第6話「聖典」
じゃん、という一言とともに西条がスマホの画面を見せた。〈幕末龍神伝〉というゲームソフトが映っている。
「二日前に通販で買っちゃった。たぶん、今日帰るころには届いてると思う」
「まーたRTAかよ」
ちがうよ、と西条はこたえた。「放課後、いっしょに帰って遊ばない? ていうお誘い」
俺は窓から晴れわたった空を見あげた。
「気候変動もここに極まれり、か。今日は雪だな」
「どういう意味よそれ!?」
「そのまんまの意味だよ。お前が俺をRTAのサポート以外で呼ぶなんて、雪が降ってもおかしくないだろ」
ちなみにもうすぐ七月である。制服も夏服に切りかわったばかりだが、いいタイミングだった。年々暑くなる夏に、俺はいい加減、うんざりしはじめていた。
西条は少し口を尖らせ、頬を膨らませた。ぶつぶつと何か言っている。
「私だって……お礼……」
「は? 何だって?」
「私だってたまには長山にお礼とかしたいし。RTAにつきあってくれてるのもあるけど、三上さんとの件では迷惑かけちゃったし」だから、と西条は言った。「いっしょにゲームを楽しもうって言ってるの。わかる?」
俺は思わず西条の顔を見つめてしまった。まさかこんな風に気をつかってもらえるとは思いもしなかった。
西条から目をそらし、ごほん、と咳払いをする。「そ、そういうことなら、俺もやぶさかじゃあないが」
「本当? やった!」
あまりに嬉しそうなので、対応に困る。
「その〈幕末龍神伝〉っていうのはどういうゲームなんだ?」
「アクションゲームだよ。多人数プレイができる3Dアクションで、架空の幕末で暴れる龍を退治するっていうゲーム。セーブ機能もないみたいだし、たぶんクリアーまでそんなに時間かからないんじゃないかなあ」
「気楽にやれそうだな」
「取りこまれることもないんじゃないかな。何となく、だけど」西条は言った。「RTAのとき以外、ああいう現象は起きないみたいだし」
たしかに、RTAの試走では何も起こらなかったと言っていた。やはり、RTAがあの異常現象にかかわっているのだろうか。
「ちょっと待て。お前、部活はどうするんだ?」
「期末試験二週間前は、部活禁止だよ」
「部活禁止なのにゲームをするのか」
「テスト勉強なんて、一週間あれば十分」
どうやら西条様は、俺とは頭の作りが根本的にちがうらしい。さすがはチャートをすべて頭に叩きこめる女。
「試験前だとやっぱり駄目?」
「いや、つきあうよ。一日勉強しないぐらいで試験に影響が出るようなら、たとえ一年かけても結果は同じだ」
「意外と悲観的ね」
悪かったな、神経質で心配性で悲観的で。
放課後、西条の家に向かうと、〈幕末龍神伝〉は届いていた。
〈幕末龍神伝〉は格闘ゲームのような複雑な操作こそないが、奥の深いゲームだった。プレイヤーは剣豪となり、龍の手下である悪鬼を倒しながらステージを進んでいく。ステージの最後には龍がいて、それを倒せば次のステージへ行くことができる。
ただボタンを連打し、攻撃を敵にうまく当てるだけで、技がつながっていって、大ダメージを与えられる。誰でもできるゲームだが、攻撃よりも立ちまわりが難しい。3Dのアクションゲームなので、突進しすぎるとすぐに敵に囲まれてしまう。数の暴力にはかなわないので、取り囲まれないように動くことが必要になってくる。
多人数でプレイすると、取り囲まれても助けてもらえるので、多少ラクになる。仮に囲まれても、一撃必殺の技で敵を蹴散らすこともできなくはない。
敵を蹴散らす。これは〈幕末龍神伝〉の面白さのひとつであり、プレイヤーに爽快感を与える一因になっている。単独で多勢に無勢を引っくり返せるのは気持ちがいい。
ただ、ゲームのボリュームはもう少しほしいところだった。俺と西条で協力しながらゲームを進めると、あっという間に最後のボス……クリカラの龍のもとまで到達してしまった。
「ダウンロードコンテンツでステージが増えたりしないかな」西条は少し不満そうだった。いつもRTAのような過酷なゲーム体験をしている身からすると、このボリュームでは不満なのだろう。
クリカラの龍は蛇のように長い身体を持ち、二本の巨大な角を生やしている。伝統的な日本の龍という姿だ。
「私が前に出るから、長山はサポートお願いね」
「何で剣豪設定なのに、武器に弓があるんだろうな」
剣豪=日本刀、というイメージは間違っているんだろうか?
