第3話 早苗

 毎日どこか逃げるように学校を後にする。バス停まで早足で歩いて行くうち誰にも会わずにバスに乗りこむとホッとする。同級生の早苗がこの頃マメに暇を見つけて、買い物に行こうとか映画に行こうとか誘ってくる。

「バイトがある」

と言うと、

「なんでそう付き合いが悪いの」

と毎度同じ言葉を繰り返す。夏休み前の最後の大会も終わってクラブを引退した早苗にはこのところの暇がたまらないらしい。

「勉強したらいいんじゃないの。そのためにクラブだって引退したんだし」

と私が言うと、

「勉強は夜やる癖がついているから明るいと落ち着かないのよ」

と言っていた。うちのクラスは頭も良い上、クラブのレギュラーも多くてずっと両立させてきた実力があるんだから、まして早苗はクラスでも上位だし問題ないんだろうな。

「あ、良かったらうちに来れば。今日もライブあるんじゃないかなあ。そしたら私もバイト出来るし、おばさん面白いから気晴らしになるかもね」

すると早苗は渡りに船と喜んで、

「行く行く」

とついてきた。頭は良い、でもかなり単純。

「ねえ、いろんなバンドが来るんでしょ。あんたは何処か気に入ってるところあるの」

そう言えばそう言うふうにライブを聞いたことがなかったな。

「気に入ってるバンド?」

ああ、と頭に浮かんだのは少し年配の落ち着いたバンドでどちらかと言えばジャズ系のあのバンドがいいなと話した。

「あんた、ファザコンだね」

「ファザコン?」

「ファザーコンプレックス」

あ、それか……

「まったく落ち着いたおじんみたいなの好きでしょう。数学の前田とか、美術の川村とかあんたの趣味はわかりやすいわ」

そう言ってせせら笑った。

「早苗は?」

と私が聞くと、

「私はバリバリのロックバンド。気分がすかっとするのがいいな。考えるのは勉強だけでたくさんよ」

早苗はせいせいした顔でそう言った。

「あ……私の友達。中学の時の同級生、ロックバンドやってるよ。うちの店の常連なの。おじさんもおばさんもかなり肩入れしてるから将来有望かもね」

「ふーん。なんていうバンド?」

「ZEN」

「禅?」

早苗は首をかしげて木魚を叩く真似をした。

「はは、みんなにいわれるのよ。座禅の禅、とか禅宗の禅とか。グループのリーダーが善昭っていうの。一日一善の善。善は急げの善だって、うちのおばさんは善ちゃんって呼んでて、常連客にも善ちゃんで名前が通ってる。そのうちバンド名も格好つけてZENなんていってなくて善ちゃんて変わったりしてね」

と、私が言うと、

「善ちゃんね。人が良さそうな名前ね。紹介して、サインもらっとこ」

 なんて、早苗は久しぶりに興味深い話だと乗り気だった。今まで、私のバイトが羨ましいだの、いろんなバンドに会えていいだの、さんざん言っていた早苗だから、その世界に遂に潜入出来るとなれば嬉しいに違いない。

私達はバスに乗ってサマンサに向かった。バスに乗り込むと早苗はすぐに、こくりこくりと眠り始めた。こんなにすぐに眠りに落ちるとはと感心していると、さらに寝息をたてて熟睡し始めた。きっと毎日夜も寝ないで勉強してるに違いない。ひょっとすると昼間は興奮してじっくり机に向かえなくてうろうろしていたのだろうか……

 でも、どっちにしてもこの寝顔……このめりはりの良さが毎度の試験の好結果を産むんだろうなとあきれて眺めながら一人で納得してしまった。

 バスは外人墓地を左に見て昇り坂にさしかかる。見慣れた景色が光ってる。雨に洗われた葉っぱがキラキラ輝き、アスファルトから霧のように水蒸気が立ち上がっていた。その景色の中を自転車で駆け昇ってくる人がいる。背中にギターをしょって。

 『あ!善ちゃんだ』わき目も振らず一心に駆けてくるその姿は一途な善ちゃんらしい。今日もライブあるんだろうか?

