第16話 わたしが止めます

 ——なんて解放感だろう。


 意識と自我が光によって白く塗り潰されたあと、セイリオスの胸中に訪れたのは、平穏と解放だった。


 頭の芯がふわふわと揺れている。

 今まで自分を縛っていたものが、突然吹き飛んだかのよう。気づけば手足を戒めていた枷が、吹き飛び砕けていた。


 ——静かだ。とても、静かだ。


 目に映る風景は白く、耳から入る雑音は聞こえない。

 心臓がトクトクと鼓動する心地よいリズムだけが響いている。


 セイリオスは瞬きもせずに腕を振るった。それだけで木々が爆ぜ、地面が紙切れみたいに簡単に裂ける。


 その蛮行は、すべて無音の中で行われた。


 けれど、そう感じているのはセイリオスだけ。風が唸り、雷鳴が轟き、反重力場が形成されつつある。

 周囲は暴走した魔力によって地獄が展開されようとしていた。



 ◇◆◇◆◇



 ティアナがジョシュとともに現場へ到着したのは、日が沈んでからのことだった。

 馬車を走らせ王都郊外の森で魔力暴走を起こしているセイリオスを見つけた。

 周囲は黒い雲が垂れ込めて、幾筋もの雷が天と地とを繋いでいる。


 ティアナとジョシュは近寄れる場所まで行き、馬車を止めた。そうしてこれが公務であると示す陣羽織サーコートをドレスの上に羽織りながら馬車を降りる。

 ティアナはジョシュを従え、暴走する魔力で荒れた現場を歩く。


 陣羽織サーコートを翻しながら、自我と意識が魔力によって塗り潰されたセイリオスに向かって行く。

 暴風の中に落ちる雷の音を涼しい顔で聞き流し、不自然に浮かぶ小石や瓦礫を横目で見ながら歩みを進める。

 しばらく歩くとセイリオスを誘拐したらしき黒塗りの馬車が見えてきた。


「せ、セイリオス様……っ、ど、どうされたのです……!?」


 ローブを羽織った男が、馬車にしがみつきながら青褪めた表情で叫んでいた。

 困惑しきった男は、逃げ出すという選択肢を消去してしまったらしい。セイリオスを解放し、連れて行くという、グレバドス公爵から下された命令を忠実に守るためだけに、その場にとどまっている。


