第24話 繰り返す


「——お願いします」


「はい、確かに受け取りました。頑張ってね」


「はい……っ!」


 私が今いるのは、『第四病院』。


 病院の一階で、海堀さんに書類を提出する。提出した書類は宿泊届。泊まり込みで研究をするのは久しぶりである。


 日用品や食料品の買い物を寿人くんにお願いした。私は一刻でも早く研究室に向かうため、早足でエレベーターへと急いだ。


 エレベーターの扉が開き、見慣れた5階の景色が広がる。


 唯一普段と違うのは、私が借りている研究室の前に大きな人影があったことだ。


「——岩清水先生……」


 私はその長身の女性に声をかける。


「やあ、沙月ちゃん。そろそろ来る頃だと思ってたよ」


「……どこまで分かっていたんですか?」


「うーん、沙月ちゃんがかすみちゃんの病室から出てきたとき、かなぁ」


 そういえば、因果が何とか言っていたような気がする。けらけらと笑う岩清水先生に若干の恐怖を抱きながら、質問する。


「……私は見つけられるでしょうか」


 やるとは決めた。もう諦めることはない。それでも心の中には、不安が残っている。


「確証はないよ」


 岩清水先生は無慈悲に言い放つ。


「でも、無理とは思っていない。本当は一緒にやりたいんだけどね。どうしても、外せない用事がたくさんあるんだ。だから、これ」


 岩清水先生からファイルを受け取る。


「ありがとうございます……!」


 ファイルのタイトルは、【『ネオンフィーブ病』について】。100人力だ。


「何か困ったことがあったら呼んでくれていいからね。それと、かすみちゃんにも言い訳しといてあげるよ」


 そう言い残して、岩清水先生は小さく手を振りながら立ち去ろうとする。


「ありがとうございます。図々しくて、すみません。かすみさんに伝言をお願いしていいですか?」


 岩清水先生を引き止めて依頼する。


「いいよ。何かな」


「約束破ってごめん。でも、必ずまた会いに行くから、と」


 宣誓する。私自身に向かって。


「……必ず伝えるよ。それじゃあね」


 深くお辞儀をして、私は岩清水先生を見送ったのだった。


 ******


 研究室に入ると見慣れない器具が目につく。


「これは……」


 今年発売された最新モデルの遠心分離機。


「『セパラチオ049』……」


 私が普通に働いていたとしても、一生触ることすらできない代物。柄にもなく気分が上がる。


「しかも、完璧に調整済みじゃない……」


 今すぐにでも使えるように、この部屋に合わせて調整されている。ミキシング作業ロボットや洗浄ロボット、記録ロボット。その他多数の研究用ロボットが役目を待っていた。


 机に貼られてある付箋を見つける。


『頑張ってね』


 その言葉を見て、私は再び深くお辞儀をしたのだった。


 ******


 鈍っていた。昔より、明らかに指が重い。一つ一つの作業工程を確認しなければいけない。昔なら何も見ずにできたのに。


 体も脳も以前より劣化している。その事実に打ちのめされながらも、一つずつやれることをやる。嘆く暇があるならば、指を、頭を動かしたほうがいい。ぬるま湯に浸かっていた三年間。そのブランクを取り戻すべく、私は手と脳みそを動かしていた。


「ピー! ピー! ピー!」


 電子音がミキシングの終わりを告げる。幸いなことに、この場所には薬の材料がたくさん存在する。


 ファイルに書かれていた失敗例。そのレシピに書かれていない組み合わせをひたすら試していく。そして生まれた化合物と『ネオンフィーブ病』が生み出す異常細胞を混ぜて反応を観察する。この際、異常細胞に何らかの反応があれば記録する。


 こうして精度を上げていき、最終的に異常細胞を抑制、あるいは正常化させる機能のある化合物を発見するのが目的である。


 容器に材料を入れる。混ぜる。反応を確認する。記録する。調整して、もう一度。この一連の流れをひたすら繰り返す。


 繰り返す、繰り返す、繰り返す、繰り返す————

 ————繰り返す、繰り返す……。


 ……反応はない。


 試行回数は軽く100を超える。


 口の中に水分を感じない。すごく喉が渇いている。


 一度頭の中をすっきりさせよう。そう思い、立ち上がり背伸びをする。


「お疲れ様」


 入り口近く、研究室の隅っこに寿人くんがいた。


「……、……っ」


 マスクを外し、言葉をしゃべろうとするが、声が出ない。何だか頭もふらふらする。ゆっくりと歩き出し、食品用の冷蔵庫からペットボトルをとりだす。


 蓋を開ける手に力が入らない。


「開けるよ」


 ペットボトルと格闘している私を見かねたのか、寿人くんが手を差し出してきた。私は素直にペットボトルを渡す。


「はい、どうぞ」


 もう一度差し出される手。


「ぁりがとう」


 かすれきっているが、何とか声は出せた。ペットボトルの中身を一気に飲み干す。想定以上に苦い。


「げほっ、げほっ」


 むせる。お茶が本来の軌道を無視したのだ。


「大丈夫っ!?」


 寿人くんがおおげさに心配する。


「だ、大丈夫。少し、変なところに入っただけだから……」


 無駄に体力を消費してしまった。いろいろとかっこ悪い。今更な気もするが。


「すぅーー、はぁーー。もう、大丈夫……」


 何とか落ち着こうと深呼吸する。


「本当に大丈夫? 顔、青白いよ……」


 不安そうな顔をする寿人くん。


「本当に大丈夫……。それに、今は無理をしたいの……」


 やつれているのは分かっている。だけど、今は自分をいたわっているときではない。


「……分かった。これ以上、言わない」


 寿人くんがまっすぐこちらを見る。なにやら覚悟を決めたような、そんな表情をしている。


「何か手伝えることはある?」


「できれば……、朝にあたたかいコーヒーと『ここあ』のクロワッサンを持ってきてくれる?」


「それだけでいいの?」


 キョトン、とした顔。


「昼や夜は随時お願いするかも……」


「任せて、お安い御用だよ!」


「ありがとう……、とても助かるわ」


 寿人くんの座っている近くの机。その上に置かれている大量の食品たち。大きめのレジ袋がパンパンになっている。それも4袋。


 保存がきくものというリクエスト通り、インスタントでお湯さえあればできるものばかりだ。ありがたい、ありがたいが、この量があれば、三ヶ月は暮らせそうな気がする。頼んだのは一週間分だったはずだが……。


 まあ、多いに越したことはないだろう。


「なぜこんなに離れていたの?」


「邪魔しちゃいけないと思って、あと、近づいちゃダメな薬品があるのかもと……」


「……それもそうね」


 マスクにゴム手袋をしていたら危険なものを取り扱っているのかも、と考える。それは自然なことだろう。私も子供のころにそんな時期があったような、なかったような。


「目に入ったら失明、みたいなものは扱ってないわ。薬を作っているんだから」


「たしかに……、そうだね」


「それに危険物を扱うときはゴーグルもつけるわ」


 そういって、私は手でメガネをつくる。


「ははっ、そうだね」


 寿人くんが笑ってくれる。それだけで、少し穏やかになれる。


 そんな余裕が心の中にできたような気がした。




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