第11話 ベタ惚れじゃないですか

「おお、生ける紋章鑑ロール・オブ・アームズがお出ましとは! 歓迎するぞ、紋章姫!」


 王都ウルハサの北部にそびえる宮殿でティアナとマリアを出迎えたのは、ラステサリア王国第一王女にして唯一の後継者、しかし継承権を放棄してしまったお騒がせ王女ベアトリス・デア・ラステサリア。


 ティアナを妖精姫ではなく、紋章姫と呼ぶ唯一のひとである。


 ベアトリスはティアナたちを自身の執務室へ自ら案内し、暖炉の前に置かれたテーブルにティアナを着かせた。マリアは付添人としてティアナとともにソファに静かに座る。


 夏のあいだは部屋を暖める役目から美しく飾り立てる役目へと変わる暖炉は、青や白の花が飾られ、華やかな雰囲気を作り上げていた。

 ひだがたっぷりとあるカーテンも、毛足の長い絨毯も、花に合わせた深い青色。

 光の加減で瑠璃色にも見えるその青は、まるで、海の中にいるかのよう。以前、この執務室は、真紅と黄金で彩られていたというのに。


 ——殿下は本気なのだわ。


 シェバイを象徴するような色彩に囲まれた部屋は、ベアトリスの想いの深さのようだった。


 来春にシェバイ海洋連合王国の若き王の元へ嫁ぐベアトリスは、ラステサリア王国の王太女にして唯一の王位継承者であった。

 シェバイの王と婚姻を結ぶ話をベアトリス自身が持って来る前は、未婚のまま王国に身を捧げる覚悟で邁進していた傑物である。


紋章姫ティアナよ、紋章の鑑定審査業務はどうした。紋章院は今、忙しいのではないのか?」


 ニヤリと笑う真紅の眼が鋭く光る。


 ——これが王家が持つ妖精眼グラムサイト。……あら、わたし、この輝きを最近どこかで見たような。


 ベアトリスが持つ真紅の眼は、王族特有の眼だ。王室の血を色濃くついだ人間にあらわれる妖精眼グラムサイト

 ティアナは胸の内に沸いた疑念をひとまず脇に置き、淑女として完璧な微笑みをたたえて答えた。


「ええ、忙しいですよ。わたし以外の上級、中級の紋章官はみな、家に帰れておりません」


 紋章院は今、夢と希望と可能性に賭ける貴族たちが、紋章鑑定という名の血縁鑑定をするために大盛況である。

 彼らが狙っているのは、ベアトリスの後継だ。


「ははは、そうかそうか。盛況だな。それで、どういうわけでティアナ嬢がここへ?」

「殿下の婚約式をとり仕切る担当官として、参りました」

「模範解答だな。だが、私が知りたいのは、そういうことじゃあない」


 ベアトリスは肩をすくめて唇を尖らせた。その姿は、まるで子供のような自然体だ。二十も半ばになるかならないか、といった歳の大人がしていい顔ではない。

 けれどティアナは、ベアトリスが時折見せる自然体な姿を気に入っていた。

 気を許してもらっているという感覚が錯覚なのだと気付いていても、抗えない。


 ——これが、ひとの上に立つ人間か。


 するりと容易に心の中へと侵入を果たし、いつの間にか支持してしまう。

 ティアナはゾクリと背中が冷える気配を感じながらも、ベアトリスへ向ける微笑みだけは決して崩さない。


「……ある大紋章の鑑定をしていましたが、中断要請が入ったうえに、総裁に鑑定と吸収の魔術回路を封じられました。つまり、わたしだけ暇ってことです」

「ははは、それは災難だったなぁ!」

「殿下、笑いごとではありません!」

「ふ。当事者には辛いことだな」


 ふと、目を細めて慈しむような柔らかさを見せるベアトリスに、ティアナはようやく寂寥せきりょう感を覚えた。


「……その、殿下は本当にこの国を捨てて行ってしまわれるのですか?」

「捨てるわけじゃないさ。ただ、シェバイはあまりにも遠すぎる。それに私はなにも心配はしていないよ。ラステサリア王国には、王室の血を引く有能な公爵家が三つ……いや、今ではそなたの家も含めて四つある」


