緑青色の小銭たち

 東京は品川区目黒駅。

 一人の人間が人の多さに驚きのあまり一言つぶやく。

「ワシの知っている目黒よりも発展しておる。さらにSLではなく電車というものがあるとな。行人坂の眺めもいいといわれたがビルジングに囲まれてしまってるのぉ。一張羅を身にまとって行人してるのは変わらん。」

 時代錯誤も甚だしい発言をしているこの人、江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜がなぜか令和の時代にやってきたのである。

 もともと新しいもの好きでカメラを使って鉄道の撮影をしたり顕微鏡できな粉を見て虫を発見してきな粉を食べられなくなる、自転車に乗っていたところ待ちゆく女性に目を奪われ事故を起こすなど、話は尽きない人物である。

 そんな人物が小説の力を得て現代にやってきたのである。


 気ままに現代散策をしてみるために1路線分の切符をもらい当時は松平家邸宅が並ぶ目黒から名所江戸百景最北の地である今の赤羽岩淵に向かうことにする。

 早速、切符を駅員に見せると自動改札を通るように言われ、見よう見まねで周りの人と同じく接触させるが警報音が鳴り響く。

 どうしたものかと聞いてみると、というらしく、穴に入れて自動で出てくるので取って降りるまで持つ、最後の駅で勝手に回収してくれるらしい。

 知らぬ間にすごい時代になったと気づかされる。

 早速乗り込み下にもぐる。


 ここにきて慶喜は重大なことに気が付く。

 地下だから景色が全く見えないのである。しかしながら慶喜の時代は地上しか乗り物や建物はなかったため、地下に潜るという行為がワクワクでもあり、生き埋めを想像しドキドキしながらの移動となる。


 電車は白金台・白金高輪を過ぎる。この地は高輪木戸が設けられ江戸より東海道方面への玄関口である。

 少し行けば港区の品川駅が望むことができる。

 慶喜は放送での地名を聞きながら江戸を明治政府に返し、ここから静岡に向かい、暮らしていた時代を懐かしく感じていた。


 そんな慶喜をよそに列車はどんどん進んでいく。

 麻布十番、六本木一丁目駅に到着する。今でこそ高級かつ夜の浮世離れしたハイグレードの歓楽街というイメージがある地域だが、江戸のころは飲食店が集まる食の先端だった。

 現代でもレストランが軒を連ねているのである意味変わらない地域である。

 そんなことを地下で知ることもできない慶喜を列車はどんどん北上させる。


 溜池山王、永田町、四ツ谷、市ヶ谷――。

 この辺りは江戸城に住んでいた経験のある慶喜にとってはなじみの地名だろう。地上の様子は江戸のころの2階建て木造の屋敷と庭が広がる風景から一転。

 ビルが狭い土地に立ち並ぶ地域となり、広大な面積を誇るのは公官庁といった具合になっている。

 江戸の頃に広まった怪談話である四谷怪談は今の雑司ヶ谷地域が舞台であるが、この四ツ谷と勘違いしている人が多いことを慶喜は知ることもなく電車は動く。


 飯田橋、後楽園、東大前と進み、水戸徳川家の敷地横を通っていることを慶喜は実感をする。

 また同時に、後楽園がまだ然りと残っていることに一種の感動を覚えている慶喜であった。


 本駒込、駒込に電車は到着した。

 ここは慶喜にとっても住んでいた巣鴨がすぐ近く、六義園は時々訪ねていたため、地名を聞いただけで懐かしくなっていた。

 近くに鉄道が走っていたので住むことにしたが、SLの煙が酷かったために困惑していたの思い出していると、西ヶ原を過ぎ、王子に到着する。


 王子は江戸の頃より飛鳥山の桜の名所である。

 ちょうど、花見帰りだろうか、ほろ酔いの人々が乗り込んできた。

 そんな人々の服についていた桜がほろりと慶喜の手に落ちるとたまらず笑みがこぼれた。

 

 王子神谷、志茂を過ぎて終点の赤羽岩淵に到着する。

 改札を無事に抜けて名所江戸百景最北の地である川口のわたしを見に行く。

 道中に万屋があり、水をもらおうと巾着を開くと乗ってきた電車と同じ緑青色の銅貨が入っていた。

 現代の10円玉よりもはるかに大きい。

 なんとなく使えなさそうなのであきらめて荒川を目指した。


 そして、川口のわたしに水門ができて渡し船の代わりに橋ができているのを見て魂消るのはまた別の話。

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TOKYO SUBWAY ぬま_FJH @Numa_FJH

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