第53話 鍍金を剥がせ

「これをですな、こうやって……」


 細かい金属粒を濡らした布にまぶして祭具の表面を擦り始めたとみるや、赤金色が現れた。


「一見黄金に見えますが実は鍍金なんですよ。黄金だと重すぎて実用的ではないので」


「なるほど鍍金か」秀英は祭具を手に取ってしげしげと眺めた。「金が溶けた水銀を銅製品の表面に塗布した後、加熱したものだな。水銀が蒸発すると薄い金の膜が残る。薄いので磨けば本体の銅が現れるのか。こういった黄金風はよく見かけるな」


「娘が輿入れするときに鍍金製品を沢山持たせています」


「よし、皆で磨こう!」


 対策会議は全員が手を動かしながらも続けられた。藩貴妃の宮からだけでなく、宮廷中の鍍金製品が集められ、手すきの宦官や女官も一緒になって一斉に鍍金を剥がす。いつのまにか藩貴妃と胡貴妃まで混じっている。金属を磨く音が政堂に響いた。


「で、明日の式次第ですが、予定通りに早朝……おい、張左丞相。もっと丁寧に磨け。まだらになっとる」


「細かい男だな、昔から変わらん」


「不器用な男だ、昔から変わらん」


 左右の丞相は、実は仲が良いのではなかろうか、小月は思った。

 父親同様、肉厚の手が細かい作業に向いていない張包が問う。


「明日は予定通りの決行、となりますと少々問題が……」


「……決行しない方がいい理由があるなら、申せ」


 秀英が問い返すと、張包は軽く首を振った。


「いえ。警固に衛士を割きますので。監督の必要がありますから、その間、私は小月殿の下にはおれなくなりますのでご了承を」


 小月に向かって、張包は晴れ晴れとした顔で宣う。昨日、小月が対策責任者になり、張包はその指揮下に入ることを命じられていた。態度には出していなかったが、どうやら気に入らないようだ。それも仕方ない、と小月は思う。


「その点は心配ない。禁軍総統、つまりお前の上司が今日中に西方から戻ってくる」


「え?!」


 秀英の返答に張包が厳しい表情に変わった。


「警固は彼女にまかせておけ」


「……了解しました」


 小月は聞き間違えたのかと思って、秀英に訊ねた。


「禁軍の総統が女性?」


「武科挙で張包を叩きのめした女傑だ。西国の情勢を探索に行かせていた。……なんでそんな顔をしている?」


 言われるまでぽかんと口を開けていたことに気づかなかった。小月は自らの頬を叩いた。


「軍隊に女性はいないと思っていました」


「彼女は特別有能なのだ。有能な人間は性別に関係なく適所に登用する」


 小月はほうと溜息をついた。あまりに意外なことだったのだ。


「何を驚いている。お前だってそうだぞ、小月。特命とはいえ、縁故採用した覚えはない。無能だと発覚したら退任させる。公私混同はしない」


「望むところです」


 小月の返答に、秀英は一瞬だけ目を細めた。


「明日から三日間の祈願中、対策会議は行わない。小月が全権を持って対処しろ。だが必要に応じて私に直接報告するように」


「わかりました」


 小月の胸中にとめどなく湧きあがるものがあった。体中がぽかぽかと暖まるような。じんわりと満たされた想い。秀英に再会して以来、初めてちゃんと彼と向き合えた気がした。

 愛玩の対象以上になれた。秀英が認めてくれた。それはこんなにも満ち足りた心持ちにさせるものなのか。


「ふ」張左丞相が面白そうに笑う。「明小月殿は興味深い女性ですな。陛下の妃候補から外れたと聞きましたが、なるほど、それも頷ける。少々変わっておられるようだ」


「いたし方なかろう」藩右丞相が口を挟む。「田舎育ちで無学のうえ、後ろ盾もない。となれば、身を引くが上等」


 秀英は無言だ。反論の材料がないのだろう。

 小月も同様だった。反論する気もない。後宮に相応しい資格を何一つ持っていないのだから。


「では、我が張家の娘になるのはどうか」


 張左丞相がとんでもないことを言い出した。


「父うげ、んな何を!」張包は舌を噛んだ。


「お前は反対なのか、包よ」


「こ、心の準備が……」


「男が決意するときに準備などいらぬ。養女となり張家の娘として陛下に嫁せばいい。いくらでも後ろ盾になってやろう」


「……あ、そういうことでしたか」


「なんだ包よ、その落胆ぶりは」


「まさか、落胆などしておりません」


 小月を置き去りにして張左丞相は秀英に迫る。


「いかがでしょうか」


「妙案だ」


「お待ちください。後宮の門戸を安易に広げるのは得策とは言えません。どこの馬の骨とも知れぬ娘を娶っては陛下の威信に傷がつきます」


 反対するのは藩右丞相だ。娘が入内しているのだから当然のことだ。


「父上が反対するのが私のためなのだとしたら、もうおやめください。誰かを貶めるたびに父上の威徳が削られていきます」


 藩右丞相に異議を唱えたのは藩貴妃だった。


「だが、お前……」


「私は小月様が後宮に入ることに反対などいたしません。いえ、むしろ……後宮で一緒に過ごすのも悪くないですわ。私の知らないことをたくさんご存じでしょうし、退屈しないで済みますもの」


 鍍金剥がしの作業中だったため、顔を隠すことが出来なかった藩貴妃の朱に染まった頬は、政堂に妙な空気をもたらした。


「辞退させたのは、私に毒を盛った疑いが有ったころの話でしょう。もう違うと判明したのだから撤回されたらいかがです。病の真相を暴いたら褒美を取らすと約束されていたではありませんか」


 まさかの娘の反発を受けて藩右丞相はたじたじなってしまった。


「いや、しかし、その」

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