第17話 それでは、いただきます!

「なるほど、そう来るか」


 ティンジェル公爵の顔が忌々しそうに歪むのを、ティアナは生まれてはじめて目撃した。

 万年雪のように溶けることはないと思っていた公爵の表情が、人間らしく引き攣っている。


 ——もしかして、はじめて言い負かせた、かもしれない。


 けれどティアナは微笑みの裏側でキツく奥歯を噛み締めた。小さな勝利を得た高揚感で緩みそうになる気を引き締めたのだ。

 そうして苦虫を噛み潰したような顔をしている公爵に、悠然と微笑みかけた。


「ええ、そう来ます。あなたが造った妖精姫バケモノとしてのわたしの器と、国王陛下が与えてくださった紋章姫としての機能を、十分に利用させていただきます」


 ティアナの生命は紛い物だ。

 人でもないし、妖精でもない。貴族でもないし、平民でもない。


 ティンジェル公爵家の長女の代わりとなるよう妖精女王の魔力を植え付けられて、魔力制御を覚えさせるという名目で領地の塔に幽閉された。


 けれど、ティアナの身に宿った膨大な魔力に目をつけた国王に救われて、自由と権力を得る代わりに王国中に張り巡らせた紋章を使った大規模防御用の魔術回路の要となった。


 紛い物の生命が、名と役目を与えられて人間になったのだ。


「公爵閣下がわたしにした仕打ちは、今でも忘れておりません。けれど、この状況に限っては、あのときの思い出したくもない過去が、過去での経験が、この国の未来と人々を救うでしょう。ですから、許可と、紋章を」


 ティアナは陣羽織サーコートをはためかせ、妖精姫でも紋章姫でもなく、紋章官の顔をして紋章院総裁アール・マーシャルに迫った。


「……仕方がない、王都が半壊するよりはマシだろう」


 しばしの思案の果てに、公爵は深いため息を吐きながらひとつ頷いた。

 口の中で何事か唱えると、すべての事のはじまりである見慣れた巻物スクロールが公爵の手の中に召喚される。

 それを無言でティアナに手渡して、ティンジェル公爵は紋章院総裁アール・マーシャルの顔と声とで指令を下した。


「ティアナ・アンフィライト中級紋章官。セイリオス・ファラーの個人紋章を紋章鑑ロール・オブ・アームズへ登録することを許可する。だが、あくまでも一時的な登録だ」

「ええ、わかっています」


 ティアナはセイリオスを示す大紋章アチーヴメントが記された巻物を恭しく受け取った。

 巻物と一緒に封じられた権能が戻ってくる感覚がする。今まで窮屈だったのだ、と改めて気づくような開放感があった。


 そうしてティアナは巻物を両手で捧げ持ち、そっと練った魔力を流してゆく。

 魔力が通った巻物は淡く輝き出し、紐が解けた。はらりと広がる本紙に描かれた大紋章が、ティアナの魔力に呼応して輝き出す。


「それでは……いただきます我が身に記せ、紋章よ!」


 本紙から剥離した紋章が宙を舞い、光を放ちながらティアナの口の中へと吸い込まれてゆく。


 とろとろと舌の上でとろける食感、口内に広がる蜜の味。

 ところどころカリカリと噛みごたえのある箇所は、ほんの少しほろ苦い。

 その苦さが甘い甘い蜜と合わさって、思わず頬が緩むような美味となる。


 ——このままもう少し味わっていたい。


 けれど現実は、そうも言ってはいられない。セイリオスによる魔力暴走は意志のある嵐となって、王都中心部を目指して進みはじめたからだ。

 だからティアナは大紋章を急ぎ咀嚼して、一気にごくんと呑み込んだ。その喉越しすらも絶品で、思わずティアナの目から涙がこぼれた。


 ——あっ、ああー。終わっちゃった……。


 無念の涙を手で拭い、吸収した大紋章に刻まれた魔力と血統とを紋章鑑ロール・オブ・アームズに取り込んでゆく。

 本来ならば、王室関係者の紋章は時間をかけて取り込むのだけれど、今は悠長になどしていられない状況だ。

 妖精姫バケモノとしての能力ちからを使い、膨大な量の魔力と情報とを捌く。それでも捌き切れずにあふれた魔力が、ティアナの人格と意志とを強く揺さぶる。


 ——だめ。だめ、いけない。今は暴走なんて、していられないの。


 首をふるふる振って自我を繋ぎ止めようと必死なティアナを、強く支える手があった。


「ティアナ、大丈夫か」


 ジョシュだ。

 熱く燃えるような逞しい腕と手で、力強く支えてくれるジョシュの存在に、ティアナはいつも泣きたくなるような感謝と幸福感とを覚える。


「大丈夫。……でも、支えて欲しいの。お願いできる?」

「当たり前だ、喜んで」


 ジョシュはいつものようにティアナを支えると、荒れ狂う魔力暴走の中心地——セイリオスの元へと躊躇いなく進んでゆく。



 ◇◆◇◆◇



「セイリオス卿……いえ、セイリオス殿下。ご気分はいかがですか?」

「ああ……お嬢様レディ、君か。ぼくは今、自由を感じているところだよ」


 魔力に侵され、人格と意志とを塗り潰されたセイリオスは、まるで別人のようだった。自信も自我も薄く、おどおどしていたセイリオスはここにはいない。

 自信に満ち溢れ、万能感が漂う青年セイリオスが、悠然と両腕を広げて笑っていた。


 魔力暴走と循環による酩酊状態。一時的な人格変異だ。

 ティアナにも嫌というほど身に覚えがある。


 ——セイリオス殿下は、酩酊から覚めたあと、忘れているタイプかしら。それとも覚えている方かしら。


 すべてくっきりはっきり覚えているタイプのティアナとしては、是非とも後者であって欲しいと思いながら、ティアナはセイリオスが感じているであろう解放感と破壊衝動とを肯定した。


