第2話「ドラゴンサーチャー」

 西条が常人ではありえないほどの脚力で跳躍し、ライオンの頭と身体、そして白鳥の翼を持つ大型獣の頭部に、大剣を振りおろした。

「最後の一撃くれてやるよ!」おおよそ年ごろの少女が口にしないような言葉を吐きながら、その一撃は命中した。

 細身で体重も軽い西条だが、大剣の重量と落下エネルギーの乗った一撃は、大型獣の頭を見事にかち割った。

 もっとも、大型獣を倒した技に物理法則など何の関係もない。跳躍後の一撃は、ゲーム中に身につけた、ただの「技術」であり、大ダメージを出せることが確定している「必殺技」だ。

 鮮血を噴きだしながら大型獣が横倒しになった。返り血を浴びながら、西条が俺に向かって笑顔で手を振っている。ゲームをプレイ中は鬼のような顔をしているが、終わればごく普通の女の子に戻る。

「見て!」西条は空を指さした。

 俺は指が指し示す方向を見た。タイマーが宙に浮かんでいる。時間は「02:58:23」でとまっている。

「思ったより早くクリアーできたな」近くの岩に座ったまま、俺はあいさつ代わりに片手をあげた。

「長山のサポートのおかげよ」

 西条は本当に嬉しそうだ。満足感もあるだろう。しかし俺にはむなしさしかなかった。何しろ俺がやったことと言えば、大型獣の動きを鈍らせる魔法をかけ続けることだけだったからだ。

 ああ、俺も西条みたいな大剣を握りたかった。あいつみたいな体力お化けだったら、剣を任されたのだろうか。筋肉質とはほど遠い自分の肉体が恨めしい。

 俺、長山幸喜と西条巴がいる場所は、コンピュータゲームの中だ。〈エルダーリング〉というファンタジーアクションRPGで、理由はわからないがこの世界に呼ばれ、ゲームクリアーを目指すことになった。

 それも、ただのクリアーではない。西条は「RTA」を行っていた。

 RTA……リアル・タイム・アタック。要は、ゲームをいかに早くクリアーするかを競う遊びだ。事前に綿密な調査を行い、「チャート」と呼ばれるゲームクリアーまでの手順書を作り、ゲームに臨む。

 俺はあたりを見わたし、ため息をついた。

 〈エルダーリング〉の世界は広大で、木々の一本一本までもが美しく、幻想的である。本音を言えば、この世界を心ゆくまで堪能したかった。〈エルダーリング〉はオープンワールド型のRPG。どこに行こうが、プレイヤーの自由なのだ。

 だが、RTAだとそうはいかない。チャートにもとづいて、行く場所が決まっている。戦い方も手に入れるアイテムも決まっている。修学旅行のしおりよりもひどい。

「あ、指輪」

 西条の視線の先には、ゆっくりと降りてくる黄金の指輪があった。あれを手に入れれば、このゲームは終了だ。

 西条がジャンプして指輪をつかんだ瞬間、あたりがやわらかな光に包まれた。


 目を開けると、西条の部屋にいた。窓から、六月上旬の少し熱をふくんだ風が吹きこんでいる。目の前には大きなTVとゲーム機がある。机の上にはパソコンがあり、これまでのプレイをすべて記録していた。

 西条はクッションで正座したまま、ゲームパッドを握っていた。俺はその隣であぐらをかいている。

「やっぱり、夢じゃない……よね」スタッフロールが流れる画面を見ながら、西条はつぶやいた。

「〈ファイナルブレイド7〉の件もあるからな。もう、夢とか集団幻覚とかで片づけられるものじゃないだろう」

 〈エルダーリング〉をプレイする前、西条は〈ファイナルブレイド7〉というファンタジーRPGのRTAに挑戦した。俺はサポート役としてつきそった。そのときも、突然TVが強い光をはなち、〈ファイナルブレイド7〉の世界に誘われたのだ。

