第32話 上陸、そして

 大鷲と篠崎に向かってにっこりと微笑んで、垣屋は二十メートルほど漕ぎ進める。

 何か大きめの漂流物を避けようとしたときだった。

 ボートに何かがつかまり、別のものが垣屋に向かってにゅうっと伸びてくる。

 人間の手だった。

 拳銃の銃口がぴたりと狙いを定めている。

「そんなに急いでどこに行くつもりだ?」

 濡れそぼった髪から海水を滴らせながら顔を出した坂巻が低い声で言った。

「えーとお、ほら、あまり重い物乗せられないから、一度アタッシェケースを海岸まで置いてこようかなって」

「その必要はない。逆向きに漕いであの二人のところまで戻すんだ」

 さすがに拳銃の弾よりも早くオールを振り下ろせるか試す度胸は垣屋にはない。

 大人しくボートをバックさせた。

 大鷲はボートに取りつくと篠崎をボートの艫に捕まらせる。

 唇を曲げると嫌味を言った。

「最後の最後に裏切ろうとはいい性格をしているな。それでうまくいくと思うとは浅はかな」

 垣屋は返事をしない。

 何を言っても状況が好転しそうにないときは黙っておくに限る。

 口をつぐんだまま、大鷲が篠崎をボートに押し上げようとするのを手伝った。

 びっしょりと濡れた篠崎と向き合いながら、垣屋はボートをこぎ出す。

 大鷲と坂巻はへりにつかまりながら、ボートが進むのに身を任せた。

 垣屋はぶつぶつとぼやく。

「そりゃつかまっているだけなら沈まないだろうけどさ。抵抗が大きくなって進みにくいんだけど」

 篠崎に向かって依頼をした。

「もう振り返るのも面倒だから、障害物があったら言ってね」

「分かりました」

 垣屋はオールをリズミカルに動かしてぐんぐんとボートを進ませる。

 十分も漕ぐと小さな入り江にボートは到着した。

 ボートを引き上げてアタッシェケースを回収すると、各人は濡れた服を乾かしつつ疲れた体を休ませる。

「どの辺りだと思う?」

 坂巻の質問に大鷲が答える。

「経度は分からん。太陽との位置関係からすると南太平洋だろうな。インドネシアかパプアニューギニアか、その辺りだろう」

「随分遠くまできたものだ」

「まあ、生きているだけで儲けものだろう。そうだ。金を確認しよう」

 開けてみると十個のアタッシェケースにびっしりと一万円札が詰まっていた。

「あの会長というのも意外と律儀だな。中身は抜いていると思ったが」

「まあ、いいだろう。これからの生活に必要な金だ。何しろ、パスポートも無ければ、不法入国者だ。色々と金で解決する必要がある」

 篠崎がおずおずと質問した。

「あの……。大使館を頼るわけにはいかないのでしょうか?」

「あれだけ派手にネットに情報を流されたんだ。最大で九人の殺害に関与したという疑いで裁判にかけられるのは御免こうむりたいな。自分たちも被害者ですは通用しないだろう」

 篠崎の手を大鷲が握って励ます。

「心配するな。俺がなんとか生活が成り立つようにする」

「大鷲さん……」

 二人の世界が展開しそうになるのを垣屋が止めた。

「それで、これからどうするの? 今にクルーズ船が座礁したのを確認しに色々やってくるんじゃない? あの会長ってのもまだ何か企んでそうな気がするわ」

 大鷲がそれに答える。

「そうだな。まずは足を確保しなくては。アタッシェケース、全部で百キロはある。これを手で運ぶわけにはいかないだろう。車を調達しないと。そうだ。こうなったら運命共同体だ。仮名では始末が悪い。お互いに名乗ろうじゃないか。俺は大鷲だ」

 それぞれ名乗り名前を確認した。

「坂巻さん。それでどうする?」

 大鷲の問いに坂巻が海岸線の片側を指した。

「操舵室から見えたんだが、あっちにちょっとした集落があった。たぶん距離は二キロほどだと思う。俺が出かけて車を調達してくる。ただ、あまり言葉は得意じゃないんだ。誰か外国語が話せる人はいないか?」

「英語なら。日常会話レベルですけど」

 篠崎が手を挙げる。

「では、一緒に来てくれ。他の二人はここでアタッシュケースの番だ」

「どうやって車を手に入れるんだ?」

 坂巻は腹に巻いたビニール袋を取り出した。

「ブラックジャックをしたときの金が五千ドルほどある。この金を使えば、中古車ぐらいは手に入れられるだろう」

「返していなかったのか?」

「返せとも言われなかったのでね」


 一時間ほどすると黒煙を上げながら走るライトバンが、草むらに身を潜める大鷲と垣屋のもとにやってくる。

 車が止まると運転席から坂巻が降りてきた。

 どこで調達したのか、麦わら帽子を被りサングラスをかけている。

「待たせたな」

 アタッシェケースを次々を車に積載し、二人に車に乗るように促した。

「とりあえず、こんなところに居ては目立ち過ぎる。もうちょっと人の多いところに移動しよう。この方向に進めば、それなりに大きな観光地に着くそうだ」

 坂巻は運転席に乗り込む。

 クラッチをつなぐとアクセルを踏んで、ほとんど舗装されていない道路を未来に向けて走り始めた。


 ***


 連絡船の上で会長は小さなモニターの上から顔を上げる。

 モニターではアタッシェケースの位置を示す緑色の輝点が移動を開始していた。

 首を伸ばしてそれを覗き込んだ里見が声をかける。

「会長。まんまと四人に脱出されてしまいましたが、これでよろしいのですか? 法が裁けない犯罪者やモラルに欠ける人間を誘いだし、ゲームにかこつけて始末する計画だったはずです。優勝者はともかく四人も生き残ってしまっては失敗では……」

 会長は首をねじり鋭い視線を里見の顔に射こんだ。

「言葉に気を付けたまえ。確かに第四ゲームは四人がクリアした。だが、私はゲームの終了を宣言していないぞ」

 里見は小首を傾げる。

「それはどういうことですか?」

 衛星通信対応のスマートフォンを取り出すと操作をした。

「こういうことさ」

 画面を里見に向ける。

 ヨッターで新たなメッセージが発信されていた。

 顔こそ隠しているものの、四人の背格好が分かるものと、アタッシェケースが移った写真が表示される。

 その見出しには英語で、八百万ドルが彼らと共に。

 会長はにやりと笑う。

「さて、第二ラウンドの開始としようじゃないか。目の色を変える群衆から逃げ切れるかな?」

 里見にも明かしていなかったバックアッププランを披露すると、会長は嬉しそうに両手をこすり合わせるのだった。


-完-

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アンダードッグ・ゲーム 新巻へもん @shakesama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