天使の歌声

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

The voice of (fallen) angel.

 天使の歌声、なんて言い方があるが誰が天使の歌どころか声を聞いたことあるんだ、と常々、片羽かたばエンジは思っていた。

 エンジの想像する天使とは、クリオネに代表されるような、清らかな雰囲気や見た目と裏腹な化け物じみた何かだった。グゲゲゲゲ、とでも笑うのが似つかわしい。

 そんなエンジがいま立ち止まってしまったのは、まさにこれまで思い描いていた天使にふさわしい歌声が聞こえたからだ。



 ストリートピアノ、というのがちまたで流行っている。自治体であったり商店街であったりが、なんならTikTokにでも動画が上げられてバズらないものかと、商魂逞しく設置した「どなたでもご自由にお引きください」なピアノである。

 どなたでもご自由に、とはいってもYAMAHA音楽教室に最近通い始めたおじさんが気楽に弾けるような場所ではなく、精々ピアノを習いたての幼女がママと一緒にバイエルの一節を弾くとかであればかろうじて許されるか、さもなくば腕に自信ありの猛者が間違って誰かの目に留まらないかと腕試しに訪れるような、そんな代物しろものなのだ。


 勿論、昔といった風情のおじさんが演歌を弾いたり、そもそも誰もいないことが多いといった場所もある。

 繁華街直結の、地下街の入り口に設置された、今片羽が立ち尽くすストリートピアノはどちらかといえばそんな類いの場所だった。


 なのに。


 そんな場所で。


 まさかのフリージャズ、まさかの歌声。


 遠巻きに弾き手であり歌い手である女性を見ているのは、地下鉄までの道筋としてたまたまここを通りがかったと思しきカップルと、ママと一緒に来て胸に何かの楽譜を抱えた幼女だけだった。

 階段を降りてきた、通路としてここを選んだだろう数人は、露骨に怪訝な顔をするか笑いながら通過していく。

 けれど片羽はそんな光景が目に入っていない。ピアノとその主に釘付けなのである。


 調もテンポも不定な、旋律とも呼べない音の合間を縫って、もし笑ったならグゲゲゲゲとでも発しそうな歌声が響く。もはや何を歌っているかどころか何語なのかも不明である。

 最初は早く終わらないかなといった風情で見ていた幼女はいまや半分泣きそうになっており、娘の肩に手を置く母親も血の気を失っている。その横で笑いながらスマホのカメラを向けていたはずのカップルの女性のほうは、すでに呪いの儀式に立ち会ってしまった無辜むこなる旅人の面持ちだった。


 耐えきれず、エンジは叫んだ。


「ダメだ、ダメだ、エル! おまえは人前で歌うな!!」


 音が止み、静寂。

 黒いピアノと対照的な、真っ白のふりふりのフリルのついたワンピースを着て、これまで数人の観客を凍りつかせていた(エンジの思うところの)天使の歌声の持ち主は、振り返ってにこっと(他の皆が想像するところの)天使の笑みを浮かべた。



 片羽エンジと片羽エルは二卵性の双子である。一卵性の双子のように互いが互いのクローンであるというような同一さは二卵性にはない。とは、よく言われることだが、不思議と性差のある二卵性の双生児はよく似ていることが多い。

 片羽姉弟きょうだいも、そうだった。



 平日の昼下がり、さして乗客もいない地下鉄に揺られながら、片羽姉弟は小声でしゃべる。エンジは吊り革をつかみ、エルはシートの端の鉄パイプをつかんでいた。身長の差はちょうど頭一つほどで、格好を抜きにすればマトリョーシカの外と中といった趣きがある。

「……せっかく気持ちよく弾いてたのに、まさか邪魔されるとは思わなかったわ」

 そんなに怒ったふうでもなくエルがいい、エンジはなんといっていいかわからなかった。

「……まあ演奏というより、いや演奏も大概だったけど、なんだあの歌は。そばにいた子供なんて泣きそうだったぞ」

「こどもなんて泣くのが仕事よ」

「泣かせるのはべつにお前の仕事じゃない」

「あ。仕事といえば、どうなったの、お仕事の件?」

「断ったよ」

 しれっとした調子でエンジはいった。

「ソロでデビューとかいわれたら誰もがうれしがるだろうと決めつけてる感じのプロデューサー? もう、あれの顔だけでなんかムカつくね」

 しばし二人の間に沈黙が続き、運転手のアナウンスのあと車両は駅に停車、乗降のガヤガヤした気配が落ち着いた頃、エルがふふっと笑った。

「べつにあなたがプロになろうがどうしようが、わたしとの活動は続ければいいだけじゃない」

 それはそうなのだ。

 別に自分に制約をかけてくるような、そんな契約ではなかった。姉弟でYouTuberとして活動しようがとやかく言われはしなかっただろう。だが、

 エンジは思う。

 何故、この天使の歌声を、世界にふたつとない特異な歌声をなかったこととしてやりすごせるのか、単に自分の——世間の基準の美から外れているという理由だけで見過ごしてしまえるのか、なかったことにしてしまえるのか、そんな輩の甘言かんげんになんて乗ってたまるか、とそう考えたことを、特にエルに伝えることもなく、最寄りの駅についた。

 駅構内にそそくさと降り立ち、それを確認するようにゆっくりと後に続く弟へと目を向けて、エルは再び天使の笑みを浮かべた。


「あなたはあなたの好きにすればいいわ。わたしと同じように、ね」


 伸ばされた手を思わず取って、微笑む姉を見ながら自分は大きな間違いを犯したのではないか、とエンジは思う。


 適度に心地好い歌声を持ち、見目も悪くない若いだけの適当な手駒の自分の売り時は、いつ終わってもおかしくない。が——

 唯一無二の個性は、この先も変わらず、そうあり続けるのだから。それが世間にどう受け止められようと黙殺されようと。


「おう、好きにさせてもらうぜ」


 繋がれた手を引き、引き寄せた姉を抱きしめながら、動揺する気配をちょっと面白く考えてエンジはさらに抱きしめる腕に力を込める。


「ちょ。エンジ、わたしたち姉弟きょうだいなんだから……」


 その科白セリフが、あんな天使の歌声を出せるエルの、少女漫画だかなんだかを真に受ける歳相応の素朴さに感じて、エンジは笑いを噛み殺した。


 ——そんなことを考えるのはむっつり助平だけだ、馬鹿野郎。


 俺は、おまえを、お前のその才能を絶対手放さないからな。

 

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