 西条はパソコンの前に座ると、ゲームの録画をとめ、インターネットで検索をはじめた。俺は黙って西条の背中を見ていたが、数分後、ため息が聞こえてきた。

「駄目ね。こんな現象に遭遇してるのは、私たちだけみたい」

「だろうな。もし、他にもいたなら」もっと広まってる、と言いかけて、思いなおした。こんなふざけた事象を真面目に語る奴がいるとは思えない。ゲームのやりすぎ、英雄願望のある馬鹿な子供、などとからかわれるのがおちだ。

「まあ、無事に帰れたんだし、いいじゃないか」俺は西条の肩を叩いた。「あんまり気にするなよ」

「でも」西条は不安そうに俺を見あげた。「ゲームの中で死ぬかもしれないと思うと、こわかった」

 ノリノリで敵を倒していたのに今さら、と思ったが、西条はRTAという形でゲームを楽しむただのゲームオタクであることを思いだした。自分の身を危険にさらしてまで、ゲームをしたいとは思わないのだろう。ただ、「よいタイムを出したい」という欲望が、少しだけ勝っているだけだ。

「顔、触ってみろよ。返り血なんてどこにもついてないだろ」ゲーム中の西条と、現実世界の西条の落差に、俺は少し戸惑っていた。

「どこまでいっても、所詮はゲームなんだ。〈エルダーリング〉だって、死んだらセーブしたところまで戻るだけだったんじゃないかな?」

 〈エルダーリング〉内にはセーブ機能がある。それを使い、わざと死ぬことでタイムを短縮するという技もあった。西条のチャートにも書いてある。

 しかし、西条は今回、その手順を封印した。いくらゲームとはいえ、セーブをしたのち、復活できるとは限らないからだ。それほど、あの世界は現実と遜色のない世界だった。

 西条は浮かない顔だ。

「ちょっと考えてみる。RTAのことについても」

「そうだな。どこに危険があるかわからない。少し考えるのはいいかもしれない」

 西条はうなずいた。「ぶりむさんに訊いてみようかな」

 ぶりむ、というのは、インターネット上でRTA動画をあげている人物だ。彼の動画を見た影響で、西条はRTAをはじめたらしい。

「やめとけよ。変な奴だと思われるぞ」

「でも、同じ体験をしてるかもしれないし」

「それでもだ。第一、お前、その人と同じゲームをプレイして、タイムを更新してるだろ。絶対に敵視されてるぞ」

 西条もインターネット上にRTA動画をあげている。その中にはぶりむと同じゲームの動画もあり、いくつかはぶりむ以上のタイムを出している。ぶりむが西条の動画を見ているかどうかはわからないが、見ていたとしたら、いい気分はしないだろう。

 窓の外を見ると、日が西に傾いていた。現実の時間は、ゲーム内時間と同じように進んでいるようだ。

「そろそろ帰るわ」俺は言った。「動画あげたら教えてくれよな」

「うん、いいタイム出たしね」さっきまでの不安はどこへやら、西条は嬉しそうだ。奇怪な現象への恐怖よりも、RTAでよいタイムを出せたことへの喜びが勝っているのだろう。

 西条の母親にいとまを告げて、俺は家を出た。あたりは暗くなりはじめていた。


 シューズが体育館の床をこする音が心地よい。俺にバスケットボールがまわってくる。相手チームのディフェンスが一気に迫ってくる。パスをまわしたいところだが、受けとれそうな相手がいない。かといって、ドリブルで抜けるほどの技術もない。

 俺は思いきりジャンプし、シュートをはなった。バスケットボールは放物線を描き、ゴールへ……

 ゴールを揺らし、ボールがはねた。相手にボールを取られ、あっという間に攻守逆転。守りに入るのがおくれ、点を取られてしまった。

「悪い、俺のせいで」

 謝ろうとしたとき、隣のコートで歓声があがった。

「西条さんかっこいい!」女子たちの声は興奮気味だ。

 どうやら西条がディフェンスをくぐり抜け、シュートを決めたらしい。あとで聞いた話だが、相手ひとりひとりの動きが見えているかのような見事なドリブルで駆け抜けたとのことだ。