善ちゃんのことを教えようと早苗に触ろうとした手を、あまりにも気持ち良さそうな寝顔に、もう少し眠らせてあげようと膝に引っ込めた。

 善ちゃんはバスと競争でもしてるかのように背中に満帆の風をはらみ、一目散に坂を駆け上がりサマンサに向けて自転車を飛ばしていた。

「あ、私寝てた?」

急に起き上がった早苗が寝ぼけ眼で呟いた。

「うん、暴睡。気持ちいいくらいぐっすり寝てたよ」

早苗はよだれを人差し指の第二関節でぬぐいながら深く座り直した。そのままボーッと窓の外を見ている。

「あ!早苗。ほらバスに追いついてくる自転車。あれ、善ちゃんだよ。後ろにギターしょってるの」

と私が後ろを指差すと、どれどれと、ちょっと眠気の残る顔で振り返った。バスに私達が乗ってるなんて知らないから、いつものひょうきんな善ちゃんとは違い真面目な顔をしている。

私と早苗はバスの窓をどんどんと叩いて善ちゃんに合図を送った。かさばるギターをしょって坂道を駆け上がってきた善ちゃんが、額に滴る汗を腕でぬぐう。真剣に前だけ見たその横顔に早苗がかなりまいった様子で、

「きゃあ、格好いいじゃない。ぜったい紹介してよね」

と、弾んだ声で言った。

一度はバスに追いついたのに信号が変わったとたん、走り出した善ちゃんはバス通りをそれて中道に入ってしまった。

「いやあ、楽しみ、楽しみ。早くお店に着かないかなあ」

早苗が突然元気になって言う。

「大丈夫。のぼせて成績落としたりしないでよ」

私は早苗の向こう見ずさが気になって念を押した。

「なに心配してるのよ。私は晴子のような堅物ではありませんからね。どっちも上手く両立させるのは得意です」

そう言って自信たっぷりだった。

 高校三年の一度しかない夏を私達はこうして過ごした。カラカラと笑いながら何でもないことに大騒ぎして、お互いの肩に触れるほど重なって座って……早苗には早苗の大きな夢が、私には私の大きな夢が、それぞれ夕立の後のあの入道雲の様にふくらんで天まで届きそうだった。

「ただいま~おばさん、友達の早苗!ライブ聞きたいって言うから一緒に来たの」

そう紹介すると残念そうに、

「いやあ今日はライブ無いよ。でもゆっくりしてって、お噂はかねがね。良く出来るんだってね。何か飲む?」

と、さっそく商売していた。

「私着替えてくるね」

そう言ったとき。ハア、ハア、息を切らして善ちゃんが飛び込んできた。

「あーっ、暑い暑い。おばさん水くれよ。もう、すっ飛ばしてきたから汗だく」

「あら早かったわね」

と、私と早苗が顔を見合わせて笑った。

「何だよ?」

怪訝そうに睨む善ちゃんに、

「途中でバス追い抜いて、中道からきたでしょ?」

と言うと、超能力とでも思ったか、かなり驚いて、

「何で知ってんだよ」

と、びびっている。

「別にびびることないわよ。あのバスに乗ってただけ。善ちゃん紹介するね。クラスメイトの結城早苗。うちの組のトップクラスなんだよ、頭いいんだから」

すると、早苗はむきになって、

「そんなこと言わなくていいよ。あ、結城早苗です」

早苗がそう言うと、善ちゃんは真っ赤になって、

「厚田善昭です。バンドやってます。ここで歌わせてもらってるんだ」

 と、かなり愛想良く話した。早苗の善ちゃんを見る目は危なっかしい。それはおばさんも感じたのか私の顔を心配そうに見た。

「ギターの弦が切れちゃって張り直していいかなあ」

 善ちゃんが店の隅でケースを開け始めると

「私見てもいい?」

 と早苗が興味深々でのぞいた。どっちも免疫なさそうで心配だけど、

「あ、私着替えてくるね」

 と席を外した。

 その後、

「おばさん今日ライブ無いの」

 と善ちゃんは聞いたらしい。おばさんが、

「無いよ」

 と答えると、

「じゃあ、上使わせて」

 と、頼んで、そのまま二人で上に上がってしまったって、私が店に戻った時には二人ともいなくなっていた。ちょっとやそっとの事では動じないおばさんが、

「ねえ、モニターつけとこうか」

 とか、

「大丈夫かなあ、あの二人」

 とか、とにかく焦っていた。

「そんなおばさん早苗も向こう見ずなところあるけど、あれでも超天才で、啓明の医学部目指してるんだよ」

 そりゃあ免疫無くて変に突っ走ることもあるかも。だけどまず心配ないって。

「その天才が危ないのよ。善ちゃん良い奴だし、迫られたらホロッと来ちゃうよ」

 と、善ちゃんの心配をしているらしい。私は拍子抜けしてカクンとなった。そうだよおばさんはあくまで善ちゃんの後援会だからな。そう言うことだよな。私はオレンジジュースと善ちゃんの好きなソーダをおばさんから渡されて、

