日にアカデミーが卒業パーティーを行うのは、これからこの学び舎を旅立つ者たちのが、それぞれの星に導かれ、迷わず進んで欲しいという願いがあるらしいと、この学園についての資料を読んだ時に知ったのは、今から二年前の秋、十四歳になってここへ入学したばかりの時だった。


(あんときも、人の多さに目を回したちゃ)


 入学式の時、人目を引かないために、わざと選んだ地味な色のドレスは、逆に自身の真っ赤な髪に、真っ赤な瞳を強調させてしまって、歩くたびに誰もがこちらを見て、ひそひそと話しながら道を開けて行くのに驚いたものだった。


「……ロッタお姉様、そろそろ」


 声を掛けるヴィッセルの目線の先には、祖母とシェダル夫人が居た。これ以上到着が遅れて、探しに来られても面倒だ。


「……えぇ、そうね。行きましょう」


 わたしはヴィッセルのエスコートの元、人でひしめき合うダンスホールへと足を進める。

 一歩、また一歩と歩みを進める度に人々が向けてくる視線は、入学式の時のものとはまるで違った。

 

 驚愕。

 唖然。

 不快感。

 恐れ。


 をしたわたしが身に纏ったのは、流行の型とはまるで異なる、身体のラインに合わせて布を裁って縫い合わせたような真っ赤なマーメイドドレスに、その身を飾る金細工にはめ込まれた宝石は柘榴石、ルビー、スピネルの赤で統一されている。


 これが、わたしがジェダに頼んだもう一つのお願い。 

 “深紅の令嬢”、リーデロッタ・シリウスとしての装いだ。


 元は祖母の物だった古いドレスにハサミを入れ改良し、宝石は加工に失敗した小さい物を譲ってもらって、あの細工師に、元々気に入っていた方のデザインで作ってもらうように頼んだ。

 なんと、こちらの一揃いお値段は祖母からもらったおこずかいの範囲内。

 元のドレスと装飾品たちに比べると質は劣るものの、こちらの方がわたしらしいと胸を張って思える。


 ダンスホールの奥、少し小上がりになっている壇上に、わたしを待つ彼はいる。

 彼はわたしの真っ赤な装いに最初は度肝を抜かれていたが、それ以上に面白さが勝ったのか、濃紺の瞳は図書館で出会う時のような笑みを浮かべていた。

 ヴィッセルは大勢の人の視線を自分から集めに行ったわたしを難なくエスコートして、壇上にいるカムイ殿下の元へと送り届けた。


「――冠を戴く王家の皆々様にご挨拶を申し上げます。ドルフィネ辺境伯領主が嫡男、ヴィッセル・ドルフィネと申します。本日は私の従姉妹であるリーデロッタ・シリウス様を、冠の星々の一つ、カムイ殿下の元へエスコートする役目を仰せつかりました。無事、送り届けましたので、私はこれにて失礼させていただきます」


 ヴィッセルは深く王家の方々へ一礼すると、カムイ殿下を一瞥してから、大勢の人の中へと戻って行った。


「……あの小僧、私を睨み付けていなかったか?」


 そうわたしに耳打ちしたのは、わたしのすぐ隣に移動してきたカムイ殿下だ。

 わたしは彼の問いかけに答える前に、まずはヴィッセル同様に王家の皆様へ挨拶をさせてもらう。


「――冠を戴く王家の皆々様にご挨拶を申し上げます。シリウス子爵家が長子、リーデロッタ・シリウス。本日は誉れ高くもカムイ殿下からのお誘いを受け、皆様方の前へ馳せ参じました。どうぞ、よろしくお願いします」


 国王陛下と第一王子は特に動じずにわたしの挨拶へ会釈を返してくれたが、王妃様と第二王子は、突然現れた全身真っ赤なわたしに驚いているらしい。困惑の表情で会釈をすると、王妃様の方からわたしに話しかけてこられた。


「リーデロッタ嬢。今日のお召し物は、私が事前に貴女のお祖母様から伺っていたものとは、まるで違うように見受けられるのだけれど」

「突然の衣装変更となり申し訳ございません。王妃様。何分なにぶん、わたくし、遅れて成長期が来てしまったようで、事前に用意していたドレスを身に着けることが叶わなくなってしまったのです」


 困った事。とばかりに、頬に手を当てて首をかしげたところ、笑いをこらえきれなくなったカムイ殿下が王妃様の後ろで吹き出して、肩を震わせていた。

 王妃様は真っ赤なドレスと宝石で自らを飾ったわたしへの疑問を問いかけるよりも、息子であるカムイ殿下の態度を正そうと注意するために、わたしから目線を外す。そうこうしているうちにダンスホールに招待客が全員揃ったらしい。陛下の側に準備が整ったことを告げる者がやってきた。

 前へ出て行く陛下と入れ替わるようにして、わたしは姿勢を正したカムイ殿下の隣に立って、先程のヴィッセルが取った行動について答える。


「ヴィッセルはわたくしの家族ですから、大事に思っている姉のようなわたくしのことを心配して、わたくしの隣に並ぶおつもりの殿下をしっかりと見て起きたかったのだと思いますわ」

「ほう。しかし、王族全員を目の前にして、私を牽制しようとするとは、大胆な弟君だ」

「えぇ、何せこれまで、わたくしの隣という特等席はその弟のための場所でしたから」


 陛下が咳払いをされたので、わたしとカムイ殿下は口を閉じた。

 壇上の前に陛下が出てきたことに気が付いた貴族たちから、波が鎮まるように開場は静かになる。

 完全に静寂を取り戻したダンスホールで、陛下は張りのある声で朗々と語り始める。


「――今年度もまた初代の王が宇宙から冠を戴いた季節がやってきた。初代の王が、この国の礎を創る始まりの日を迎える明日に、成人として旅立つ者たちを、私、ゲンマ・ボレアリスが、初代王の代わりに祝福しよう。そなたたちの道筋に、星の光と導きよあれ!」


 ここで一度ダンスホール内が拍手と歓声で盛り上がる。

 例年ならば、このまま卒業パーティーが開始され、最初のダンスが始まるのだが、今年はもう一つ、この場に集まる貴族たちへ知らしめなければならない事柄がある。

 陛下が手を水平に上げると、ダンスホールは再び静まり返る。


「さて、今年度は皆にもう一つ知らせがある。我が冠の星々が一つ、三男のカムイがその隣で輝く一番星を見つけた。リーデロッタ・シリウス子爵令嬢。カムイと共に前へ」


 わたしはカムイ殿下と足並みを揃えて壇上の前に出る。

 壇上から見下ろした貴族たちの様子は、やはり予想通り困惑しているものがほとんどだった。


(噂でしか聞いとらんかったから、信じ切れてなかったんやろな)

「私はここに、ボレアリスの新たな夫婦星となりつつある星々を祝福したい。だが、これは国の未来に関わる事柄だ。異論がある者は今、申し出よ!」


 きっとここで、異論を封じ込めることで、カムイ殿下と陛下は、リーデロッタ・シリウスという令嬢を守ろうとしてくれているのだろう。


 ありがたいことだ。

 だけど。


「ございます」


 静まり返っていたダンスホールに響く、一人の女の声。


「わたくし、リーデロッタ・シリウスは、今回の婚約発表について異論がございます」


 これがわたしが今日乗り越えるべき最後の関門。

 

 最難関。

 現在の婚約破棄の申し入れだ。

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