 さすがはうちの高校のバスケ部一年のホープ。今度の大会にはレギュラーで出ることが決まっている。そんな怪物を相手に、体育の授業以外で身体を動かさない女子連中がかなうはずもなかった。

 ホイッスルの音が鳴り、休憩に入った。

「いや、凄いね、西条さん」壁際で体育座りをしていた、クラスメイトの中村修一が言った。

「お前、俺たちの試合は見てないのか」タオルで汗を拭きながら俺は言った。

「だって長山の試合なんて見てても面白くないし」

「OKわかった、歯を食いしばれ」

「暴力反対ー」

 俺が中村を小突きまわしていると、西条が脇にボールを抱えたまま近づいてきた。長い髪を、運動の邪魔にならないようポニーテールにまとめている。

「あんたたち仲いいね」西条は笑った。

「底辺の争いだ。あんまり見るな」そんなことより、と俺は言った。「もう大丈夫なのか?」

「何が?」

「昨日の今日だろ。不安とか、眠れないとか、そんなのはなかったか?」

 西条はきょとんとした表情で首を傾げた。俺が何を言っているのか、本当にわからないらしい。

「いや、いい。気にしてないならそれでいい」

「そう? じゃあまたあとでね」

 西条はバスケットボールを指先や腰のまわりでくるくるまわしながら、女子のコートへ戻っていった。

 西条はよほどの不幸なことでも起きない限り、嫌なことはすぐに忘れてしまう。突きつめる、ということをしないのだ。

 昨日の〈エルダーリング〉の件も、考えた結果「いい記録が出たし、もとの世界に戻れたし、万事OK」ぐらいにしかとらえていないのだろう。深刻そうな顔をしていたのに、心配したこっちが馬鹿みたいだ。

「ねえ、長山」小突かれた頭をさすりながら、中村が言った。「またあとで、てどういうこと?」

「たいしたことじゃない。昼はあいつと昼飯を食ってるから、またあとで会おうってことだ」

 スポーツ万能成績優秀、男子からも女子からも人気がある西条巴だが、彼女がハードなゲームオタクであることを知っているのは、幼なじみの俺だけだ。あいつの会話に、普通の女子はついてこられないだろうし、西条自身も退屈だろう。ゲームについてそこそこ知識のある俺相手なら、好きなことを思う存分話せるというわけだ。

 中村が俺を見ている。目をつりあげて、にらんでいる。

「何だよ」

「ねえ、僕もいっしょに行っていい?」

「いや、悪いがそれは駄目だ」西条が絶対に嫌がる。

「みんなのアイドル、西条さんを独り占めする気かー!」

「誰がアイドルで誰が独り占めするって?」

「長山のこと言ってんだよ!」

「そうかー、俺ってアイドルだったんだー知らなかったなー」俺は空とぼけた。

「ちがうわ! 西条さんのことに決まってるだろ!」

「中村」俺は中村の肩に手を置いた。「悪いことは言わん。あいつだけはやめろ」

「なっ」

 中村が目に見えて動揺する。わかりやすい男だ。

「ある意味、お前とはもっともつりあわない奴だ。もっとふさわしい女がいる。あきらめろ」

 中村は文学少年で、ゲームの類を毛嫌いしている。西条の本性を知ったら幻滅するだろう。憧れは、憧れのままそっとしておいてやりたい。

「でもかんちがいしないでくれ。俺は別に西条のことが好きなわけじゃない。中村のことを思って、間違った相手に入れこむのはやめとけって言ってるんだ」

「そりゃたしかに、西条さんと僕とじゃつりあわないかもしれないけどさ」中村は西条の後ろ姿を目で追った。「片やバスケ部のヒーロー、片や地味な男。そのへんはわきまえてるよ」