クリカラの龍は俺たち……正確には俺たちが操る剣豪たちをねめつけ、言った。
「お前たちは聖典を持っているのか?」
俺たちはじっと画面を見つめた。ここは剣豪たちとラスボスであるクリカラが会話するシーンだ。俺たちは剣豪が何か言うのを待った。
だが、どれだけ待っても、剣豪は何も言わない。それどころか、クリカラの動きもとまってしまった。
「ちょ、ここまで来てフリーズ?」西条はゲームパッドを操作しながら言った。俺もボタンを押してみるが、剣豪はぴくりとも動かない。
「こたえろ。聖典を持っているのか?」クリカラは言った。
「聖典、て何だ?」俺は西条に言った。
「さあ……そんなアイテム、なかったよね」
聖典なんてアイテムは登場しなかったし、設定にもなかったはずだ。
ひょっとすると、どこかに隠してあるアイテムで、それを見つけないとクリカラと戦えない、あるいは勝てないという設定になっているのか? このまま最初のステージに戻されて聖典探しをしないといけないとするなら、デザイナーはかなりいじわるだ。
「聖典の存在を知らぬのか?」クリカラは言った。
……妙だ。俺は西条を見た。西条もまた、おかしいことに気づいたようだ。
「ひょっとしてこのラスボス、俺たちに話しかけてないか?」
「そう聞こえなくもないけど、さすがにそんな」
「お前たちに話しかけているのだ。なぜわからない」
西条はひっと声をあげ、ゲームパッドを投げだした。俺はあぐらから片膝立ちになり、西条を守るようにTVの前に出た。
「お前は、誰だ」俺はたずねた。
「クリカラの龍……創造主によってそう名づけられ、〈幕末龍神伝〉の最後の番人を務めるもの」
「お前、自分がゲームの中の登場人物だってわかってるのか?」
「ゲーム……ああ、娯楽のことか。左様。わしはこの世界がゲームであることを知っておる」クリカラは言った。「だが、お前たちから見ればゲームであったとしても、わしにとっては本物の世界。聖典について知らぬのならば、ここで食い殺してくれる」
「待て。その聖典っていうのは何だ?」
「わしらを破滅へ導く武器だ」クリカラは言った。「聖典が存在する限り、わしらに勝ち目はない。わしらは、わしらの世界を守るために、聖典を破壊する」
クリカラが動きだした。西条はゲームパッドを握ろうとはせず、ただ目の前の事象を受け入れることで精いっぱいな様子であった。
俺は迷わず、ゲームの電源を切った。念を入れて、プラグも抜いてしまう。
「西条」俺は西条の肩を揺すった。「しっかりしろ」
「何、今の。オンラインゲームじゃなかったよね、これ」西条の顔は蒼白だ。「何でゲームの中のキャラが話しかけてくるわけ? 全然意味わかんない」西条は俺にこたえを求めるかのように言った。
いや、と俺は言った。「〈ファイナルブレイド7〉のときからおかしかった」
理由はわからないけど面白いから、RTAに役に立つからと、異常事態の解明をあとまわしにしてきた。そのつけが今、まわってきたような気がした。
「西条、もうこのゲームには触るな」俺は言った。「同じような事態に遭遇してる奴がいないか、調べてみよう」
西条はうなずき、すぐにパソコンを起動した。俺はスマホでSNSにアクセスし、思いつく限りのキーワードを入力した。
ゲーム自体のボリュームが少なかったからか、クリカラまでたどりついたのは俺たちだけではなかった。
「ラスボスに変なこと言われたんだけど、あれ、何? こっちに話しかけてるみたいで、ちょっとこわいぐらいリアルだった」
「聖典なんてアイテム知らないぞ」
「作ってたときはあったけど、製品化するときに削ぎ落とした要素が残ったとか?」
「ダウンロードコンテンツを見こして、クリカラに言わせたんじゃないの?」
「ただの世迷言だろ。ぶっ殺してやったわ」
俺も西条も、似たような書きこみに出くわした。奇妙な現象に襲われたのは、俺たちだけではないらしい。ゲーム世界に取りこまれたときとは大きなちがいだ。
「私たち以外にも体験した人がいるみたいね。時間が経てば、もっと増えるかも」西条は少し落ちつきを取り戻したようだ。
「なあ、クリカラが言ってた言葉、おぼえてるか?」
「聖典を破壊する」
「その前だ」俺は言った。「あいつ、『わしら』って言った。聖典はわしらを破滅へ導く武器だって」