 よく見ればその男は、ファラー子爵邸で従僕フットマンをしていた男であった。


「お前がグレバドス公爵家の手先だったのか」


 ジョシュが男のの胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。

 そうして、半壊している黒塗りの馬車に力任せに押し付ける。金色の眼が吊り上がり、鋭く男を睨んで言う。


「聞かなくてもわかるが、弁解の余地を与えてやろう。言え、サーになにをした」

「わ、わたしは、ただ……この宝珠オーブで、セイリオス様が王家の血統であることを証明したく……」


 ああ、やはり。

 ティアナは男の言葉を聞いて、ため息を吐いた。果たして無知は罪か、それとも知を独占する一部の人間が悪いのか。

 きっと、どちらも合っている。


 ジョシュの腕から逃れようともがく男に、ティアナはゆっくりと近づいた。


「魔力的飢餓状態の殿下にその宝珠オーブは逆効果です。宝珠は確かに王室の血統を判定する魔導具だけれど、判定対象者に魔力を流し込んでしまうのだもの」

「そ、それのなにが、いけないのです!?」

「魔力循環が優秀すぎて、かえって暴走を起こしかねないのです」

「……えっ?」


 と、呟いた男の顔は白面に近かった。無知が罪であると悟ったか。それまで自由を求めてもがいていた動きを止めて、代わりにガタガタ震え出す。


「仕方がありません、これは限られた人間しか知らない情報です。グレバドス公爵家であっても得られたかどうか……。ですから、そう……仕方のないこと」


 ティアナは淡々と首を振る。縦ではなく、横へ。諦めにも似た感傷で、ジョシュから解放された途端、その場にへたり込んでしまった男を眺めた。

 その時である。


「ティアナ・アンフィライト中級紋章官。お前の中級紋章官としての権限は封じたはずだが」


 冷気をまとい地を這うような低い声に、ティアナの背筋がゾクリと震えた。歯の根が震えて音を立てないよう、しっかり噛み締めて振り返る。


 そこに佇んでいたのは、漆黒の衣服をはためかせた男。紋章院総裁アール・マーシャルエルバート・ティンジェル公爵であった。


 公爵は大掛かりな転移魔術まで使い、ティンジェル公爵家が所有する黒鋼騎士団を率いてあらわれた。

 鉄仮面のような無表情の公爵が肩で風を切りながら、ティアナへ向かってまっすぐ歩く。

 鋭い視線に射抜かれて、ティアナは心臓がキュッと締め付けられるような苦しさを覚えた。


 いつも唐突なのだ、この公爵は。

 だから心の準備が少しもできない。準備をしてまで迎えたいひとではないのだけれど。

 ティアナの惑いに気づいたからか。ジョシュが公爵の歩みを止めた。ティアナを守るように公爵の前へ出る。


「何用ですか、公爵閣下」

「どけ、ジョシュ・デューラー。貴様が盾になろうと意味はない」

「……ッ!」

「……引かぬとは、いい心がけだ。これほどの番犬に育つとは……惜しいことをした」

「ジョシュ、ありがとう。大丈夫よ、下がって」


 壁のように高く頼もしいジョシュの背中にティアナが触れる。そっとひと撫でするとジョシュが渋い顔をして首だけ振り返る。

 なにか言いたそうにしているジョシュの顔を見て、ティアナの心の締め付けが少しだけ緩んだ。


 それだけで、充分。

 ティアナはキツく皺が寄っていた眉間を緩め、背筋を伸ばした。肩を開いて胸を張る。

 頬には淑女レディの微笑みを。手は指先まで気をつけて、ティアナは公爵に向かって可憐にお辞儀カーテシーを披露した。


「ご機嫌よう、総裁。総裁が封じたのは、血縁鑑定を行うための回路と、紋章をおやつとして吸収するための回路だけでしょう? それに、未来の主人あるじの危機なのです。お助けしなければなりません」


 息を吐いて、それから吸う。耳の奥では周囲の雑音よりも、心臓の音だけが強く響いていた。

 顔を上げたティアナの紫眼は恐れを宿しながらも、公爵をまっすぐに見ていた。


「わたしが止めます」

「……ほう、どうやって?」


 滅多に動かない公爵の眉がひくりと跳ねた。

 そのわずかな挙動だけでもティアナの心臓が縮む。けれどここで退くわけにはいかない、とティアナは勇気を奮わせ言葉を紡いだ。


「ラステサリア王国は紋章の国。紋章によって張り巡らされた魔術回路が結界となり、王国を守護しています。この魔術回路を扱えるのは王族のみ」

「……それで?」


「だから、わたしを通して暴走して膨れ上がった魔力を王国を守護する回路に流します。そうすれば王国の守りはより強固となり、王都への被害も抑えられるでしょう」

「だがそれは、紋章鑑ロール・オブ・アームズにセイリオス・ファラーの血を紋章とともに登録せねばなるまい」


 ティアナの提案を公爵は無情にも首を振って否定した。

 けれど、その言葉は想定内だ。

 だからティアナは可憐に微笑んだ。震える指をキツく握りしめ、一歩前へ踏み出した。


「ええ、ですから総裁。総裁がわたしから取り上げた巻物スクロールを返してください。そして、封じた権能を元に戻して」


 棘のない柔らかな視線の中に、強い意志を込める。

 震える手足とは裏腹に、ティアナの細い首が奏でる声は公爵を貫くように凛と響いた。


「生ける紋章鑑ロール・オブ・アームズであるわたしなら、今、ここで、セイリオス殿下の紋章を登録することができるわ」





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