「そうか、そりゃよか……」

「でも夢ぐらい見させてくれたっていいじゃないか」中村はむくれた。

 こういうちょっとかわいいところは、西条好みかもしれない。だが中村のためにも、あいつの本性を伏せておくことは間違ってはいないはずだ。

 そんなことをしているうちに、休憩時間は終わった。次は中村が試合に出る番だ。俺よりも運動神経が悪いあいつを、心の底から笑ってやろうと、意地の悪いことを考えた。


 俺が通う高校には中庭がある。校舎が八角形の形で中庭を取り囲んでおり、その中央に大きな桜の木がある。桜の木はすっかり緑に染まり、強くなりつつある日差しを遮ってくれた。

 桜の木を囲む形で備えつけられたベンチ。他の生徒も陣取っているが、俺は弁当を持ってあいているところに座った。

 西条が来るまで、スマホを見て待つことにした。ゲームの中に取りこまれるという怪奇現象について調べてみたが、西条が調べたとおり、どこにもそんな記述はなかった。大昔……コンピュータゲーム黎明期に、ゲームの中に入るホビー漫画があった、ということぐらいしかわからなかった。

 ついでに、西条の動画チャンネル「Tのゲームチャンネル」を開いた。昨日の今日ではさすがに〈エルダーリング〉のRTAはアップロードされていないが、〈ファイナルブレイド7〉の再生数は十万をこえていた。チャンネル自体の登録者数も、百万人をこえている。個人でやっているチャンネルとしては、途方もなく多い。

 西条の動画の面白いところは、編集の妙にあった。そのゲームを知らない人にもわかりやすいよう、機械音声で説明を加え、さらに自分のミスを笑いの種にしている。二時間の動画を五個程度にわけており、さらに倍速を多用しているため、見る方の負担が軽い。これも、西条のRTAがウケる要因になっているのだろう。

 時間をつぶしていると、西条が「お待たせー」と言ってやってきた。俺の隣に座り、弁当の蓋を開けた。

「体育のあとってやっぱりお腹すくよね」そう言いながら、大口を開けてからあげをほうりこむ。「うーん、おいしい」弁当の中身は見る見るうちに減っていった。

 西条の表情には屈託がない。異常な現象に二度も遭遇したというのに、こいつの頭の中はどうなっているのか。

「どうしたの?」西条は俺を見て言った。

「どうした、はこっちの台詞だ」俺は苦々しげに言った。「あんな異常なことが起こって、よく平然としてられるな」

「失礼ね、人を無神経みたいに」

 ちがうのか、という言葉をかろうじて呑みこむ。

「そりゃ私も考えたわよ。でも、長山だって言ってたじゃない。所詮ゲームだって。どんなにリアルに思えても、ゲームである以上、死んだり怪我をしたりをすることはない。これまでの経験から、私はそう思うことにした」

 所詮ゲーム。たしかにそのとおりだ。

 〈ファイナルブレイド7〉でも〈エルダーリング〉でもそうだったが、敵から攻撃を受ければ痛みを感じる。巨大な怪物を目の前にすれば恐怖心をいだく。それは身体の機能であり、人間の本能でもある。

 だが、それらの感覚は鈍い。棍棒で打たれて吹っ飛ばされても、打撲で腫れたり、骨が折れたりはしなかった。恐怖心も、ゲーム内の強力な武器や防具、技術などが支えてくれているせいかそれほど感じない。チャートという攻略法の存在も、恐怖心の抑制に拍車をかけていた。

「長山は異常だっていうけど、RTA的には悪いことじゃないよ」西条は玉子焼きを咀嚼しながら言った。「ゲームパッドでキャラクターを操作するより、自分の身体を動かしてゲームを攻略する方がラク。自分の思ったとおりに動けるからね」

「チートとか言われないか」

 チート……つまり、ずる、イカサマ行為のことである。

 西条はかぶりを振った。「どういうわけかはわからないけど、パソコンに録画した動画を見なおしてみると、どう見ても普通にゲームをしてるようにしか見えないのよね。動画だけ見たら、私たちがゲームの中に入ってるなんて、誰も気づかないと思う」

