第32話

 気がつくとランカは王宮の門前に着き、いつしかと同じように荘厳な王宮を見上げていた。


「焚き付けられて来たけど、よく考えると入れるわけないよね」

 前回はかなり運が良かった。流石に二度も三度もあるわけがない。しかも今日は普通にファルトは仕事のはずであり、日中に会うのは難しいだろう。

 ランカは少しため息をついて門に背を向けた。目の前に<金の雀>を見つけて、懐かしく思う。毎日仕事終わりにファルトとご飯に行っていたが、今はそんなこともない。

 

 仕事の繋がりがあったら、もっと一緒にいられたのかな。

 

 今なら、なんでファルトが「士官にならないか」と言ったのか、わかる気がした。


 目的もなく街を歩き始めたが、歩いた先にたどり着いたのは、一緒に仕事をしていたときに通っていたパン屋だ。小麦のいい香りに惹かれる。

「せっかくだから買ってこうかな」



 好きだったローストビーフサンドや甘いデニッシュを買ってほくほくした気分になりながら、ランカは店を出た。

 店から出ると何故か通りに人が増えており、皆が同じ方向を見ていることに気づき、ランカもそちらに視線を向ける。

 見るとそこにはとても綺麗なドレスを着た美しい女性を囲むように、何人かの士官の姿が見えた。まだかなりの距離があるが、あの黒いコートを着られるのは士官だけだ。こちらに向かうように歩いており、だんだんと人の顔がはっきりと見えてくる。


「ファルト……?」


 歩いている士官の一人をよく見れば、女性の左隣に立ってるのがファルトだった。女性に向かって何か説明しているのか、話をしている様子が見える。控えめに微笑みながら口が動く様子を見て、ランカは胸が急に締め付けられた気がして、ぐっとローブを胸元で握りしめた。

 いつもの士官のコートを着ており、他にも士官がいることからも仕事中だと言うことがわかる。しかし、自分以外の他の女性に笑いかける様子を見ると、急激に不安に襲われた。隣にいる女性は白金のストレートの髪に、同じ色の瞳を持つとても美しい女性だ。ファルトが隣に並ぶと美男美女でお似合いに見える。


 あれ……。


 目の奥が熱くなり、何か溢れて来そうな気がしてランカはローブを握りしめる手を強めた。その瞬間ファルトが隣の女性から目を離し、急に振り向いた。

 一瞬目があったような気がしたが、まだそれなりに距離がある。ランカは反射的に背を向けた。


 溢れ落ちそうな涙を懸命に止めようとすればするほど、目の奥からたくさんの嫌な感情と共に涙が溢れて止まらない。


 やだ、なんでこんな涙出てくるの?

 意味がわかんない。


 ファルトはただ仕事をこなしてるだけだ。当たり前のことなのに、何でこんなに悲しくて苦しい気持ちになるんだろう。


 ランカの後ろの人の波がさらに波立つ。その先から人をかき分けるように走ってくる人物が一人。通りに背を向けて震えるランカに手を伸ばす。


「ランカ!!」


 泣いているランカの前に現れたのはファルトだった。離れた距離から走って来たのだろう、息が上がっている。

 ファルトと目があったランカは、思わず目を逸らす。泣いているのを見られたくなくて、顔を手で隠した。その時に手に持っていたパンの入った紙袋が落下するが、地面に落ちる前にファルトがキャッチする。

 

「ランカ、どうして泣いてるんだ」

 不安気にランカを覗いてくるファルトと、今は目を合わせたくない。自分の醜い心を知られなくない。黙っているランカに、ファルトはそれでも静かに聞いてくれる。

「何か嫌な目にあったのか?誰がランカに……」

 犯人探しでもしそうな怒りの感情を見せるファルトにランカは慌てて首を振る。

「違う……!私が、勝手に」

 顔を上げるとファルトと目が合った。本気で心配されているのがわかり、ランカは苦しさが強くなって思わず口を開いた。


「違うの。ごめんなさい。ファルトが他の女の子に優しく笑ってるのみたら、……辛くなっちゃった」

 そう口にするとさらに苦しさと自分のダメさ加減が嫌になり、涙が溢れてくる。止まらない涙を見られるのが嫌で、ローブの袖で無理矢理拭おうとして目元に上げた手はファルトに掴まれ、真剣な顔をしたファルトと目があった。

 

「……、ランカ、好きだ。恋人になって欲しい」


 ファルトはその場ではっきりとそう言って、ランカを見つめた。さすがにまさかさっきの言葉の返しがそれとは思わずランカは思わずつっこみをいれてしまう。

「それ今言うの?!」

「今言わなかったらまたいつ言えばいいか悩みそうだ。ランカは嫉妬してくれたんだろ?」

 ランカのつっこみにも虚しく、真剣な表情を崩さないファルトにランカは体温が一気に上昇していくのを感じた。そして「嫉妬」と言う言葉がかなり腑に落ちた。

 いつも変わらないような口調で言ったファルトは、もう一度同じ意味の言葉を繰り返す。


「ランカ、好きだ。恋人になってくれないか?」


 ランカは真っ赤になって頭の中も大混乱な状態ではあったが、ちゃんと返さなきゃいけないと頭の中で思う。何のためにここに来たのかを思えば、答えは一つしかない。

「は、はい。私でよければ、お願いします」

 そんな色気も何もない答えを返すと、ファルトは心底嬉しそうな表情で微笑んだ。イケメンの微笑みは背中に花束でも見えるようだ。そんな余計なことを考えていると突然周りから凄い大きな拍手が湧き起こる。

