グリーン緑川の札伐闘技

澄岡京樹

第1話「圧縮事象(前編)」

——圧縮された半チャーハン、チャー半。


 ……惨劇の起きた現場マンションの一室には、そんな書置きだけが残されていた。それ以外に部屋にあったものは、何かを丸めた手のひらサイズの塊だけである。


 ここで何があったのか。そして何が消えたのか。部屋の主、桐生エイリは忽然と姿を消してしまった。ゆえにもはや、この状況の真相を知るものは誰もいなかった。




グリーン緑川の札伐闘技

第1話「圧縮事象(前編)」




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 6月某日。首都【芸都げいと】は梅雨時の霧に包まれていた。芸都は近隣県からやってくる人々の流入も多いが、同時に、怪奇現象の流入も多かった。そしてそういった怪異たちは、夜闇だけでなく今のような濃霧でもまた力を増幅させている。


「そういやなんで増幅するんですか?」


 銀の髪をいつもの髪型ツインテールで纏めた少女——城崎アイリが、部屋の奥で安楽椅子にもたれる茶髪の無造作ヘアー・アラウンドサーティー男の自称私立探偵——グリーン緑川に訊ねた。


「なんでって、そりゃお前————…………なんでなんだろうな。俺もよく知らん」


 緑川は何もわかっていなかった。——せっかく助手が真面目な疑問を口にしたというのに、我ながら情けない——。彼はその程度には悔しく感じたようだが、それでもわからないものはわからないので開き直ることにした。


「世の中不思議なことでいっぱいだ。逆に聞くぞ、お前はスマホとか車とかがどういう仕組みで動いているか理解しているのか?」

「いや知りませんけど」

「そういうことだ。仕組みがわからなくても実際そうなってんだからそういうことなんだよ」

「うわぁ、丸投げじゃん……」アイリは思わずタメ語で答えた。


「丸投げで結構。無理に現象を解明しようとすると脳に負担がかかるからな。あまりメモリを無駄に使うべきじゃないってことだよ」

「探偵の言う言葉じゃない気がするんですけど」

「いいんだよ、それでも仕事は来てるんだから」

「いわゆる推理の依頼なんて何一つ来てませんけどね」

「余計なことを言うんじゃないよ」

「言いますぅー。私本当はワトソン的ポジションになりたくてココに来たんですぅー」

「ワトソンが助手かどうかは何とも言えんが……」

「いいんですよそんなことは! 私は私のイマジナリー・ワトソンポジションを目指してんですから!」

「えぇ……」


 この後もアイリのイマジナリー・ワトソン話が30分ほど続いたが、緑川は根気よく耳を傾けた。


「……で。だ。城崎ちゃん、俺がわざわざ怪奇現象がうんたらかんたら、怪異のパワーの増幅がどうたらこうたら言い始めたのには訳があんだよ」

「あ、そうだったんですか。暇すぎて主題のないアイスブレイクを始めたのかとばかり思っていました」

「めっちゃ辛辣じゃん。……まあいいさ、そんな余裕ぶっていられるのも今のうちだからな」


 そう言って緑川はおもむろに——背後の窓を覆うブラインドを指でわずかに開けながら「実は怪奇現象の調査依頼が入った。しかも一応事件性がある案件だ」とすまし顔で言った。


「え。いわゆる推理の依頼じゃないですか。……いや、いやいや私はまだ信じませんよ。事件性があったとしても推理とかそういう問題じゃない感じかもしれませんからね」

「いやそれがな城崎ちゃん——あぁいや、実際に現場行こうか。その方がわかりやすいだろうから」

「なんですかそれ。その物言い、なんか私が理解力ないみたいじゃないですか」


 ムスッと頬を膨らませる城崎アイリ。ギリギリ十代の彼女を見て(あんまからかうのも可哀そうか)などと思った緑川は、「確かに俺が悪かった」と謝罪し、アイリと真摯に向き合い答えることにした。


「————マンションの一室にあったものが全部、野球ボール大の塊に圧縮されてたんだ」


「——何言ってんですか?」

「だから言ったじゃん!!」


 いつものことではあるが、それでも緑川は思わずツッコまざるを得なかった。


 ◇


 ——都内某所。桐生マンション。

   AM10:00、天候:雨。


 何の変哲もない三階建てのマンション。その一室で、その謎の圧縮現象は発生していた。確かに数々の怪奇現象が芸都では起こるが、それでもその大部分はいわゆる都市伝説に分類されるようなものがほとんどである。実害こそあれど、ギリギリで人間が実行可能、あるいは現代技術なら可能かもしれない——と思えるようなものが多かった。ゆえにアイリがあのような反応をしたのも無理はなかった。


 傘を差しながら外観を観察する緑川とアイリ。真面目に現場検証を行おうとはしているものの、二人とも若干気が抜けていた。あまりにも現実離れしすぎていて、どこか他人事だからだ。