 そういえば、前にアップロードした〈ファイナルブレイド7〉の動画も普通にゲームをしているようにしか見えなかった。

「じゃあさ、何で俺たちはゲームの世界に呼ばれたんだ?」根本的な疑問を口にした。

「それこそ知らないわよ」そう言ってから、西条はにやりと笑った。「私たちって案外、勇者の素質があるのかもしれないよ。アレン司祭も異世界の勇者様って呼んでたし」

「〈ファイナルブレイド7〉はたんに主人公が勇者だっていう設定があったから、だろ。〈エルダーリング〉はどうなるんだよ。あれは勇者とかそういうんじゃなくて、『黄金の指輪を手に入れて王になれ』っていう筋書きしかないじゃないか。勇者のゆの字もない」

「王の資格があったから呼びだされた、てことじゃないの? どっちもいっしょじゃない」西条はけらけらと笑った。「所詮ゲームよ。私たちは他の人よりゲームを楽しめる幸運に恵まれただけ。深く考えたって仕方がないって。だって、誰かがこたえを教えてくれるわけじゃないんだもん」

 痛みはあるがたいしたことはない。

 恐怖心もただの本能である。

 たとえ死んでもセーブしたところからやりなおせるかもしれない。

 なぜなら、これはゲームだから。

 それが西条のくだした結論か。

「……じゃあさ、またRTAの動画をアップするのか?」

「一応、予定はあるよ」西条は当然のことのように言った。「もうやめようかなって思ったけど、ゲーム世界に呼ばれることがこわいものじゃないってわかった以上、尻込みしてるわけにはいかないもの。初志貫徹、いざ、RTAの地平へ!」

 空を指さして宣言する。まわりの生徒がなにごとかとこっちを見たが、すぐに興味を失ったようであった。

「でもさ、長山って意外と心配性なのね。あんまり考えすぎると、はげるよ」

「心配しない方がおかしいだろ」

 俺は口を尖らせた。自分でも嫌な性格だとは思うが、俺は少々神経質で心配性なのだ。わけのわからない状況にほうりこまれるのはごめんだ。

 うーん、と西条はうなった。「じゃあ、私ひとりでRTAやるよ。長山を巻きこむわけにはいかないし」

「ちょっと待て、それだけはやめろ」俺は言った。「RTAをするときは必ず呼べ。俺も手伝う」

「異常事態に巻きこまれるかもしれないのに?」

「お前ひとりだけあっちの世界に送りこまれて、何かあったらどうするんだ」

 西条は一瞬目を見開き、すぐに優しい笑顔を見せた。

「長山って優しいんだね」

「や、優しくねえよ。ただたんに心配なだけだ」

「嬉しい。ありがと」

「し、心配してるのは俺だけじゃないぞ」俺はスマホの画面を西条に見せつけた。「お前のチャンネルを登録してる百万人。いきなり更新がとまったら、みんな心配するだろ。俺はこいつらのためにも、お前をだなあ……」そこまで言って、ふと、あることに思い至った。「なあ、西条」