「仲間がいる、てこと? 〈幕末龍神伝〉の他のステージの龍のことかな」
「そうかもしれない。あるいは」俺は自分でも信じきれていないことを口にした。「他のゲームのキャラクターを指して、『わしら』と言ったのかもしれない」
〈幕末龍神伝〉は俺が預かることにした。平静を取り戻した西条だったが、こんなものがそばにあっては落ちつかないだろう。俺は神経質で心配性で悲観的だが、一度悩みはじめた西条は、俺以上に神経質になるおそれがある。その元凶を西条のそばに置いておくわけにはいかない。
「あんまり考えないようにしろ」西条の家を出るとき、俺は半ば命令するように言った。「ゲームデザイナーの悪ふざけかもしれないし、ダウンロードコンテンツを見こしての演出かもしれない。今はAIが進歩してる。俺たちの会話にあわせて、ゲームのキャラクターをしゃべらせることだってできないことじゃない」
「そ、そうよね。そういうことだってあるよね」西条は自分に言い聞かせるように言った。「このゲームを作った会社、ちっさいとこだし、ただのバグの可能性もあるよねっ」
小さな会社。それはそれで不安だ。そんな小さな会社が、あんなに正確で自然な受け答えができるAIを作ることができるだろうか。
俺は家路についた。西条の家と俺の家は、徒歩で十分ほどの距離だ。
自宅のそばまで来て、立ちどまった。
家の前に誰かが立っている。長身の男だ。たそがれどきのため、顔がはっきりと見えない。俺は目をこらした。
「こんばんは」
男が話しかけてきた。ちょっと甘い感じの、女性が聞いたらぞくっと来るのではないかと思う美声。
その声で、思いだした。
小野宗助。〈ドラゴンサーチャー〉の登場人物・CEO神郷の声を担当する声優。なぜそんな有名人が、俺の家の前に立ってるんだ?
「こんな姿ですまないね」小野は優雅に頭をさげた。「だが、本当の姿を見せずにすむならその方がいい。君たちにとってはね」
「……何のご用ですか」俺は一歩、さがった。
小野宗助のことはほとんど知らない。名前も顔も、中村に教えてもらったばかりだ。〈ドラゴンサーチャー〉のイベントのときは、さすがは芸能人、話すのもうまければ人当たりもいい、なれてるなあ、ぐらいしか思わなかった。
だが、立て続けに奇妙なことが起こったからだろうか、俺の神経は研ぎ澄まされていたようだ。
こいつは、イベントで見た小野宗助じゃない。小野宗助の姿と声を借りた、何かだ。
「聖典をわたしてはくれないか」
また聖典か。「あんた、クリカラの仲間か」
「クリカラの龍が先に接触していたか」小野は薄暗くなっていく空を見あげ、「聖典を手に入れたという報告は、聞いていないな」
「当たり前だ。そんなもの、俺は知らない」
「お友達はどうかな」小野は薄笑いを浮かべた。「彼女なら知ってそうな気はするが」
「西条も同じだ! あんたはかんちがいをしてる! 聖典なんてもんは、ここにはない!」
小野は軽く肩をすくめ、「そうか、どちらかというと彼女の方が持っているかと思っていたが、私の思いちがいだったようだ」
「何なんだ、あんたは」
「小野宗助、と言っても君は信じないだろうね」小野は不敵な笑みを浮かべた。「CEO神郷。今はこの男の身体を借りて、この世界……地球に少しお邪魔させてもらっている」
「CEO神郷? 子供だからって馬鹿にするな! 現実とゲームのちがいぐらい」
「ついている。さて、それは本当かな?」
俺は言葉に窮した。これまでさんざん、「現実そっくりのゲーム」を体験してきた。〈ファイナルブレイド7〉が、〈エルダーリング〉が、〈トーキョーネオ〉が、どうしてただのゲームだと言える?
「聖典は他にあるようだな」小野は言った。「あまり時間はないが、あわてずに探させてもらうことにするよ。その結果」小野は何でもないことのように笑い、「地球人が滅びたとしてもね」
小野は背を向けた。「今日はこれで失礼させてもらうよ。さようなら、坊や」
待て、とは言えなかった。言ったところで、小野……CEO神郷にかける言葉がない。
それに、もし声をかけたとしたら、俺は殺されていたかもしれない。何の力も持たない一般人が、ゲームのラスボスに挑むように。
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