第21話 空を見ていたかった
「・・・・・・どういうつもりか知りませんが、後悔しますよ」
クレアルは、刀を構え直して刃の先端を俺に向けた。
俺とクレアルは、刀を構えたまま動かずに神経を研ぎ澄ませる。
それはまるで、俺たちの周りだけ時が止まってしまったような。
──そんな、不思議な感覚だった。
風が吹き、俺たちの髪や服を揺らす。
そして、俺とクレアルは風が止むと同時に一直線に駆け出した。
互いの刀が幾度も交わり、激しい剣撃によってもたらされた衝撃が刀を通して伝わってくる。
「ふッッ!」
「ッ!?」
クレアルが手首をひねり、俺の刀毎後方へ弾き飛ばした。
俺を後方に弾き飛ばした隙をついて、クレアルは着地の瞬間を狙い追撃の準備に移る。
だが、その場で俺がポケットからこぼしておいた砂に足を取られ、クレアルの僅かに踏み込みが甘くなる。
「いつの間にッ!? うざったいですね、この砂ッ!」
俺はその隙に刀を後ろに振って、黒炎を出した。
黒炎を推進力替わりにして一気に加速し、クレアルの目前に迫る。
──
クレアルに向けて放たれた俺の黒炎に対し、クレアルは刀を振った。
黒炎は異空間に吸い込まれ始める。
それと同時に、クレアルは自分の足元に向けて刀を突き刺した。
今までにない危険を感じた俺は、咄嗟に後ろへ下がる。
・・・・・・何のつもりだ、あいつ。
舞台を構成する石畳に亀裂が入り、砕けた破片がいくつもの瓦礫となって宙を舞う。
そして、クレアルは降り注ぐ瓦礫を刀で俺に向けて打ち込んだ。
「くっッ」
放たれた瓦礫を全て弾き返すが、一瞬、視界を塞がれた俺の視界からクレアルの姿を見失う。
その刹那、背後からの身震いしそうになる強烈な殺気を感じ取る。
「クソッ」
「遅いッ!」
背後からの一撃をなんとか刀で防ぐが、流れるような動作でのクレアルの蹴り上げに反応しきれず、俺の体は吹っ飛んだ。
「かはっッ」
強烈な一撃。しかし、痛みなど気にしている暇はない。
宙を舞いながら俺は即座に次の構えに移った。
「なんです、その構えはッ」
クレアルは、見たことのない俺の構えに油断することなく警戒しながら魔剣術の発動準備を始めた。
俺は刀を大振りするため、通常の上段よりもさらに上に構えた態勢を崩さない。
逆方向に向かって放出した僅かな黒炎は、クレアルに向かって俺の落下速度を増加させる。
俺の刀が黒炎によって刀身を何倍にも膨れ上がらせ、巨大な大剣を形成した。
いくぞ、クレアル──
──これが今の、俺の全力だ。
────黒道流奥義・
凝縮された魔力濃度の濃い巨大な大剣を、クレアルに向けて振り下ろす。
「耐えてくださいよッ、サレリウスッ!!」
クレアルも真っ向から迎え撃つようにして刀を振り切り、異空間へと通じる巨大な穴を創り出した。
「ぐぅっッ、ああァアアアア!!」
振り下ろした魔力の塊である黒炎は徐々に吸い込まれていき、全てを飲み込み終えたその穴は、やがて消失した。
クレアルの間合いから離れた位置に着地し、俺は肩で息をする。
追撃を警戒するが、どうやらあいつにもその余裕はないみたいだ。
「はぁっ、はぁ、フゥーッ」
クレアルは大粒の汗を額に浮かべながら、大きく息を吐いて呼吸を整えている。
「・・・・・・まさか、ここまでとはな」
──これがあいつの全力か。
絶炎も効かないとなると、やはり俺の個人的な能力だけでは勝つことは難しい。
「面白くなってきたなぁ、クレアル!」
「はぁっ、調子に、乗らないでくださいっ、はぁっ」
クレアルが呼吸を整い終えると、俺に対して刀を向ける出なく、呆れたような口調で話し始めてきた。
「こんな狭い会場で、あれほど高火力の魔剣術を・・・・・・ふふっ。あなた、気は確かですか?」
「でもお前、いい顔になったじゃないか」
「・・・・・・え?」
クレアルは笑っていた。その笑みは今までの意図的にしていた嘲笑ではなく、無意識のうちに湧いてきたものだろう。
「楽しいなぁ、クレアル」
「楽しい・・・・・・? 何を、気の抜けたことを・・・・・・」
「お前の本気の力はこんなもんじゃないんだろ? このまま全てを出しきって俺にぶつけてみろよ」
「馬鹿なことを、いつまでも・・・・・・ッ」
クレアルは、俺に向けて声を荒げるかのように大きく口を開いた。
「あなたは殺します! 絶対に殺してあげます! それが僕の──」