「何?」

「百万人の登録者に、動画ひとつ十万以上の再生数。これが意味するところは何だ?」

「私って人気者」

 西条は明後日の方向を見ながら、適当な返事をした。目が泳いでいるし、口もとも引きつっている。

「収益化してるな、お前」

「ごちそうさまー」

 手早く弁当箱をしまい、席を立とうとする西条の肩を、思いきりつかんだ。

「どれぐらい儲かってる?」低い声でたずねる。

「え、えっと、スパチャとかはしてないから、新しいゲームを定価で買えるぐらい?」嘘をついている顔をしている。

「高校生がラクして金儲けすんなよ!」

「仕方ないじゃない! いつの間にかもの凄い登録者がついてて、再生数も凄いことになってて……趣味が高じてお金もらえるならいいかなーって」

「みなさーん、西条は金の亡者ですよー」

 言いふらそうとしたら、どん、と胸を手の平で突かれた。

「これ、手伝ってくれたお礼」西条は気まずそうに言った。「今まで黙っててごめんなさい。これからは折半するから、今日はこれで我慢して」

 手の平の中には、一万円札があった。

「いや、別に金を要求してるわけじゃないんだが」俺は少し不機嫌になった。

「でも、危ないことに二回もつきあってもらった。そのお礼はしたいと思うから」西条はぼそぼそと言った。「お金をわたす、なんてスマートじゃないし誠意に欠けるかもしれないけど」

「別に誠意なんて……俺は別に、お前が動画を収益化してても何も言わねえよ。折半もしなくていい」

「ごめんなさい」

「だから謝らなくていいって」

 俺は一万円札を返そうとしたが、これだけは受けとってほしいと言われたので、仕方なく受けとることにした。

「今回だけだぞ。俺とお前は友達なんだ。その関係を壊したくない」

「やっぱ優しいんだね、長山は」西条は目をそらし、頬をかいた。「心配もしてくれるし」

 いつも勝ち気な西条にしおらしくなられると、調子が狂う。俺は努めて明るい声を出した。

「帰りに、何かゲームでも買ってくるわ。せっかくもらったんだから、有効に使わないとな」

「それならいいゲームがあるよ。ほら、これ見て。最近発売したばかりのゲームなんだけど」

 西条はスマホの画面を見せながら、興奮ぎみにまくしたてた。

 これだから、中村には紹介できないんだよなあ。


 昔は街のあちこちにゲームソフトをあつかう店があったが、今では家電量販店や中古品の取り扱い店に吸収されてしまった。ダウンロードでゲームを買うこともできるため、店でゲームを選ぶということはほとんどなくなってしまった。

 家にいながらゲームを買えるなんて便利な時代になったと思うが、俺は店でパッケージを見ながらゲームを買うのが好きだ。西条ほど頻繁にゲームの情報を仕入れていない俺にとっては、家電量販店や中古品店での出合いは重要だった。

「〈トーキョーネオ〉……ああ、あった」家電量販店のゲーム売り場で、俺は目的のゲームソフトを見つけた。

 〈トーキョーネオ〉は近未来の日本を舞台にしたアクションRPGで、警察官や探偵となって事件を解決したり、殺し屋になってターゲットを倒したりといったミッションを楽しむゲームだ。プレイヤーが何になるかは自由で、作ったキャラクターによってスタート地点が変わることも大きな特徴だ。

 定価で購入しても三千円ほどあまるので、西条に返すべきか、もう少し軽めのゲームを一本買うべきか迷っていると、大きなポスターに出くわした。

 〈ドラゴンサーチャー〉というタイトルロゴの入ったゲームで、〈トーキョーネオ〉同様、近未来的な絵が描かれている。〈トーキョーネオ〉とちがう点をあげるとするなら、銃を持った相手に剣で立ち向かうキャラクターがいたり、魔法使いのようないでだちの女が不思議な術を使っていたりするところだ。詳細は不明だが、科学と魔法が入り混じった、混沌とした世界設定のように見える。

 〈ドラゴンサーチャー〉は、ゲームを知らない人間でも名前ぐらいは聞いたことのある、有名ゲーム会社が手がけていた。俺がポスターを見ていると、「あ、あの会社のやつだ」という声が聞こえてきたぐらいだ。

 ポスターを見てもわかるが、相当力を入れて作っていることがうかがえる。そばにあるモニターでPVが流れているが、クオリティはかなり高い。発売は少し先だが、このPVを見て心躍らないゲーマーはいないのではないだろうか。

 うん? と俺は少し視線をさげた。同じモニターをひとりの女の子が見つめている。小柄で中学生ぐらいに見えるが、うちの高校の制服を着ている。前髪が目にかかってうっとうしそうだが、本人は気にしていないようであった。

