第5話 第一王子フィリップ〜二人目の攻略者〜


 結局、もう一度医者を呼ばれて、一部ではあるけれど私の状況は周囲に知らされることになった。もちろん、ほとんど全ての記憶をなくしているということは伏せて。

 あっという間に王室中に知れ渡ったレア王女の『状態』は一部の人間を青くさせるには十分だったようだ。

 知らない侍従や知らない大臣、果ては知らない近衛長などレア王女への「見舞い」が入れ替わり立ち替わり目まぐるしく訪れる。少し驚いたのは、伝達係が母親からの言伝まで持ってきたことだ。私の体調を案じる簡易なものではあったけど、これまで母に蔑ろにされてきたレア王女であったなら泣いて喜んだのではないだろうか。それでも私はそのどれもにも心が動かなくて、ようやく人が出払った部屋で一息をついた。王族なのだからもしかしたら派閥争いもあったかもしれない。レア王女に力を入れていた連中はどうなるだろう、身の振り方を考えるだろうか。

 思ったより面倒くさいことになったな。私は疲労が纏う体をベッドへと預けた。


 コンコンコン、控えめにノックされた扉に、少し閉じかけていた目蓋を開く。また誰か噂を聞きつけてきたのだろうか、私は少し面倒に思う声色を隠さずに、どうぞ、と声をかける。静かに開かれた扉の向こうには、今日図書館で見たばかりの顔。


「ーーールドルフ」

「お休みでしたか」

「いえ、大丈夫。少し疲れただけです」


 失礼します、と一礼をして入ってくるのに力なく笑いかける。見慣れた顔ーーゲームでだけどーーにほんの少しだけホッとしたのも事実だ。


「大変でしたね」


 立ち上がろうとしたのを手で制されて、私は大人しくベッドに腰掛けた。

 大変というのは先ほどまでひっきりなしに訪れていた見舞客のことだろうか、それとも今の私の状態?

 近くから見下ろされるアイスブルーの瞳は何を考えているのか分からなくて、ほんの少しの居心地の悪さを感じる。


「昼間、」

「え?」

「昼ごろお会いしたい際には、すでにご記憶が?」


 ああ、そういえば。今日彼に会った際には、結局私は何も言わずに通したのだ。あのときは何て説明したらいいか分からなかったし、まだ私も混乱していたから。

 まあ、今もまだ十分混乱中なのだけれど。


「はい、今朝から。…すみません、私もまだ実感がなくて」


 申し訳なく思い目を伏せると、ゆっくりとこちらへ近づいてきたルドルフが、すぐそばへ膝をついた。


「私の名前は、覚えていてくださったんですね」


 力なく投げ出されていた私の手を、ルドルフの手が優しく拾い上げた。手の甲から包まれる大きな手のひらは、すっぽりとレア王女の白い手を覆ってしまっている。文官らしく傷のない長く、綺麗な指はそれでも節くれだっていて、男性であることを思い出させて心臓が高鳴った。

 ふとかち合う瞳は、先ほどより優しい色をしていた。心配だと青い瞳が、心なしか下げられた眉が雄弁に語っている。ほんの短い瞬間が、とても長く感じられたーーーそんな静寂を破ったのは無遠慮に開けられた扉の音だった。


「レア」


 この国の第一王女を無遠慮に呼び捨てにするなど、数えられるほどしかいないだろう。その少ない一人であり、十分その資格があるーーアルマナの第一王子でありレアの一番上の兄であるフィリップ王子がそこには立っていた。


「妹の部屋とはいえノックくらいしたらどうだ」


 扉の向こうでは控えていたであろう近衛兵が慌てている。本来であれば彼らが入室を告げる声をあげ、仰々しく扉を開いてくれただろう。その兵たちの鼻先でフィリップ王子は遠慮なく扉を閉めた。

 ルドルフの非難がましい声におや、と思うが記憶を巡らせてすぐに思い当たった。そういえばこの2人は昔馴染みで、地位が明確になった後も2人きりのときやプライベートのときにはお互いを名前で呼び合うーー何その関係性萌える、と一部のユーザーを大喜びさせていた記憶がある。


「邪魔したかな」


 繋がれたままの私たちの手にチラリと視線を寄越すと、邪魔だなんて微塵も思っていない無遠慮さでズカズカと近づいてくる。気まずく思って離そうと少し力を込めた手は、ルドルフによってさらに強く握りしめられた。


「レア、記憶喪失だって?」


 見下ろされる目は心なしか冷たく、緊張で背中に汗が伝った。この男はどんなキャラクターだっただろう。確かメインの攻略対象であり、典型的な王子様らしい性格だったはずだ。正直、少し好感度を上げればデレデレに甘やかしてきて、攻略しやすかった印象しかない。確か主人公にも最初はつっけんどんな対応をしていたはずだが、レアとの関係はどうであったのだろう。レアのわがままを時折強く諫めていたのは彼の役割だったと思うから、あまり良好ではなかったのかもしれない。

 そこまでで、私は急に思い出した。レアの最期を、処刑をなんの躊躇もなく号令を出すのはこの男だったと。

 ひゅ、と息を呑む。

 この男に、下手な隙を見せるわけにはいかない。


「記憶喪失と言っても、少し記憶があやふやなところがあるだけですのよーーフィルお兄様」


 にっこり微笑んでどうだと見つめる。確かレアはこんな愛称で兄を呼んでいたはずだ。間違ってはいなかったのだろう、器用に片眉を上げて見せた兄は、興味を失せたようにルドルフに視線をやった。


「そうか、養生しろよ。ーーところでルドルフ、お前に話があったのだが」

「いま戻る」


 ルドルフが立ち上がると同時に、繋がれていた手も離れて、なくなった体温に不安な顔でもしていたのかふっと笑いかけられた。


「また来ます」


 とっとと背を向けていた兄を追って、ルドルフも扉の向こうへと姿を消す。

 誰もいなくなった室内で、私は体中の空気を出すような今日一番の深い深いため息を吐いたのだった。

 

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