「お前は、そんなことを心の底から本気で望んでいるのか?」
「・・・・・・ッ」
もう、今の俺に戦う意思はない。なぜなら──
「殺す殺すと散々喚いておきながら、本心では真逆のことを願っているはずだ」
「また適当なことを! あなたはッ」
「お前も・・・・・・本当は気づいているんじゃないのか? 俺にはお前を殺すことはできないし、今の俺にはそんなつもりもない」
「そ、そんなことはない! まだ、勝負はこれからです!」
クレアルは、自分がおかしなことを言っていることにすら気づかず、縋りつくかのように俺に向けて希望の目を向けてくる。
・・・・・・やはり、そうか。
「はっきり言って、俺ではお前に勝てない」
この動揺の仕方を見て、ようやく俺の中で立てた仮説が真実味を帯びてくる。
クレアルと初めて会ったのは、あの美術館で間違いない。
最年少で大佐になった少年とクレアルが同一人物であるという存在を認識したのも、今日が初めてであることは確かだ。
しかし、それらは事実であっても真実ではない。
俺はクレアルが俺のことを知るずっと前に、彼のことを知っていたのだ。
俺はクレアルに語り掛けるようにして、口を開いた。
「数年前、北帝国に実在したという〝
その瞬間、クレアルの瞳が大きく見開かれた。
「・・・・・・なぜ、そのことを」
「その少年は幼い頃、体内の魔力量が子供ながらにして多いことが発覚し、高値で研究施設に売られたという」
「・・・・・・うっ」
クレアルは苦しそうに心臓に手をやり、呼吸が乱れ始める。
「その発作のような症状はなんだ? 自分の口で俺に話してみろ」
「・・・・・・うるさい。黙れっ、黙れッ!」
話す気にはなれないのは、当然のことだ。
だが、このまま黙っておくわけにはいかない。
クレアルの心の底に潜む闇に触れて、本心を吐き出させなければ。
それこそが、俺がしてやらねばならない責務だ。
「その少年は研究で人工的に作られた魔力粒子を、人為的に体内に注入されたという」
「うっ・・・・・・くうッ」
もがき苦しむようにして、自分の頭を抱えだす。
「これは、俺が過去に北帝国へ侵入したときに盗み見た、極秘実験プロジェクトの詳細概要の内の一つだ。お前がその後に施設でどんな扱いを受けて、どうしてそんな地位まで上り詰めることになったのかは知らないが、無事に脱出できたようで何よりだ」
「黙れッ!!!」
クレアルの悲鳴ともとれる怒声が、空気を震わせる。
「研究施設にいた人たちは──僕が、全員殺した」
「・・・・・・助けてやれなくて、すまなかった」
俺は謝罪の言葉を述べる。
なぜなら、そのプロジェクトを知りながら。
北帝国内に侵入し、すぐ近くにいながら、助けることをができなかったのだから。
「僕は、僕はあなたにそんなことを言って貰うためにこんな所へ来たわけじゃないッ!」
「じゃあ聞くが、お前は本当は何がしたいんだ?」
「僕は・・・・・・」
「その歳で大佐なんてやってると、色んなしがらみに縛られて面倒事も多いだろう」
初めてクレアルを見たとき、哀れな少年だと思った。
「優しさに飢えているだろう」
だが、それは違った。
こいつは、今まで俺が戦ってきた誰よりも悲しい剣を振るっていた。
「愛に焦がれているだろう」
ずっと、助けを求めていたんだ。
そして、俺の元へと続く情報を掴んだ。
クレアルは、自分を殺してくれる相手を探しに遥々こんな所まで、俺と戦うためにやって来たのだ。
「そんなもの、いらない。僕は、僕はただ・・・・・・」
「別に嫌だったら辞めたっていいんだ。お前は何が欲しいんだ? 地位か? 権力か? 金か、力か? そんなものじゃないはずだ。なぜなら──」
お前は、あのときの俺と同じはずだから。
そう、俺の口から言葉にすることはなかった。
変わりにクレアルが応えたからだ。
「僕は────ただ、空を見ていたかっただけなんだ」
クレアルは真っ直ぐな目で、空を仰いでいた。
美しく純粋な瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。
その瞳の先にあるのは、穢れの意味すら知らない、深くどこまでも続いていく青空だけが広がっている。
俺には、クレアルのその言葉の意味が。その言葉に含まれている真意が伝わってしまった。
ずっと、綺麗な世界を見ていたかった。
