2 優先度は下位


 商店街は細かい雨に煙っていた。

 サア、と風に舞うほどの小さな水の粒。空は明るいのに飛んでくる霧雨に、ヒロの肩は湿っている。


 ヒロはユウリンドー脇の路地で、壁を背にして所在なげだった。

 仕事に戻らなきゃ。そう思うのに、足が動かなかった。マニタさんは悪くないのに。


 文具売場の責任者、マニタ。彼と文房具の品揃えについて話していたのだ。

 売場にあるのは実用的で堅実な品物がほとんどだった。あとは幾ばくかの高級品。


「だって、町の人たちが欲しがるのはそういう物だから」


 普通な物ばかりなんですねと遠慮がちに言ったヒロへの、マニタの答えだ。

 その通り。それが正しい。小売店なんだから、みんなが使う、売れる物を置かなくちゃいけない。でも。

 もう少し、遊び心があってもいいんじゃないか。ヒロの正直な気持ちが胸に渦巻いてしまったのだった。


「生活必需品が優先だよね。面白い物は、楽しいだけで必要ないし」


 マニタが言うのは販売戦略の話だ。優先度が上になる物、下になる物がある。わかっているけど、辛かった。


「やっぱり僕は、役立たずなのかなあ」


 うつむいて呟いたヒロの視界に、鮮やかな橙色が入った。

 顔を上げると、キョロっとした目がヒロを見つめている。ブッコローだった。やみかけた霧雨に、あまり役に立っていない傘を差して立つミミズク。


「役立たずとか、そんなに卑下することもないんじゃないの?」


 なんでもなさそうにブッコローは言った。それは傘ではなく、ヒロのことだろう。聞かれていたらしい。ヒロは恥ずかしそうに目を逸らした。

 すると店の中から店主のマッツォも顔を出した。ヒロを見て安心したように笑う。


「いたいた。マニタくんが心配してたよ。お腹でも壊したのかな、て。絶対違うってイクさんに呆れられてた」

「お腹は大丈夫です」


 マニタにはそういうトンチンカンなところがある。今のヒロが重苦しく感じているのは腹ではなく、心の方だった。


 ヒロが好きな物。心惹かれる文房具。

 それはたぶん、他の人の役には立たない、どうでもいい物なのだ。でも自分一人が好きでいる分には悪いことではない。普通なら。

 でもヒロは。ヒロの立場は。


「役に立つかとか、世の中そればっかりじゃないんだよね~」


 唇をかんで黙るヒロに、ブッコローの声は優しかった。


「歩いてる鳥だって、鳥は鳥だしね。空を飛ばない時だって、恥ずかしいなんて思わないよ」


 ブッコローは空を見上げて、傘を閉じた。雨はもうやんだようだ。傘と、ついでに自分の身体もプルプルと震わせる。つややかな羽毛から細かな水滴が飛んで気持ちよさそうだった。

 まだ辺りにただよう雨の匂いを吸いながら、ブッコローはヒロを見ずに言った。


「ブンヴォールって国の王女様がさ、失踪したって騒ぎになってるんだ」


 ブンヴォール。それは古くから静かに続く王国だ。

 読み書きのための道具を作るのが盛んで、世界の知識の集積に貢献してきた、歴史ある国。そして言葉と文字による魔法をひっそりと受け継ぐ国でもあるそうだ。マッツォは目を見張った。


「魔法なんて、まだあるんだね」

「世界は不思議に満ちてんのよ」


 それにここは国より船が通うという港町なのだ。あの桟橋は不思議な世界ともつながっている。だいたいこの町にだって不思議がないわけじゃなかった。しゃべるミミズクが普通に暮らしているのだし。

 そのミミズクは楽しげに、そして優しげな声色で言った。


「それでさあ、その王女様、ヒロコ・オカザキっていうんだよね」


 ヒロコ・オカザキ?

 マッツォの視線がヒロに向けられた。だって彼の名前――ヒロ・コーカザキに似すぎていたから。

 ヒロは少し青い顔でうつむき、立ち尽くした。


「どうして、そんなこと知ってるんです」

「フッフッフ」


 ブッコローは小さな翼で顔を覆っ――届かなくて覆えなかったが、バサッと羽を広げて格好つける。


「郵便配達のブッコローは、仮の姿! しかしてその正体は、無敵の情報屋さんなんだよねッ」


 彼の名前、R.B.ブッコロー。

 R.B.――それは『真の知』を示していた。ミミズクである彼の羽角うかくは知識へのアンテナであり、知恵の象徴だ。ブッコローが情報屋たるのは当然の流れだった。町をくまなく巡る郵便屋であることで、情報を集めるにも渡すにも不自然がない。


「世界を揺るがす国家の秘密から、町の本屋の新人店員の悩みまで! ブッコローが知らないことは何もないのさ」


 ブッコローはそれを誰かに雇われてやっているのではなかった。

 面白いから、やる。それでいいのだ。


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