 その子に見覚えがあった。同じクラスの三上翔子(みかみ・しょうこ)だ。

「三上さん?」

 俺が声をかけると、三上さんははじかれたようにこっちを振り向いた。PVに集中しすぎて、俺にまったく気づかなかったらしい。

「長山君?」

「あ、俺の名前おぼえてた?」高校入学から二カ月。接点はほとんどなかったので意外だった。

「おぼえてるよ。いつも西条さんといっしょにいる人」

「あいつとセットかー」俺は苦笑した。

 三上さんが俺と西条をセットにしておぼえていたように、俺も三上さんのことは「孤独」とセットでおぼえていた。

 教室の端でひとり、誰とも話さずひとりでいるスマホを見ている女の子。何となく気になり、「あの子誰だっけ」と中村に訊いたのがはじまりだった。

「三上翔子っていう子。無口であんまし人づきあいしなくて……何考えてるのかよくわからない。ひとりでゲームでもやるタイプじゃないの?」

 中村の口調には嘲りがふくまれていたが、お前が気にしている西条もゲームオタクだぞ、と心の中でつぶやいた記憶がある。

「えっと、このゲーム、気になるの?」俺は〈ドラゴンサーチャー〉が映っているモニターを指さした。

 うん、と三上さんはうなずき、「有名メーカーの超大作ゲームって触れこみだから、楽しみ。あそこ、面白いゲームいっぱい出してるから」

 そう、とこたえたところで、会話が途切れてしまった。ほとんど会話をしたことがない相手なのだから、仕方がない。

 それじゃあ、と去ってもよかったのだが、誰とも話しをしようとしない彼女と話しをする機会など滅多にないので、この機を逃すのはもったいない気がした。必死で頭を回転させ、

「そういえばさ、このメーカーが出した〈ドラゴンズ・ダンジョンズ〉って面白かったよね」知りうる限りのゲーム情報を引っ張りだした。

 三上さんは俺を見あげ、前髪で隠れがちな二つの目をきらきらさせながら言った。

「そう! 〈ドラゴンサーチャー〉は〈ドラゴンズ・ダンジョンズ〉と世界観をいっしょにする作品なの。歴史的には千年ほど経っていて文明は私たちの時代よりも進歩してSFみたいなんだけど、そんな世界に古代の遺物とか怪物とか魔法とかが復活してくるの。銃の効かない敵には剣とか棍棒とかの原始的な武器で戦うしかなくて、近接武器で怪物とか銃みたいな近代兵器と対等にわたりあえる主人公たちのことをウォーリアと呼んで……」

 怒涛のようにしゃべりまくる三上さんに驚いた俺は、あっけにとられる前にふきだしてしまった。三上さんも自分が一方的にしゃべっていることに気づいたのか、口を閉じ、うつむいてしまった。

「三上さんて、おしゃべりなんだね」

「オ、オタクなだけ。ゲーム好きの」

「俺も好きだよ、ゲーム」

「それ、買ったの?」三上さんは俺が持っている小袋を指さした。

「うん、臨時収入が入ったから〈トーキョーネオ〉っていうのを買った」

 〈トーキョーネオ〉と三上さんはつぶやき、神妙な顔つきで口もとに手をあてた。何かおかしなことを言っただろうか。

「そのゲーム……」と言いかけて、三上さんはあわててかぶりを振った。「ううん、よけいな知識はない方がいい。面白いゲームだから楽しんでね。アクションが苦手だと、ちょっと大変かもだけど」

「ご忠告ありがとう。何とかクリアーしてみるよ」

 俺が笑うと、三上さんもはにかんだような笑みを見せた。

 へえ、こんな笑い方をするんだ。いつものしかめっ面みたいな暗い顔じゃなくて、こんな笑顔なら友達もできるだろうに。

 西条となら、いい友達になれるかもしれない。あいつも、趣味の話ができる同性の友達がいた方がいいだろう。今度、話してやろう。

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