目に入るもの、全てが黒く見えたとしても。
それでも、変わらないこの世界の美しさを目にする度に。
穢れた自身の色も、いつの日かこんな鮮やかな色になりたいと────
「・・・・・・クレアル。お前は──」
「降参します」
ビーーーと、冷えた空気を掻き分けるように勝敗判定装置の機械音が虚しく響く。
「俺も、初めて海を見たとき同じようなことを思ったよ」
「・・・・・・あなたは、僕の探していた人ではなかったみたいです。では、これで」
クレアルは俺に背を向けると、舞台から去るために歩き始めた。
「でも、空や海だけじゃなかった」
クレアルは立ち止まって、こちらを振り返る。
その顔が意外にも興味深そうな顔に見えて、俺は迷わずに言葉を続ける。
「最近は毎日が楽しいんだ。それだけで、俺には十分すぎるほどに生きる理由になってる」
俺はクレアルに向かって笑いかけるように話す。
だって、本当に楽しかったのだ。
この三年間の毎日が、俺にとっては宝物だった。
人を殺すことでしか自身の価値を感じ得なかった俺みたいな奴には、眩しすぎるくらいに輝いていて。
だから、俺はそれを守るために今ここに立っているのだ。
「・・・・・・そう、ですか」
クレアルは俯きならがらも、再び歩きはじめる。
「あなたが、ほんの少しだけ羨ましいです」
最後に呟いたその言葉を耳にしてから、クレアルに背を向けて俺も歩みを進めることにした。
そして、誰に向けてか俺も小さく吐露する。
「・・・・・・お前にも、いつかきっと見つけられるはずだ」
これを直接言ったところで、本当の意味で言葉の意味を理解することは難しいだろう。
だから、今はこれでいい。
クレアルの耳には届くことはなくとも。
いつかこの思いが伝わるように、願いを込めて──
「・・・・・・すごい」
エリーナは呆然とした顔で、舞台から目を離すことなく呟いた。
互いに戦闘に特化した魔剣術の激烈な応戦に加え、あれほどの高レベルな剣術の駆け引きを目にすれば無理もない。
パチパチパチ。歓声に紛れて会場中から盛大な拍手が送られる。
いつの間にやら席から立ち上がっているギンジもどこか悔しそうな顔で、激戦が繰り広げられた場を一点に見つめたまま目をそらそうとしなかった。
わたしも、拍手で二人の退場を見届ける。
「エリーナも、拍手を送ってあげて」
「う、うん」
頷き、わたしの隣で拍手し始めるエリーナ。
ユウガとクレアルが繰り広げた今の一戦。
今の戦いは、断じて試合などという生易しいものではなかった。
元特殊暗殺部隊隊長と北帝国軍大佐による、命の削り合い。結果はどうあれ、この戦いを賞賛しない者などに、魔剣術使として高みを目指す資格などあるはずもない。
「でも、クレアルって言ったら歴代最年少で北帝国軍大佐になった人でしょ? ユア、あの人と知り合いだったの?」
わたしはエリーナの質問に対し、首を振る。
「名前は噂で聞いてたけど、あいつとは前に美術館で会っただけよ。あの時は剣術祭に軍人が出るなんて思ってもなかったから、さっき名前を見て驚いたわ」
「ま、確かに顔はあんまり有名じゃなかったもんね」
エリーナは、納得したような顔で頷いた。
「でも、なんで最後は降参したのかしら? 何かユウガと話してたみたいだったけど」
「・・・・・・」
確かにそれについては、わたしも疑問に思った。
でも、勝敗が決まった以上、わたしが気になっているのは別のところだ。
「にしても妙だ・・・・・・ユウガの途中で見せた、あの構え・・・・・・」
「それについては、同感ね」
ユウガが試合の途中で見せた、棒立ちになりながら腕ごと刀の先端をクレアルとは逆向きに向けた、あの構え。
アレだけは、いくら考えたところで何をしようとしていたのかが分からない。
「え? なんかまた凄い技でも出そうとしたんじゃないの?」
ギンジとわたしの気づいたことに、エリーナは気づけなかったようだ。
エリーナの疑問にギンジは答えることなく、こっちに視線を向けて「お前が説明してやれ」と言いたげな表情で訴えかけてきた。
説明係を任せっぱなしなのも疲れるだろうし、別に構わないけど。
「・・・・・・あんな構えから放つ剣術なんて存在しないわ。腕ごと刀を相手と逆方向に向けたら、どうしたって初速が遅れる・・・・・・常識的に考えたらだけど」
