第10話

 それは、ランカが2級魔法士の頃。レモレは魔法学校の訓練場にランカの付き添いで来ていた。訓練場は魔法を練習するための円形に広がった場所で、ランカが1級魔法士になるための練習をしていた。巨大な魔法陣を描くタイプの召喚魔法で、大きな魔法陣を黙々と描いていた。

 レモレはそれを少し高い位置にあるガラス張りの場所から眺めていた。丁度そこをファルトが通りがかった。ランカが魔法陣を描いているのが目に入ったらしく、レモレの隣に立つと同じようにランカの姿を眺めていた。


 1級魔法士の試験には、大精霊の召喚がある。大精霊の召喚には巨大な魔法陣の作成と膨大な魔力が必要だった。ただ、ランカは自分の趣味と実益を兼ねて、魔法陣を古語を使って描いていた。最近ではあまり使われない言語での魔法陣作成が、ファルトの目にも止まったのだろう。

 しばらくランカのことを見ていたことをレモレは覚えている。


「彼女は、2級魔法士のランカ?」

 そう聞かれて、レモレは頷く。まさか話しかけられるとも思ってなかったし、ランカを知っているとも思わなかった。

「彼女は古語が得意なのか?」

 さらに立て続けに質問されてレモレは驚く。けれどファルトの視線はランカを見たままだ。

「あ、あぁ。そうだけど」

 

 学生時代のファルトはレモレの中で無口で冷たい印象だった。いつも女子に囲まれているがその顔はあまり笑ってもいないし、何をしててもつまらなさそうに見えた。と言っても、レモレも彼と同じ等級だったのは最初の数年だけで、あとはあまり学校の様子も知らない。

 そんなさっさと等級を駆け上がっていった彼が、ランカをとても興味深そうに見ていることに驚いた。


 ファルトの視線につられるようにレモレも訓練場のランカを見下ろした。見るとランカは丁度魔法陣を描き切ったようで、魔法陣の中央に立ったところだった。

 

「ランカは古語が好きなんだ。見た目も音も」


 レモレの言葉の後、ランカは丁度詠唱を始めたところだった。ここまで音は伝わらないが、レモレには理解できない古語を口づさんでいるのはわかる。

 ランカの声に合わせて魔法陣が徐々に光り輝いていく光景は、とても神秘的なものだった。

 

 今回は成功しそうかなとレモレ思っていたところで、ランカが「しまった」という顔に変わった。

「もしかして間違えたのか」

 あわあわしているランカの様子を見て、レモレがつぶやくと隣でファルトがそれに答えを返した。

「発音を一個間違えたな」

 レモレが驚いて隣を見るがファルトは訓練場のランカを見下ろしたままだった。しかも、若干楽しそうに微笑んでいる表情がとても印象に残った。



 そんな風にランカを見てたのにファルトが覚えていないはずがないとレモレは思う。その事実を聞いたランカは真っ赤になった。

「何、それ。知らない」

「今初めて話したからな」

 レモレの答えにランカが通信機にやつあたりしそうだったので止めた。

 

「その話聞いてたら私の記憶にも残ってたかもしれないでしょ!」

「いや、そんな重要だとも思ってなかったし」

 レモレも珍しいことがあるものだぐらいに思っていた上に、この後ランカが失敗に失敗を重ねたため訓練場がとんでもないことになったことを忘れてはいけない。

「そうだった、ごめん」

 あの後はレモレも訓練場に入り、発動仕掛けた魔法陣の起動停止などに追われ、すっかり忘れてしまった。


 思い出すのはファルトとの会話だ。

「同期なのに、フレーべルなのかって聞いちゃったよ」

「どうしようもないな」

 レモレの言葉は尤もだった。


 やらかしてる。完全に。


「同期なら同期って言ってくれればいいのに!」

「相手が覚えてなかったら言いづらいだろ」

 レモレがキンキンに冷えた何かを飲みならそういう。いい加減何か気になる。

「うう、そうかも」

 大きくため息をつくランカにレモレが通信機に寄ってきて話す。

「仕事は終わったんだろ?」

「うん」

「ならもう気にするな。気にしたところでどうにもならん」

「それは、そうだけど……」

 

 勝手な王宮士官の印象はいけすかないやつばかりかと思っていたが(本当に勝手なイメージだ)、ファルトは基本的に親切で気遣いのできる良い人だった。

 ランカは頭を抱えた。相手の印象が悪ければそんなに気にすることもなかったろうに、相手の印象は悪くない。いや、むしろ良い。とても、良い。


「そんな頭を抱えるほど悪いと思うのか」

 頭を抱えたまま視線だけレモレに移す。

「十日も一緒にいたし、なんか今考えると気づける要素があったんじゃないかと思わなくもないし」

「金髪碧眼、ファルトって名前聞いてまで思い出せないんだから無理だろ」

 言葉に詰まったランカにレモレが笑う。

「そんなに気になるなら、自然と縁が繋がるだろ」


 その時、ランカの家の玄関の扉がノックされる音が響いた。


「なんだろ。今日誰か来る予定なんてなかったけど」

 レモレに断りを入れて席を立ち、壁にかかっていた帽子を被り玄関の扉を開ける。



 するとそこには、最早見慣れたファルトの姿があった。

 思わず目を見張り、ついでに目を擦るが相手の姿が消えるようなことはない。しかも、前回と違い王宮士官のコートを身につけていない。

 訳がわからなくて扉を開けたまま固まっていると、ファルトの方が口を開いた。

 