「サービスしとくって持って上がって」

 と偵察に行かされた。階段を上がっていくと善ちゃんの柔らかいギターの音が聞こえる。その横で早苗は眠っていた。

「早苗……」

「いいよ。俺のギターの音は優しいって言ってくれたぜ。上出来だよ。もう少ししたら送っていくよ。俺の家の近くらしいから……にしてもよく眠るな。毎晩、勉強かなりやってるんだろうな」

 早苗はスースーと寝息をたてて、バスの中よりももっと気持ち良さそうに眠っていた。善ちゃんのギターを子守歌にして。

「これ、おばさんからサービスって」

「下忙しいか?」

「ううん、そんなにでも」

「じゃあ一曲聞いていけよ。眠り姫とメイドの晴子のために弾くからさ」

 善ちゃんの苦笑いに曖昧に答えて、私は早苗の横に体操ずわりして善ちゃんのギターを聞いていた。善ちゃんはしばらく見ない間に随分ギターが上手くなっていた。毎日店に来てるけど長い間見て無い気がした。


 次の日、学校へ行くと早苗はもうはしゃぎまくり。朝から善ちゃんに送ってもらった昨日の帰りのことで大騒ぎしていた。

「自転車に乗ってる間は眠らなかったんでしょうね」

 と馬鹿にして聞くと、

「当たり前よ。いくら私だってそんなに器用じゃないわ」

 と、真剣に答えていた。

「でも心配もしたくなるほど、寝こけてたわよ。早苗無理してるんじゃ無いの」

 なんて聞いても、まるで知っちゃいない顔で善ちゃんのことや、バンドのことをひとしきり話す。あきれ返りながら適当に早苗の相手をしてウン、ウン、とうなずいていた。

「芳野、山井が呼んでって」

話に盛り上がっている私達に、横にいた河野君がそう言って戸口を指差した。

「山井?」

 私と、早苗が同時に顔を上げた。思わず目を伏せた私を早苗が不審がってのぞき込む。

「晴子、山井君だって……」

「うん」

 気の無い返事をしながらも何処かで意識して緊張している。遂に来るべきときがきてしまった。

 私は仕方無しに立ち上がって、戸口に向かった。山井君は気難しいのと、恥ずかしいのが混じったような顔で私を廊下に引っ張った。

「何?」

 そう言うのが精一杯。夏休みまであと二日を残すのみ。明日は終業式だった。

「今日か、明日少し時間取れないかゆっくり話したいことがあるんだ」

 ……二人の間に沈黙が流れる。

「もう夏休みに入るし、学校で会えなくなるだろう」

 山井君の言葉にやっとの思いで、

「私、今日も明日もバイトだから」

 と顔を見ずに答えた。

「手紙見てくれた?」

 私の言ったことに答えないでそう言った。

「うん……読んだ……」

「俺、この前の七夕の夜のお前の笑顔とってもいいなあって思ったんだけど」

と言ってチラッと私を見た。こんな時にあの時の顔が出来るわけないよ。私はこの二日間山井君に会わないようにってそれだけ祈っていたんだから。

「私、あさって、北海道に行くの当分こっちに帰らないし、あの手紙はもらわなかったことにして……」

そう言うと山井君は見る見る顔色を変えて私を睨みつけて、

「結構勇気使ったんだけどな……無しになんかできるかよ!」

 と一歩私に近づいた。その剣幕に押されて私がひるんだのを見ると、いよいよムッとした顔をして、私の横をすり抜けてずんずん歩いて教室へ帰っていった。

 そりゃあ怒るよな。あんな言い方ないよな~と自分を責めながら自己嫌悪に陥った。トボトボと席に帰ると横で早苗が、

「何かあったの?」

 とか、

「なによ、黙っちゃって」

 とか、言っていたけど今はとても答える気力が無い。私って不器用だって改めて思い知らされた。

あんな無神経な対応ってないよ。悲しい。今日一日ため息の連続だった。

 憧れてた人からラブレターもらったのに、あっと言う間に怒りに触れて、最低って思われて嫌われたみたいな絶望的な気持ち。

 憧れは私一人の気持ちだから、それはこれからもずっと持ち続けていられるよ。

 でも、俺だって……すごい怖い感じだったな。私の持っていた山井君のイメージと随分違った。憧れてただけの山井君から、いきなりめちゃくちゃ現実味のある人になった。

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