剣術の構えは上段、中段、下段の中から枝分かれ上に数多く存在する。理由は単純明快、それが一番効率的であり、強いからだ。
さっきのユウガの構えは、そんな常識を完全度外視した奇妙な棒立ち。一体、何をするつもりだったのか検討もつかない。
「ていうか、エリーナもそのくらい考えればわかるはずよ? 剣術の成績は別に悪くないんだから」
成績の良し悪しに関わらず、東都剣術大学校の学生であるならこのくらいは気づいてほしいところだ。
「いやぁ、なんとなくはわかる気もするんだけど説明聞いた方がわかりやすくて・・・・・・なんか、ごめん」
エリーナはえへへと笑いながらはにかむ。
わたしが溜息をついていると、ギンジが試合上の方を向いたままわたしに喋りかけてきた。
「ユア、お前はユウガの今使っている刀について何か聞いてるか?」
「刀? いや、全く聞いてないけど・・・・・・?」
ギンジは「そうか」と一言だけ呟くと、顎に手を当て何か考え事を始めたようだった。
ユウガとの激戦に、自ら降参するという形で幕を下ろしたクレアルは、選手控え室へと続く通路を歩いていた。
「・・・・・・あっ」
俯きながら歩くクレアルの前から、そんな声が漏れる。
「シエスタさん・・・・・・」
「クレアル大佐っ!」
シエスタは、クレアルに駆け寄って、あろうことかその場で抱き着いてきた。
「シエスタさん、何を」
遠慮もなしに抱きしめてくるシエスタを振りほどく気力は、先の戦闘で精神的にも肉体的にも疲弊していたクレアルに残されているはずなどなかった。
「・・・・・・クレアル大佐」
「なんですか。離してくれないと、怒りま」
その直後。
シエスタのとった行動に、クレアルは言葉を飲み込んだ。
あろうことか、クレアルの顔を両の手のひらで覆ったのだ。
抱き着いてきたことにも十二分に驚いたクレアルであったが、それ以上の驚き。
クレアルは、完全に固まっていた。
「・・・・・・クレアル大佐、私とご飯に行きましょうっ!」
「・・・・・・は?」
呆れかえるクレアルに対し、シエスタはクレアルの顔から手を離そうともしない。
「私、もっとクレアル大佐のことが知りたいです!」
シエスタの瞳から、涙が零れ落ちる。
「・・・・・・なんで、泣いてるんですか」
シエスタの瞳から溢れ出る涙は止まらない。
「だって、だってぇっ、クレアル大佐が、し、死ぬためにっ、戦ってっ、うぅっ」
そこで、クレアルはようやく先程の会話を聞かれてしまったのだということを理解する。
「離して、くださいッ!」
クレアルは、シエスタから逃げるようにして手を跳ね除けた。
「まったく・・・・・・なんなんですか、あなたは。僕と特別に親しい間柄でもないでしょう。なのに、涙まで見せるなんて」
「クレアル大佐は、私に優しくしてくれましだっ!」
シエスタは、溢れ出る涙も、言葉も止めることができなかった。
「初めての秘書で緊張してる私にっ、優しく話じがけてくれましたっ!」
「・・・・・・」
クレアルは、シエスタの瞳を見る。
その瞳は、とても純粋で、綺麗で────
「・・・・・・クレアル大佐?」
「・・・・・・これ、使ってください」
クレアルは、制服のポケットにしまってあったハンカチをシエスタに差し出す。
それを受け取ったシエスタが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭いていると、クレアルは控え室に向かって、再び歩みを進めた。
「あっ、ま、まっでくだざいっ! まだ話が・・・・・・ずびーっ」
クレアルの後ろから、鼻水をかむ音が聞こえてくる。
「まったく、汚いですね」
クレアルは振り返り、シエスタを見る。
「何してるんです? ・・・・・・ご飯、行くんでしょう?」
「え?」
「ほら、早くしないと日が暮れてしまいます」
クレアルは、シエスタに背を向けて歩き始める。
「は、はいっ!」
シエスタから見たその背中は、小さいけれど、なんだかとても大きく見えて。
「言っておきますけど、この国の貨幣なんて僕、持ってませんからね」
「だっ、大丈夫です! それでしたら、私が──」
「全部、シエスタさんの奢りです」
「えぇっ、そっ、それは困りますよぉ~」
────通路に、二人のほんの小さな笑い声が響いた。
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