「すまない。迷惑だとは思ったんだが」

「な、にを」

 ランカは先ほどまでレモレと話していたことを思い出し、申し訳なさととんでもない恥ずかしさに襲われ思わず帽子をとって自分の顔の前にやる。胸を見られたかもしれないことも同期だと全く気づかなかったところも、どれも消してしまいたい気分だった。


「ランカ、もっと君と話がしたい。仕事が終わって繋がりがなくなってしまうのが、いやなんだ。仕事をしていても、君のことが気になって仕方ない。……、俺に仕事以外で一緒にいる機会をもらえないか」

 早口でそんなことを言ったファルトを、帽子の向こうからちらりと覗くと、不安げな顔が見えた。眼が合うのが怖くてすぐに視線は戻す。なんと返していいかわからず完全に固まったランカに対して、部屋の奥からレモレの声がする。

 

「おーい、ファルト氏。その言葉は、告白なのか、まずは友人からってやつかどっちなんだ」


 空気を読んだのか読まなかったのか友人の呑気な声が部屋の中から玄関まで届く。ファルトはそんなふざけた質問にもちゃんと答える。

「俺はもちろん気持ちがあってここに来たが」


 気持ちがあるの!?


 思わぬ言葉にランカは顔が火照るのを感じた。あくまで好きなものが似ていて気が合いそうだということなのかと思っていたのだが、そうではないらしい。

「ランカは、俺のこともよく知らないだろうから、友人としてでも会って欲しい。少しでも俺のことを知ってほしい」

 

 同期なことも覚えてないようなやつでごめんなさい!

 もはや帽子を退かすことはできない。そんなことを思いながら帽子がシワになる程握りしめる。


「ランカ、どうする?」

 通信機の向こう側の友人は明らかに楽しそうに言っていて表情すら想像がつく。ニヤニヤと笑いながらこちらを見ているに違いない。

 それでも何も言わないランカに、レモレの方が大きくため息をつく。


「私は、ファルト氏は悪くないと思うぞ。二人は、好きなものよく似てるだろ?ついでに、私が想像するに二人とも恋愛経験ゼロだ」

 その言葉にランカはぎょっとしたが、ファルトは特に表情を変えない。

「ちょっと勝手に言わないでよ!」

 思わず離れた部屋の通信機に文句を言うが、口を塞げるわけがないから意味がない。

「ランカも魔法学校にいる間は、もうドミエの魔女になることしか頭になかったからな。多分ファルト氏もどうせ魔法と勉学以外には興味なかっただろう」

 視線を少し逸らしたのはきっとその通りだったのだろう。

「まぁ、無理に付き合えとは言わないさ。まずはお友達から始めてみてもいいんじゃないか?」

 穏やかなレモレの言葉に、ランカは少し真っ暗な帽子の向こう側を見つめた。



 ファルトをちゃんと知ったのは、仕事を依頼を受けてからだ。

 おしゃべりなわけではないが、普通に喋ってくれるし、細かいことにも気づくし、対応も丁寧だった。嬉しそうに笑う表情はちょっと可愛い。

 そして守ってくれた姿は正直今でも思い出すぐらいにかっこいい。



 少しだけ帽子をズラしてファルトを覗くと目があった。

「本当に、すまない。はっきり断ってくれれば諦められ」

 そこまで言葉にしたファルトにランカは遮るように喋りだした。 


「友人からで!」

 意を決したランカの言葉は、思ったより大きな声だった。


「私も、……もう少し話をしてみたかったから!」

 消え去りそうな声でそう言ったランカの言葉に、ファルトは少し目を見開いてから、嬉しそうに穏やかに微笑んだ。


 その笑顔は反則だと思う。

 ランカはまた頬が赤くなった気がした。

 


「ファルト氏、言質取ったんだから、ちゃっちゃと通信機の登録だけしておかないとダメだぞ。ランカみたいに毎日暇人じゃないんだろ?連絡取れなくなるぞ」

 奥の通信機からレモレの笑い声入りのアドバイスに、ファルトがハッとしたようにランカを見た。ランカはもう諦めて帽子を掴んでいる手を下ろした。

 

「私だって別に毎日暇してる訳じゃないけど」

 レモレに文句を言ってみたがすぐに反論される。

「大体そこにいるだろ」

「いるけどさ」

 ランカは玄関の入り口をもう少し開け、ずっと中には入らないままでいたファルトを招き入れる。

「どうぞ。お仕事はお休み?」

「……、あまりに俺がぼんやりしてるから休暇を取らされて」

 バツが悪そうにそう言った答えから、仕事に集中できないと言っていたのは本当らしい。周りに言われるほどということはよっぽどだったのだろうか。


「じゃあ、通信機登録のついでに、お茶でも飲んで行って。二人きりじゃなくてレモレもいるけど」

 ランカがそう誘うとファルトは少しホッとしたように玄関扉を潜った。



 テーブルに置いてあった通信機の中のレモレが招かれたファルトを見てニヤリと笑う。

「ところで、ファルト氏は見たんだろう?ランカの胸」


 直球かつ核心を持って言い切ったレモレの言葉にファルトが盛大にむせ、視線を逸らし赤くなった。楽しそうなレモレの笑い声と「レモレのバカー!!」と叫ぶランカ声が静かなはずの森の中に響いた。



(魔女視点・終)

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