「そうですか。殿下、このままあなたの自由にしてもよろしいですよ。瞬きひとつ、腕をひと振りするだけで、あなたを苦しめた人間は苦しみ悶え、朽ちるでしょう」

「いいね、そうしようか」


 セイリオスはケラケラと笑い、傷だらけの指をパチンと鳴らした。

 すると、公道が裂け、麦畑がひっくり返り、王都中心部へ向かって亀裂が走る。

 土と麦とを巻き上げながらファラー子爵目がけて伸びてゆく裂け目を、王国を守護する魔術回路が自動オートで防ぐ。亀裂は王都をぐるりと囲む高い壁にヒビを入れ、そこで止まった。


 セイリオスが復讐を果たすのは、彼の自由。

 けれど、どれだけ犠牲を積み重ねても果たす覚悟があるのか、ないのか、理解が及んでいないだけか。

 もし、今が昼間で公道に人がいたら。

 麦畑を管理する農家の民がいたら。


 ——暴走した状態で、他人を気遣える余地もないことはわかっているけれど。


「殿下。なにも知らぬまま力を振い、すべて失くしたあとで後悔するのはお勧めしません」

「どうして。目の前から忌々しいものが消えるのは爽快だろう?」


 セイリオスは本能のままに無邪気に笑った。無垢な青い瞳がティアナに問いかける。


「ぼくを助けない世界なんて、不要でしょう?」


 思わず頷きそうになってから、ティアナはふるりと首を振る。肯定するためではなく、否定するために。


「殿下、難しく考えるのではなく、もっと単純にいきましょう」


 そう言いながら、ティアナは過去を思い出す。

 ティアナもセイリオスと同じように、すべてを破壊したかった。

 自分を救わない世界など、滅べばいいと思っていた。

 そこに、確かに自分を愛してくれるひとがいることも忘れて。助けてくれようとするひとがいることも忘れて。


 ——あのとき、わたしはどうして欲しかった?


 ティアナは、暴走する魔力嵐にじっと無言で耐えながら自分を支えてくれているジョシュの手に、自分の左手をそっと重ねて可憐に微笑んだ。


「わたしはずっと、助けて欲しかった。セイリオス卿、あなたは?」

「ハッ……、なにを、言って——」


 空いている右手は、戸惑いはじめたセイリオスに向かって伸ばす。

 ティアナは、ティアナを地獄から助けてくれたジョシュとともに、セイリオスを助けるべく、一歩前へ踏み出した。

 魔力嵐の吹きつける風を掻き分け距離を詰め、傷だらけで痩せ細ったセイリオスの手をしっかりと掴み取る。


「セイリオス殿下。またみんなで……あの塔で、美味しいお茶を飲みましょう」


 柔らかくまあるい声でそう告げながら、短くも優しい思い出を魔力に乗せてセイリオスへ注ぎ込む。

 注がれたティアナの魔力と、暴走するセイリオスの魔力とが混ざり合う。反発しながら融けあって、少しばかりセイリオスを苦しめた。


「……、…………ッ、う、ああ!」

「わたしは回路の人的制御盤コントローラー。使うあるじがいてこその魔術回路」


 主導権を握ったのは、ティアナだ。


「大丈夫、ゆだねて」


 ティアナはセイリオスからあふれる膨大な量の魔力を制御して、身の内に封じられた回路の要石へ注ぎ込む。要石を通じて王国中に張り巡らせた魔術回路へと魔力を流した。


 身が焼かれるような熱さ。まばゆい光に呑まれて視界が狭くなる。

 それと同時に、王国中の紋章という紋章が淡く光り輝いて魔力を帯びる。


 ティースプーンに刻まれた紋章も、馬車に彫られた紋章も。

 盾に描かれた紋章も、鎧に塗られた紋章も。

 契約書に記された紋章も、ハンカチに刺された紋章も。


 すべての紋章が輝いて、暴走していたセイリオスの魔力を受け止めた。

 後にこの事象は紋章の奇跡と称され、ラステサリア王国の王室が今なお力を持つ象徴として歴史に刻まれることとなる。





 そうして。

 彼方の地平線から月が昇る頃。


「……っ、ぼ、ぼく、は……ご、ごめんな、さい……っ」


 正気に戻ったセイリオスが、泣きながらティアナに縋りついていた。どうやらセイリオスは、暴走時の記憶が残るタイプらしかった。


 そして、地に額をつけて謝るその姿は、奇しくも義弟レオンにとてもよく似た姿である。


 異性に縋りつかれるのも、額を地につけて泣かれる姿も、もう二度目。

 経験に勝る余裕はない。


 だからティアナは微笑んだ。余裕に満ちた微笑みで、可憐に笑う。


「お帰りなさい。大丈夫、心配しないで。あなたの大紋章は、無事、わたしがいただき食べましたから」


 ティアナはそう言い切ると、徹夜後の大仕事を無事、果たせた解放感に浸りながら柔らかく慈悲深い微笑みを浮かべ、そうして気を失うように昏睡した。






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