「緑川さん。それでその、いつまで外にいるつもりなんです? 中入りませんか?」

 そう言うアイリに対して緑川は「いや、こういう時はまず外の様子をよく見るべきだ。何事も外堀からだ。俺はそれで昔ハメられかけたからな」と答えた。


「いやでももう30分ですよ。もうよくないですか?」

「…………だとしてもだ」

 ここでアイリは気が付いた。緑川が妙にソワソワしていることに。


「あ。——もしかしてビビってます?」

「……だとしたら?」図星だった。

「いやあの。警察の捜査ってもう終わったんですよね? で、事件性も一応あるけど何もわからない、みたいな状態で半ば迷宮入りみたいなんですよね。で、その捜査中は特に怪奇現象も起きていないと」アイリの発言すべてに緑川は肯定で返した。


「なーんか引っかかるなぁ。だってそれって変じゃないですか?」

「どこがだよ」緑川はやや目線をそらしながらぶっきらぼうに答えた。

「だって、だってですよ。ならこれって今私たちがマンションに入ったところで——たぶん怪奇現象も起きないし、なんならもう手がかりも何もないじゃないですか」

「——たぶんそうなるな」緑川はバツが悪そうにそう答えた。


 ——そう。事件の真相を追う中で、事件の首謀者がそれを妨害しようとすることはあるだろう。だが、その真実の探求者たる警察の捜査中に何一つそのような出来事が起こらなかった。アイリはそのことに違和感を覚えたのだ。——そして、自称とはいえ私立探偵である緑川がそのことに気づかないはずがなく——。


「——緑川さん。? ?」


 アイリの推理に、緑川は「さすがは我が助手。痛いところをつくぜ」と返し、そして観念して答えた。


「——それがな。依頼者は桐生エイリさん、つまりはこの案件で行方不明になっている人物なんだよ」



 ——桐生氏の部屋は3階の【302号室】で、緑川が特技でメールの発信源を辿ってみたところ、それもまた【302号室】だった。

 そして今もなお、そこに桐生氏はいる。


「あの、緑川さん。桐生さんって、警察発表だと行方不明でしたよね? なんでその人が部屋に?」

「わかんねぇんだよ。今朝メールが来た時はよ、探偵の仕事だぁっつってテンション上がってたわけだけどよ。いざこうやって現場へ着くと、なんか嫌な予感もしてくるわけよ」

 要は段々と冷静さを取り戻してきたというわけだ。


「緑川さん。じゃあこれもう無視しますか? 君子危うきに近寄らずとも言いますし」


 緑川の真意をくみ取ったアイリは穏やかな口調でそう訊ねる。だがそれは上辺だけのものだった。何せ彼女はわかっているのだ。グリーン緑川は、と。


「……城崎ちゃん」「なんですか」

「帰れっつっても帰んないよな」「わけないですね。誰が帰りますか」

「……だよな。じゃあまあ、俺のそばを離れないように」「あらら、かっこいい」


 真剣さと軽快さを織り交ぜた会話を交わしながら、二人は【302号室】のドアノブに手をかける。自動ロック式ではあるが、既に内側から解除されていた。

 嫌な静けさの中、雨音だけがコンクリートの上で落下音を反響させる。

 じとりとした湿気が充満する室内が目の前に広がり、二人は警戒しながらもそこへ足を踏み入れる。


「——待て」緑川が右手でアイリの進行を止める。異常を感じたのだ。

 ——いや、それは異常というより、


「リビングの真ん中に、


 緑川は、電気の消えた——と言うより電気設備自体がもう部屋に付いていない——リビングの中心に佇む人影を目で捉え、


「……あんたが桐生エイリか?」

 最大限の警戒を身にまといながら質問を投げた。——その瞬間。


 めき。めきめき、めきり。


 ——部屋のきしむ音がした。


 家鳴りという次元ではない。あからさまにマンションの壁や柱が悲鳴を上げている。


 べき。べきべき、べきり。


 


 ——【圧縮】が、始まったのだ。


「緑川さん……!」アイリが玄関を指さす。

 そこは既にひしゃげており、脱出は不可能だった。


「いきなり攻撃とはな! 挨拶ぐらいほしいもんだぜ!!」


 緑川はとりあえず元気よく叫んでみたが、迫りくる超常現象の前には何も意味をなさない。


 そして、当然の帰結とばかりに【302号室】は野球ボール大に圧縮され、惨劇は繰り返された。雨音だけが変わらずそこに——


 ——いや、室内にいた3人が、無傷でマンションの外への脱出に成功していた。


 そして、緑川の手中には、1


「スキルカード発動。【座標スライド30サーティー】。このカードの効果により、俺とその周囲に存在する指定された対象は、30

「あ! それであんなウダウダやってたんですね!」

「お前なぁ……」

「冗談ですよぉ。私これでも信頼してるんですよ、緑川さんのこと」


 軽口は余裕の証である。二人が窮地を脱したのは偶然ではなく必然。いわゆる推理の依頼ではなくとも、二人はいつも怪異と戦ってきたのだ。


「さてと。じゃあそろそろ、俺たちに事情を説明してくれますかね——桐生さん」


 二人と対峙するのは先刻部屋の中にいた人影——もとい、影と見紛うほどの黒い服に身を包んだ白髪の青年、桐生エイリだった。

 エイリは不敵な笑みを浮かべながら、ついに口を開いた。


「んーじゃ、そろそろ頼むとしますか————本当の依頼ってやつを」


                              To be Continued

 



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