「……有能、ですか? ティンジェル家は王室派、グレバドス家は議会派、ヒューレット家は中立で、アンフィライトは権力を持たない名ばかり公爵。泥沼になる未来しか見えません」

「厳しいな、ティアナ嬢は。名ばかりであっても、公爵は公爵だ」


 淑女というよりは女傑の笑みを浮かべるベアトリス。


「……まあ、中立であるヒューレット家はさて置いて、王室派と議会派の間に広がる溝が、これ以上深く広くならなければいいのだが……とは思っているよ。現に今も、何やらコソコソと動き回っているようだからな」


 国を出る人間の感傷でしかないが、と続けてベアトリスが呟いた。伏せられた長い金の睫毛が震えている。

 遠くシェバイへ嫁ぐことを決めてもラステサリア王国の行末を案じてしまうのは、ベアトリスにとって息をするのと同じこと。

 ベアトリスから哀惜の念を感じ取ったティアナは、暗く沈んだ雰囲気を吹き飛ばすように、パチンと両手を合わせた。


「雑談はこれくらいにいたしましょう。……殿下、個人紋章はどうされるのです?」

「そうだなぁ……。継承権も放棄したし、シェバイで作らせる予定だったが……こうして紋章姫ティアナが目の前にいる。ならばそなたに作らせるのもいいだろう」


「わ、わたしがですか!? で、でしたら……! イチから作り直しますか、それとも今お持ちの紋章をシェバイ式に直して……あっ、大紋章も作りますよね。それならクレストは今もお使いの金獅子にいたしますか!?」


「ふは! 紋章のことになると相変わらず前のめりだな。シェバイに嫁いだら、そなたのその姿を見れなくなるのは寂しいものだが……ティアナ嬢が紋章設計をするならば心強い」


 白く輝く歯を見せながら豪快に笑うベアトリスの顔からは、もう物悲しさは消えていた。

 ひとしきり笑ったベアトリスは細く尖った顎を白く長い指でひと撫ですると、真剣な表情でティアナに向き合った。


「……大紋章のクレストだったな。金獅子はやめてくれ。それはラステサリア王室の象徴だ。シェバイ海洋連合王国の象徴でもある鮫にして欲しい。エスカッシャンを支える動物サポーターも、シェバイ式で大海蛇シーサーペントを配置してくれ。ああ、そうだ。シェバイ式の大紋章は、外套マントルではなく天幕パヴィリオンだ。そこも忘れず変えるように」


「ベタ惚れじゃないですか」

「そうなのか?」


 大紋章の装飾とはいえ、なにからなにまでシェバイ式に変えたいと言っておきながら、ベアトリスには自覚がないらしい。

 執務室の内装だって、シェバイの気配青色で満ちているのに。


 美しいかんばせをキョトンとさせながら真紅の双眸で瞬きをする姿に、ティアナは「惜しいな」と思ってしまった。


 ——殿下がラステサリアの女王になる姿を見たかった。


 深く感傷に浸っていたのはベアトリスよりもティアナのほう。それに気付いて、ティアナはそっと手を握りしめる。


 ——仕事を。旅立つ殿下のために完璧な仕事を捧げよう。


 ティアナはすっと背筋を伸ばした。腰を立ててお腹に力を入れる。握って拳にしていた手は開き、膝の上で重ね合わせた。


「肝心のエスカッシャンはどうされますか? 王冠を戴いた金色オールふくろう橙色テニーの下地……現王室の図案チャージを引き継ぎますか、それとも新たに描き起こしましょうか」


「叶うことなら、私の名前から図案チャージを決めて欲しい」

「ベアトリス殿下のお名前……喜びの運び手、幸せの担い手。いえ、いいえ。もっと古い言葉で使われていた、航海者、旅行者……こちらの意味でお作りいたします」


「ははは、さすが紋章姫! わかってくれたか。航海者だなんて、シェバイへ嫁ぐ私を象徴するようだろう?」

 ——と。


 ベアトリスが何気なく放った言葉に、ティアナは雷にでも打たれたような閃きを得た。


 頭の中を覆っていた霧が、その雷によって吹き飛ぶような痺れと爽快感。

 心臓が激しく鼓動する。

 呼吸だって早くなる。

 天啓を得たティアナは奥歯を噛み締めた。


 ——ああ、ああ! だ!





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