 

 気がつくといつのまにか、通りにいた人たちが皆こちらの様子を見ていたのだ。にこにことした表情の人々がランカとファルトの様子を固唾を飲んで見守っていたのだ。当の本人たちは全くそれに気づいていなかったのだが。


「ずっと、見られてた……?」


 流石のファルト目の前のことにいっぱいで、それには気づいてなかったらしい。驚いた様子で目を丸くしていた。


「いやー良かったよー。ほっとしたよー。士官のあんちゃんよかったなぁ!」

 そう言って声をかけて来たのはパン屋の主人だった。一体いつの間に外に出て来たのか。

「うちに来てくれてた時からてっきり恋仲なのかと思ってたが、そうじゃなかったんだな!いや〜安心した!」

 とてもいい笑顔で大きな声で、豪快に拍手をしてくれている。その言葉でさらに周りの拍手まで大きくなった気がした。


 どうしていいか分からなくなって目を回していたランカに変わって、ファルトが少しだけ周りに頭を下げるとランカの腕を取って歩き出した。

「移動しよう」

 自分だけが恥ずかしいのかと思ったがよくみたらファルトの耳も赤い。

 確かにここに立っていてもどうしたらいいのか分からないため、ランカはその言葉に頷いてファルトと共に早足で拍手の波の中を通り抜けた。最後まで拍手と笑顔を向けられ、なんとも恥ずかしい気分になった。



 ファルトに手を引かれてたどり着いたのは、大通りから外れた一軒の集合住宅の前だった。シンプルな外装のそこへファルトは躊躇うことなく入っていく。床に描かれた黒い円の中に一緒に立つように言われて立ち止まる。すると円周を赤い光がぐるりと光り、二人の姿が消えた。

 

 移動したのはどこかの部屋のようだった。一体どう言うことか分からず戸惑いながらランカはファルトを見た。

「ここは王宮の寮とは別に個人的に借りてる部屋だ。誰も来ないから好きに休んでくれていい。勤務中に抜け出して来てしまったから、俺はどうしても戻る必要があって……」

 言いづらそうにするファルトにランカもハッとする。あの様子はどう考えても勤務中だったのに無理に抜け出して来てくれたに違いない。青ざめるランカにファルトが少し首を振る。

「放って置けなくて、俺の意思だから。先輩に怒られてくる」

 確かにあの士官たちの中に赤髪の人もいたような気がするが、ファルトしかほぼ目に入っておらず自信がない。


 ファルトは一人で部屋の奥に入ると何かを掴んで戻ってくる。差し出されたのは小さな魔力石が数個だった。いずれもファルトの魔力が入っているのか赤い色になっている。

「これがあれば、ここからも自由に出られるし、入ることもできる。落ち着いて、帰る気になったら使ってくれ」

 そう言って渡されたため、ランカは頷いて受け取った。

「でも、できれば、……話がしたい。夜7時ぐらいになってしまうかもしれないけど」

 ファルトが少し言いづらそうにしながら言ったその言葉にランカはハッと顔を上げる。


 よく考えれば恋人になって欲しいと言われて、ランカも了承したのだ。ランカも話したいことはたくさんある気がする。

 

「ここで、待ってていい?」

 ランカがそう聞くとファルトが幸せそうな顔で頷く。

「あぁ、もちろん。部屋は好きにしてくれていいから。あとパンはテーブル置いておいたから。潰れてないといいけど」

 地面に落ちる前にファルトが掴んだのだからおそらく大丈夫だろうとなんとなく思う。

 

 ファルトはそれだけ言うと再び出入り口の魔法陣から出ていってしまった。行ってしまったファルトの姿が完全に消えた所で、ランカは自分の頬を両手で覆った。


 前にも増してファルトが格好良く見えるのは何なの……?? 


 頭の中にいっぱい疑問符を抱えながらランカはとりあえず気持ちを落ち着けるために大きく息を吸った。しかし、ふと大きく息を吸った所で気がつく。

 

「あれ、……もしかしなくても、ここってファルトのもう1つの家ってことだよね?」

 ファルトは「個人的に借りている部屋」だと言っていた。それを考えてランカはまた急激に心臓が早鐘を打つのを感じる。最悪なことにファルトの寮であった出来事を思い出してしまう。


「いやいやいや、落ち着け自分!」

 短い廊下を通ってこの奥の部屋に踏み込んでもいいものかとても迷う。ファルトはここには誰も来ないと言っていたぐらいだ、かなり個人的な空間に違いない。

「こ、恋人なら当然?!」

 もう声に出さないとどうにもならなくなり、不安なことを声に出して見たものの、どこかに頭を打ち付けたい気分になった。ブンブンと横に頭をふり、余計な考えを振り払う。

「そんなんじゃない。泣いてたから落ち着くまでの居場所としてかしてくれたんだから」

 ランカは変な想像を頭の片隅に何とか追いやると部屋の中へ足を進めた。


 奥の部屋に行くとランカは思わず感嘆の声をあげた。

 全体的に白い部屋には壁に造作棚が設けられており、そこには所狭しと魔法道具が並べられていた。テーブルも置かれていたが作業台に近いのか、無造作に何か書かれた紙や本が積まれていたりする。続きの部屋にも一人がけのソファが置かれているだけで、あとはほとんど魔法道具がその場所を占めていた。


 自分が考えた心配ごとなど無用のような部屋で思わず笑ってしまう。

「ファルトらしいなぁ」

 そう思いながらランカは飾られている魔法道具を興味深く眺めながら待っている時間を過ごした。 

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